ドリームワールド内からの退場を促すアナウンスに、ジョミーは目覚めを促された。
「っ……」
地面に手をついて、ゆっくりと起き上がる。一瞬、先ほどのことは夢だったのではないかと淡い期待を抱いたが、周囲の光景は気絶以前と変わっていなかった。ジョミーを中心に、枯れ落ちてしまった草木の姿。
(何が……いったい、何が起こったんだ……?)
ふらふらと立ち上がったジョミーは、退場を促すアナウンスに気付いて、おぼつかない足取りで出口兼入り口へと向かう。どうしてこんな朝から退場なんてことになっているのか知らないが、これ以上こんなところにいたくなかったので、ジョミーはふらつきながらも歩いていく。
ふと視線を感じて振り向くと、先ほど見たなきネズミと目が合った。こんな狭いところに閉じ込められてかわいそうに、と少し前に思ったのと同じことを思っていると、なきネズミが閉じ込められている檻のガラスにひびが入っていく。
「え、ええっ……!?」
驚愕の声を上げている間にも、そのひび割れはビシビシと広がっていって、やがてガラスはパァンと音を立てて砕け散った。そしてその中から、閉じ込められていたなきネズミが、ジョミーに向かって飛びついてくる。
「何なんだ……?」
(さっきから僕、何だとか何なんだとかばっかり言ってるなぁ……)
なきネズミを抱きかかえながら、ジョミーがちょっとした現実逃避をしていると、背後から無感情な声に名前を呼ばれる。
「ジョミー・マーキス・シン」
ジョミーは素直に、呼ばれるままに振り返った。そして、振り返った先でジョミーが見たのは、ジョミーに向かって銃を構えている武装した男たちの姿だった。
(何、これ……)
「君を、ミュウとして処分する」
彼らのぶっそうな格好とぶっそうな言葉に、ジョミーは思わず後退して、不安に瞳を揺らした。
「……ミュウ……?……処分……?……処分って何だよっ!!」
しかし彼らは、ジョミーの悲痛なまでの叫びに全く耳を貸そうとせず、そのまま銃を撃つ体勢に入る。
ジョミーが恐怖に息を呑んだとき、頭の中に声が響いてきた。
『左に跳んで!』
「え?」
『急いで!』
「っ……!何なんだよ!?」
ジョミーが叫びながら思い切り左に跳躍すると、建物の陰から一人の少年が飛び出してきて、ジョミーの腕を思い切り引っ張った。
『こっちです!走って!』
「〜〜〜!!走ればいいんだろ!走れば!」
やけになって走り出してはいいが、先導して走っていたはずの少年の足が遅くて、何故かジョミーが彼の手を引いて先に走ることになってしまった。背後から、景気よく銃声の音が聞こえてくるので必死だ。
「何でそんなに遅いんだよ!って言うか、君は誰なんだ!?どうして僕を助ける!?」
『……私はリオです。ソルジャーブルーの命令で、君を迎えに来ました……君は、とても健康なんですね。我らミュウには概して虚弱なものが多くて、私もあまり健康とは言いがたい身ですから、運動は得意じゃないんです……あ、そこを右に曲がってください』
「ミュウって何なんだよ!?」
『それは長い話になるので、シャングリラに帰ってからにしてください』
「シャングリラって何!?」
『我らミュウが住む、影に作られた不可侵の世界のことです』
「影?不可侵?……それより、頭の中に話しかけてくるのをやめろ!普通に話せよ!!」
訳の分からないことを言うリオをチラリと振り向いて、ジョミーは眉根を寄せて怒鳴った。リオは困ったような顔になって言う。
『すみません。私は声が出せないので……』
それを聞いて、ジョミーは黙り込んだ。喋ることができない相手に向かって、ひどいことを言ったのだという自覚はある。けれど、頭の中に直接話しかけてこられる気持ち悪さを考えると、素直に謝ることはできなかった。
『そこをまた右に曲がって』
「分かった……って行き止まりじゃないか!」
ジョミーはすぐさま引き返そうと足を止めたが、リオは止まらず、壁に向かって走っていく。
「ちょっ……何してるんだよ!ぶつかる!!」
『いいえ。シャングリラへの扉はちゃんと開かれています。ぶつかりませんよ』
そう言われて壁を良く見てみると、白い壁が広がるばかりだと思っていたそこに、豪華な装飾の観音扉があった。それは周囲の光景にあまりに不似合いで、その場に全く溶け込んでいない。扉は人一人が通れそうなぐらいに開かれていて、向こう側には暗い闇が広がるばかりだ。普通の扉にはちっとも見えなかった。
「何だよこれー!!」
『さあ、行きますよ』
叫ぶジョミーの手を引いて、リオはその扉の中に身を躍らせた。
ジョミーの姿が扉の中に消えると同時に扉は閉まり、その扉もまたその場所から壁に融けるように消えていく。リオとジョミーを追いかけていた男たちは、慌ててその扉に駆け寄ろうとするが、その前に扉は完全にその場から消滅していた。
「クソッ……!」
男たちの一人が、壁に腕を叩きつけながらそう叫んだ。
◇ ◇ ◇
「ここが、我々ミュウの世界です」
扉を抜けた先には、ミュウが住む世界――シャングリラが広がっていた。影に作られた世界なんてリオが言うから、光なんてない暗い世界なのかと思っていたら大違い。空にはちゃんと太陽が輝いているし、緑は青々と茂っているし、色とりどりの花だって咲いている。
ジョミーがぽかんと口を開けていると、数メートルほど離れた場所に立っている一人の壮年男性が口を開いた。
「ようこそ、ジョミー・マーキス・シン。私はハーレイ。ソルジャーブルーが選んだ新しい仲間を、心から歓迎する」
それが終わると同時に、数人の若い男女がわらわらと寄ってくる。
『ようこそジョミー!新しい仲間!』
『待ってたよ!』
リオと同じ、頭の中に直接話しかけてくる話し方だ。
「さっきは危なかったな、ジョミー。怪我はなかったかい?」
一人の青年がにこやかに、普通の声で話しかけてくるが、その間にも脳裏に響く声が止むことはない。青年の言葉を補足するように、ハーレイが口を開く。
「彼らの思念波で銃弾を落とし、シャングリラへのゲートを開いたのだ。単独でここへの扉を開くことができるのは、ソルジャーブルーしかいないからな」
ハーレイが喋っている間は、遠慮しているのか頭の中に話しかけてくる声はなかったが、ハーレイが喋るのを終えると先を争うように誰も彼もがテレパシーで話しかけてくる。限界だった。
「やめろ!!」
ジョミーが頭を抱えて叫ぶと、声は止んで静かになった。
「頭の中で、勝手にわめくな!何だよ君たちは!?僕は仲間じゃない!君たちとは違う!人間だ、ミュウなんかじゃない!!」
そう叫んだとたん、無数の悪意が針のように突き刺さってくるのをジョミーは感じた。
「うあっ……!」
頭を抱えてしゃがみこむが、悪意の攻撃が止むことはなかった。耐え切れず、ジョミーが気絶しそうになったところで、低い声が響いた。
「やめたまえ」
同時に、優しい腕に抱き起こされる。
(この声は……)
「……ブルー……?」
くらくらする意識を堪えて顔を上げると、ブルーの端正な顔が目に入る。今度のブルーは、透けてもいなければ淡く発光していることもなかった。ジョミーが見上げていることに気付くと、彼は視線を合わせて、安心させるようにふわりと微笑んだ。思わず見とれてしまいそうなほど綺麗な笑みだったが、混乱しきっている上、朦朧としているジョミーにはあまり効果がなかった。
「ソルジャー!生身で出歩いたりしたら、お体に障ります!」
「大丈夫だよ、ハーレイ。今日はずいぶんと気分がいいんだ。ジョミーがここにいるからかな」
どこまでも穏やかな声で言うブルーだが、それを聞いた周囲の拒絶反応は顕著だった。
「ソルジャー!!どうしてこんな奴を連れて来たりしたんですか!?」
「こいつ、自分のことを人間だなんて言ったんですよ!」
「こんな奴が側にいるから、何だって言うんですか!?」
「やめたまえと言ったのが聞こえなかったのか?」
騒ぐ周囲を、ブルーはその一言で黙らせる。勇敢にも、なおも言い募ろうとした者がいないこともなかったが、ブルーが真紅の瞳でその者を見据えたとたん、もごもごと口ごもった後静かに黙り込んだ。
「ジョミーはまだ、目覚めたばかりなんだ。そして、十四の年になるまでずっと人間として暮らしてきた。……突然自分がミュウなのだと言われても、受け入れがたいのは当然だ」
「受け入れがたいも何も、僕は……もがっ」
ジョミーはかっとなって叫ぶが、全て言い終わる前に、ブルーの手のひらに口をふさがれる。
「少し黙って、ジョミー……」
(黙ってって……無理やり黙らせておいてそれはないだろ!!)
ブルーの手を口から外させようともがきながら、ジョミーは心の中で叫んだ。ブルーは少しだけ、申し訳なさそうな顔になる。
「すまない。だが口で言うだけでは、君は黙ってくれないだろう?」
(だからって……!っ……それより、勝手に僕の心を読むな!!)
「読んでいるわけじゃない。君の思念は強すぎて、読もうとしないでも聞こえてくるんだ……心配しないでも、少し訓練すれば心を読まれることはなくなる」
(訓練って何だよ!僕はミュウなんかじゃないんだから、そんなことより家に帰せ!!)
心の中でそう叫んだ瞬間、再び周囲から悪意が針のように襲ってくる。しかしそれは、ブルーがジョミーを抱きしめた瞬間霧散した。ブルーは頭を抱えるジョミーを見てから視線を上げて、困ったように笑って誰に言うでもなく言った。
「……僕の想い人を、あまりいじめないでくれたまえ」
(……はぁ?おもいびと?)
言葉の意味を理解できないで、ジョミーは眉をひそめる。
しかし周囲にいたミュウのほとんどは、ブルーの言葉を正確に理解したらしく、そろって間の抜けた顔になると、声をそろえて「想い人!?」と叫んだ。
ステレオで耳に届いた声のうるささに、ジョミーは耳を塞いだ。しかし、テレパシーで聞こえてくる声は、耳を塞いでもどうにもならない。
『想い人ってことは……ジョミーって女の子!?』
『嘘だろぉ!?どう見ても男じゃないか!』
『一人称だって“僕”だし!』
『って言うか何歳差!?ソルジャーってロリコンだったの!?』
テレパシーのうるささに眉をしかめはしても、男に間違えられるのは慣れているので、そのことについてジョミーは全く気にしなかった。ロリコンという単語は多少気になったが。
それはともかくとして、それらの会話でようやくジョミーはブルーが言った“想い人”という単語の意味を悟った。とは言っても、精神的にはまだまだお子様とスウェナに称されたジョミーである。年頃の少女らしく顔を赤らめて照れたりはせず、ものすごくいぶかしげな顔をしてブルーを見つめながら、未だ口を塞がれているため心の中でぽつりと言った。
(僕のこと好きとか……変な趣味)
「自分のことを卑下するのはよしなさい。君はとても魅力的な女の子だよ。太陽の光を集めたようなその金糸も、緑の息吹が息づいたような瞳も、折れそうに華奢で、けれど健康な肢体も、友情に篤いその心も、全てがとても美しい」
何て言うか、自分のことを言われているのとはとても思えず、ジョミーは恥ずかしがるより呆気に取られた。良くぞこんな恥ずかしい台詞が口から出てくるものだな、と思って。
「恥ずかしくなどないとも。心のうちを素直に述べたまでのことだからね」
(あっそ……って、僕の心を読むなって言ってるだろ!)
「だから、君の声は強すぎて読もうとしないでも聞こえてくるんだよ」
ジョミーが怒ると、ブルーは困ったように笑う。
(そんなの知るもんか!僕を帰せよ!)
「……帰ってどうするつもりなんだ?君の父も母もすでに死んでしまったというのに……」
(っ……!!)
無慈悲にささやかれたブルーの言葉に、ジョミーは大きく目を見開いた。軍の人間も周囲の大人たちも他の諸々の人間たちも、十四歳というジョミーの年齢を考慮してか、誰もがあからさまな言葉を避けて両親の死をジョミーに告げた。だからジョミーは、両親が死んだと言う現実から逃げていることができた。二人が死んだことを、現実のものとして認識しないでいることを許された。
しかしブルーは、ジョミーにそれを許さなかった。
「……一人になった家に帰って、一体どうすると言うんだ?」
(……ブルーの言うとおりだ……帰っても、家にはもう……ママもパパも……っ)
そう思うと、とたんに寂しさと悲しさが襲ってきて、目からぼろぼろと涙があふれてくるのをジョミーは感じた。
(ママ……ママ、どうして僕を残して死んでしまったの……?)
男の子に混ざって遊ぶのもいい加減よしなさいとか、もう少しおしとやかになったらどうなのとか、女の子らしい格好をしろとか、色々と口うるさいことを言われた覚えはあるが、それでも母は心底ジョミーのことを愛してくれているのだと、ジョミーはちゃんと知っていた。だからジョミーは、母親のことが大好きだった。
けれど、彼女はもういないのだ。心ないテロリストが仕掛けた爆弾によって、死の世界へと永久にさらわれてしまった。家に帰っても、もう会うことは二度とできない。