朝食の後片付けをしていたジョミーの母親は、新聞を片付けようとした際、その下に別の何かが置かれていることに気付いた。
「あら?」
新聞をどけてみると、そこにはA4サイズの書類封筒の姿が見えた。
「パパったら、忘れ物かしら」
首を傾げてそうつぶやいたとき、電話のコール音が響いた。彼女は慌てて電話まで走りよって、受話器を取る。
「はい」
『ママ?悪いけど、机の上に書類封筒置いてあるか見てくれないか?』
「あるわよ」
『……さらに悪いんだけど、会社まで、それ持ってきてくれないかな?今から取りに帰る時間はないんだ』
困りきった声を上げる夫に、彼女はくすくすと笑いながら言う。
「いいわよ。でも電車だと、今から行っても9時半ぐらいになるわよ?それでも大丈夫?」
『もちろん!』
「じゃあ、今から行くわね」
『ありがとう、ママ。愛してるよ』
「ふふ、私も愛してるわ」
そう言って電話を切って、彼女は身支度をすると書類封筒を持って家を出た。
◇ ◇ ◇
その日の午前9時32分27秒、アタラクシア市○○町にある××社にて、爆弾テロ発生。死者189名、負傷者372名の惨事となった。そしてその死者の中には、ジョミーの父と母の名前が含まれていた。
◇ ◇ ◇
かわいそうに、と口々に言われた。向けられる視線からも、かわいそうに、と思っていることが明らかに窺える感情が読み取ることができる。それでもジョミーには、どうしてそんなことを言われなければならないのか、葬式が済んだ後になってもよく分からなかった。
爆弾テロで、父と母が死んだ。
そう知らされたのは、ジョミーの誕生日の、午後のことだった。学校で授業を受けていると、いきなり呼び出されて、そう告げられたのだ。
あまりに突然のこと過ぎて、現実感が湧かなかった。だって、朝まではちゃんと二人とも生きていて、いつもと変わらぬ日常を過ごしていたのだ。いきなり死んだなんて言われても、ジョミーには信じられなかった。
死体を見せてもらえなかったのも、両親の死を現実のものとして認識できない原因の一つだった。父も母も爆発の瞬間、爆弾から近いところにいたために、死体は見るも無惨なことになっていたらしく、まだ十四歳のジョミーにはショックが大きすぎるだろうという理由で、両親の死体を見ることはかなわなかった。
要するに、非現実的すぎたのだ。ぐちゃぐちゃのバラバラになったらしい遺体を一目でも見ることが許されれば、ジョミーだって両親に実感が湧いただろう。しかしジョミーに寄越されたのは、ただニュースや軍から知らされる情報だけだったのだ。それでも、ショックを受けたのは確かで、信じられない気持ち半分、ショック半分で葬式の間中ぼうっとしていたジョミーに寄越されたのは、かわいそうにという同情と、両親が死んだのに泣きもしないなんてという嫌悪の感情だった。
葬式の次の日、ジョミーはいつもと同じ目覚まし時計の音で目を覚ました。
しかし、階下からは朝食のいい匂いもしてこないし、人が生活している音も聞こえてこない。父親も母親も、もう生きていないのだからそれは当然のことなのだけれど、葬式から一晩あけた今になっても、ジョミーにはまだ両親の死に実感を持つことができないでいたし、何より彼らの死を認めたくなかった。
いつもの元気すぎるほど元気な様子とは裏腹に、しおれた花のような様子でのろのろと着替えたジョミーは、ゆっくりとした足取りで階下に向かった。
「ママ……パパ……」
呼びかけても、返事が返ってくることはない。ジョミーは唇を噛み締めて、朝食も食べずに家を飛び出した。
飛び出した外では、毎朝の光景が広がっていた。学生たちは学校へ向かって歩いているし、社会人は会社に向かっているし、主婦たちは玄関前を掃除したり世間話をしたりしている。ジョミーは停留所に止まっているバスを見ると、行き先も確認せず、発作的にそのバスに乗り込んだ。学校に行かなくてはいけないと分かっていても、そうしたい気分ではなかった。
(……僕は……どこへ行けばいいんだろう……)
バスの中には、やけに親子連れが多かった。どうしてだろうとぼんやり思っていると、バス内の液晶パネル脇スピーカーから宣伝が聞こえてきた。
「僕らのファンタジー空間、ファナティックドリームワールド!巨大観覧車、宇宙最古のメリーゴーランド……」
パネルを見ると、ドリームワールドの施設を映している。
(ああ、そうか。このバスはドリームワールドに行くんだ……)
親子連れが多い理由にも納得だ。最近は、子供に学校を休ませて遊園地に連れて行く親もいるらしいから、この親子たちもそんなものなのだろう。ドリームワールドには、ジョミーも昔、両親と一緒に行ったことがある。ジョミーの両親は真面目な人だったので、もちろん平日なんかじゃなくて休日にだったが。
(……行ってみようか……ドリームワールド……)
今はいない父と母との、思い出が眠る場所へ。
昔来たときと全く変わっていないコースターやメリーゴーランド、観覧車を見て、ジョミーはぽつりとつぶやいた。
「……全然変わってないや……」
ここに来たのは六歳のときだから、もう随分と前の出来事になるけれど、ジョミーはかなり記憶力がいい類の人間なので、それだけ昔のことでもはっきりと覚えている。塗装や細々としたところは変わっていても、全体的に見るとドリームワールドはほとんど変わっていない。
ゆっくりと歩を進めていると、あるところに人だかりが出来ていることに気付いた。
(何だろう?)
不思議に思って近づいていってみると、ちっぽけなガラスの檻に入れられている獣の姿が目に入った。
(ああ、なきネズミか)
たぬき、狐、リスのそれぞれに似ていて、そのどれとも違う珍獣。それがなきネズミだ。非常に愛らしい外見をしているため、ぬいぐるみやストラップ等様々なグッズが発売されている人気動物だが、非常に珍しい動物であるため現物を目にする機会はほとんどないと言っていい。
たいていの少女なら、ここでかわいいと嬌声を上げるところだが、ジョミーはそんなことをしなかった。代わりに、痛ましそうな目になってなきネズミを見る。
(かわいそうに……こんな狭い檻に閉じ込められて……)
そう思ったとき、檻の中のなきネズミと目が合った。瞬間、頭の中に直接響くような声が聞こえてくる。
『出たい……ここから出たい……』
(っ……何だ?)
頭痛と耳鳴りに襲われて倒れそうになるが、根性で踏みとどまる。
『……出たい、帰りたい……』
無意識のうちに、なきネズミに向かって手を伸ばしていたジョミーは、手がガラスケースに触れたとたん、バチッと何かにはじかれた。
「うわあっ!!」
悲鳴を上げて、同時に後ずさる。すぐに係の人間が飛んできて、小うるさくジョミーを叱り始めた。
「困るな、ケースに触ってもらっちゃあ!バリアが張ってあるんだ!聞いてないのか!?」
「だって、こいつが……」
(……出たいって言ってた、なんて言っても……信じてくれるわけないよな……)
なきネズミが人間の言葉を話すなんて、聞いたことがない。ジョミーは諦めて、大人しく係の人間の気がすむまで怒鳴らせておくことにした。
◇ ◇ ◇
「しっかし、何だったんだ?……なきネズミがしゃべるわけないし……僕の気のせいなのかな?」
それとも、両親が死んでしまったことが相当ショックで、ありもしない幻聴が聞こえるようになったのかもしれない。気のせいというよりは、そちらの可能性の方が高い気がする。いまだ両親が死んだという実感は湧かないのに、ショックは受けているだなんて、おかしなことだとため息を吐いたジョミーだが、自分のお腹がぐうと声を上げるのを聞いてぴたりと足を止めた。
「そう言えば、朝ごはん食べてなかったな……」
何か買おうかと思ってあたりを見渡すが、あいにくとこの付近には軽食を売っているワゴンもレストランもないようだった。ジョミーは大きなため息を吐いてしゃがみこみ、道端に咲いていた花に気付くと、それに手を伸ばして暗い顔でぼやく。
「はあ……これが食べられたらいいのに……」
色気よりも食い気の典型だった。平日のためか、園内には意外に人の数が少なくて、この近くにも人の姿はなかったため、幸いにもその発言が誰かに聞かれることはなかった。
冗談でなく、心の底から食べられたらいいのに、と空腹を自覚するとともに途方もない空腹感に襲われたジョミーが思っていると、視線の先の花が何故か見る見るうちに枯れ始めた。
「なっ……?」
ジョミーは驚きのあまり、その場に尻もちをついた。驚いているうちにも花は枯れ行く。水分を全てなくして干からびた姿になった後、その花は崩れるように風に消えてしまった。驚愕に支配されていたジョミーは気付かなかったがそれと同時に、空腹感が少しだけマシになる。
「何なんだよ、これ!?」
驚いてあたりを見渡すと、その花だけではない。ありとあらゆる植物が、見る見るうちに枯れ落ちていく。自分を中心に風が渦巻いて、その風に運ばれて圧倒的なエネルギーが自分の中に流れ込んでくるのをジョミーは感じた。
「あ、あああ……!」
何が起こっているのか分からず、けれどこの現象を起こしているのが自分だということだけは分かりたくなくとも分かってしまい、ジョミーは驚愕を通り越して恐怖に支配される。そのとき、どこか聞き覚えのある声が頭の中に響いた。
『大丈夫だ、ジョミー!落ち着くんだ!!』
「……君は……」
顔を上げたジョミーは、すぐ側にしゃがみこんでジョミーの顔をのぞきこんでいる人物を見て、思わず声を上げた。その人は、つい数日前ジョミーの夢に出てきたのとそっくりな姿をした少年だったのだ。夢と同じで、やっぱり向こう側が少し透けて見える。
「ブルー……?」
おそるおそる問いかけると、少年はわずかに驚いた顔になって、それからすぐにふわりと微笑んだ。
『覚えていてくれたんだね』
その言葉で確定した。やはり彼は、ジョミーが夢に見た不思議な少年ブルーだ。
『でも、それよりも今は食事をやめるんだ。今のままエネルギーを吸収していたら、君の体がもたない』
「食事?エネルギーって……?それにやめるって、そんなの言われても分かんないよ!」
『大丈夫だ……手を合わせて』
かんしゃくを起こしたような声を上げるジョミーをなだめるように、ブルーは落ち着いた声で言って、ジョミーの手を絡め取る。
『呼吸を合わせて……僕に心をゆだねるんだ』
深い真紅の瞳にとらわれたように、ジョミーは言われるまま、ブルーの指示に従った。
そうすると、不思議なほど心が落ち着いた。渦巻いていた風が止まり、草木が枯れ落ちていくのが止まる。
(とまっ……た……?)
それだけを確認して、ジョミーの意識は闇に呑まれた。