りーぴ 01

(どこだ……ここは……?)
 光のほとんど届かない深い深い森の中を、ジョミーは歩いていた。周囲の木々の色は、頭上を覆いつくす枝と葉々のせいで光をさえぎられているせいか、緑と言うよりも闇の色に等しい。密集して立ち並ぶ幹と、頭上を覆う数え切れないほど多くの葉のせいで、圧迫感さえ感じる。暗い闇色と濃い圧迫感は、この森の中から二度と抜け出すことができないような恐怖心を煽った。
 しかし、繊細と形容するに相応しい容姿とは裏腹に、勝気で活発すぎるほど活発な性格をしたジョミーは、森の中で迷子になって怖いなんて素直に言うことができるような性格ではなかった。不安そうな顔をする代わりに、眦を吊り上げて強気の表情で前を見据える。心の奥にある不安を知る者があれば、ジョミーのそれが明らかな強がりだと分かっただろうが、傍から見れば全く強がりには見えない。ある意味損な性分だ。
 そんなふうな性格と男の子のように短く切った髪の毛、少年のような服装をいつもしていることと、自分のことを僕と呼ぶこと、そして女の子たちよりも男の子たちと一緒にいる方がずっと過ごしやすい(寄って集まれば、男の子やドラマ、新作化粧品やダイエットの話ばかりする女の子の世界に、ジョミーはどうしても馴染むことができないでいる。)という理由で男の子とばかり遊んでいるせいか、ジョミーはよく男の子と間違えられた。
 黙って動かないでそれらしい格好をしてさえすれば、きっと文句なしに華奢でスレンダーな体型の繊細な美少女になるのに、というのが唯一と言っていい女友達スウェナの言だが、ジョミーにはスウェナの言葉が信じられないでいた。だっていつも、男友達からの評価は「お前って男以上に男らしい奴だよな」だったし、女の子からの評価は「ジョミーってどうして女の子なのかしら?」だったからだ。そんなことを言われて、スウェナの言葉を信じられるほど、ジョミーは自分に自信を持っていなかった。
 もちろんそんなことを言われても、ジョミーだって一応女なのだから、女の子らしい格好がしたくないわけではない。でもジョミーは、華奢でスレンダーと言えば聞こえはいいが、胸も尻も全然ない体は少女というより少年じみた体型をしているのだ。そんな自分が、いくら着飾ったって女の子らしく――しかも美少女に見えるなんて、そんな少女漫画みたいなことがあるわけないとジョミーは思っていた。
 だから、今身につけているパジャマだって、女物じゃなくて男物であるわけなのだが、さしあたっての問題はそんなことではない。
(どうして僕、パジャマなんかでこんなとこ歩いているんだろう……?)
 少なくとも、自覚している限りでは夢遊病の気なんてジョミーにはなかったはずだし、何より木々の合間から見える光の色は明らかに太陽の色をしている。いったいどういった事情でこんなことになっているのか、ジョミーが首をひねっていると、今にも泣き出しそうな声が聞こえてきた。
「ママ……ママぁ、どこぉ……?」
 いや、聞こえてきたというのは正しくない。真実を言うならば、その声は何故かジョミー自身の口から漏れ出たもののように、ジョミーの横隔膜と鼓膜を震わせたのだ。
(何だ……?)
 ジョミーは思わず、自分の口を押さえて周囲を見渡した。
 ジョミーはあんなことを言おうなんて、欠片も思っていなかった。しかもあの声は、ジョミーよりもずっと幼い少女の声だ。訳が分からなくて不安の目が胸に芽吹いたそのとき、その声はもう一度空気を震わせた。
「っ……ママぁ……」
 同時に、ふわりと体が浮くような感覚がして、気付いたときにはジョミーの目の前の足元に、小さな子供が泣きながら立っていた。
 大きな目からぼとぼとと涙を流して立ち尽くす子供の姿に、ジョミーは嫌と言うほど見覚えがあった。アルバムで何度も見た、幼いころのジョミーの姿だ。
 キラキラ光る金色の髪も、大きな緑の目も、今のジョミーと全く変わらない。違うのは体の大きさ(これは当然だ)と、母親の趣味で選ばれた洋服はかわいらしいワンピースと、やはり母親の趣味で小さいころは伸ばしていた髪の長さぐらいだ。
(夢か……)
 ジョミーはあっけないほど簡単に、その結論にたどり着いた。
 現実にはありえない光景を、ジョミーはまじまじと注視する。男よりも男らしいと言われる自分にも、こんな時期があったんだと不思議に思って、小さい自分のことを見つめていると、そこに突然聞こえてくる声があった。
『どうしたんだい?』
 それにつられて顔を上げたジョミーは、思わず絶句した。
(うわ……すごく綺麗な人だ……)
 年のころは、ジョミーと同じぐらいだろうか。白銀の髪の毛と真紅の瞳、すけるような白い肌に細身の体というコラボレーションのため、儚げな印象を周囲に与える少年だった。男に対して綺麗というのは適切ではないと言われるかもしれないが、本当に綺麗としか言い表しようがないような少年なのだ。
 サナトリウムにでもいそうだな、といささか失礼な感想を抱いているジョミーの前に、少年はしゃがみこんだ。正確には、ぼけっと突っ立っているジョミーの前にではなくて、泣きじゃくっている小さなジョミーの前に。
 幼いジョミーは顔を上げて、その少年のことを凝視していた。突然人が現れたことに驚いたのか、はたまた他の何かかに驚いたのか、幼いジョミーはまんまるに目を見開いて、ついでに口もぽかんと開けて少年のことを見つめている。
(うーん、間抜け面だな)
 それを見ていたジョミーは、自分自身の幼い姿をしている幼女に向かってまるで遠慮容赦ないことを思っていたのだが、幼いジョミーが言った次の言葉にずっこけそうになった。
「お兄ちゃん、だれ?うさぎ?」
 白銀の髪に肌も真っ白で、目だけが赤いのがウサギみたいだと言われれば、確かにそうかもしれないが、人間がウサギであるわけがない。幼い子供の思考回路は訳が分からないものである。
 少年も同じことを思ったのか、しばし絶句した後、静かに口を開いた。
『……違うよ』
「ちがうの?うーん……じゃあ、ゆーれい!」
『違う』
 少年はそれも否定したが、少年の体は無効が透けて見える上に微妙に発光しているように見えることは事実だった。
(まあ、夢の中だから何でもありだよな)
 人が透けて見える上に発光している理由を、ジョミーはそれだけで片付けた。
 ジョミーがそんなことを思っている間に、少年は幼いジョミーの頭に手を置いて、どこか苦しいような顔で問いかけてくる。
『……君の名を、教えてくれないだろうか?』
「ジョミー!ジョミーだよ。お兄ちゃんは?」
『……ブルー、だ』
 少年――ブルーはそう言うと、今にも泣き出しそうな顔になって、小さなジョミーの頬を撫でた。
『……ジョミー……』
「ブルー?……どこかいたい?それともかなしいの?いたいのいたいのとんでけー、してあげようか?」
『……違う。痛いわけでも、悲しいわけでもない……僕は、否定したかったんだ……運命なんてものを信じたくなかった。それなのに僕は……君に会えて、こんなにもうれしい』
 その言葉に、幼いジョミーも、そしてジョミーも同時に首を傾げた。
(うれしい……?)
「うれしい?」
 今のジョミーの心の声と、小さなジョミーの声とが重なり合う。
 ブルーの整った顔に浮かぶ感情はどう贔屓目に見ても、うれしいとかそういったものには見えなかったからである。
「うれしいのに、なくの?」
『……ああ、そうだよ』
 ブルーは長いまつげを伏せて頷いたけれど、やはりどう見たって彼の表情は、うれしいなんて感情とは程遠いものだった。
(変な奴……うれしいなら、笑えばいいのに)
 そう思ったとき、耳元で規則的な電子音が聞こえてきて――。



 ――目が覚めた。
 ピピピピピ、と。毎朝うるさい音を立てる目覚まし時計を乱暴な手付きで叩いて止めて、ジョミーは大口を開けてあくびを漏らした。全く女の子らしくない。
「ふあ……今日もいい天気だな」
 カーテンを引きながら、パジャマのボタンをぷちぷちと外して、窓のすぐ近くにいるにも関わらず何のためらいもなく上半身裸になる。レースのカーテンまでは開けていないから、外から部屋の中が見えることはないにせよ、豪快なことこの上ない態度である。ジョミーの言い分としては、「AAカップの僕の上半身なんか、誰に見られても別に問題ないだろ」ということだったが、そういう問題ではないということに気付いていないのは本人だけだ。
「ジョミー!早くしないと学校遅れるわよ!」
「はーい」
 階下から聞こえてきた声に答えながら、ジョミーはこの年頃の少女に全く相応しくない速さで身支度を整えていく。それから彼女は、元気の有り余っている子鹿のような足取りで階段を下りていった。
「おはよう、ママ!」
「おはよう、ジョミー。ああもう、今日から十四歳だっていうのに、この子ったらまたこんな格好して!」
 ジョミーが着ているのは、ズボンと薄手のセーターだ。それが女物だったら、母もこんなに声を荒げたりはしなかっただろうが、ズボンもセーターも完全な男物。
 昔から母はジョミーに、女の子らしい服を着せたがる。
 それもまだ、小さいころならまだ似合っていたかもしれないが、今のジョミーの外見はまるっきり少年だ。よく男の子に間違えられるせいで、ジョミーは自分に女の子らしい格好なんて絶対似合わないと思っている。だから、女の子らしい格好に憧れはしても、積極的にそれを着たいとは思えなかった。
「いいじゃないか。別に僕がどんな格好したって、僕の自由なんだから」
「でも、あなたももう十四歳なんだから、少しぐらい女の子らしくしてみたらどうなの?……せめて学校が制服だったら良かったのに」
「やめてよ。もしうちの学校が制服校だったとしても、スカートなんかはかないからね!僕には似合わないもん」
「似合うわよ!」
「似合わない!」
 ジョミーと母親がそうやって、朝からにらみ合いを繰り広げているところで、横から合いの手が入った。
「ジョミー、急がないと学校に遅刻するんじゃないのか」
 そう言った父親の顔を見ると、ジョミーに向かってぱちんとウインクをしてくれるところだった。
「そうだよ、朝ごはん食べないと!」
 助けの手を差し伸べてくれた父親に、視線だけでありがとうの意を伝えて、ジョミーは慌てて朝食の席に着いた。早くしないと遅刻すると先ほど言ったのは、他でもない母親自身だったので、彼女は不満そうな顔で頬に手を当てていたけれど、それ以上ジョミーに何か言おうとはしなかった。
 ぱくぱくと豪快に朝食を胃に流し込んでいると、向かいで新聞を読んでいた父親が立ち上がり、スーツの上着と鞄を持って部屋を出て行こうとして、ふと振り返って言った。
「そうだ、今日は早めに帰ってくるよ。ジョミーの誕生日だからな。ケーキはどんなのがいい、ジョミー?」
「ホールのでっかいやつ!」
「そんなの三人じゃ食べきれないでしょう」
 母親が呆れたような声で言葉を挟んでくるが、ジョミーは無駄に頼もしい仕草でどんと胸を叩いて言った。
「パパとママは一切れずつ食べたらいいよ。後は全部僕が食べるから」
「もう!太るわよ!」
「はは、まあいいじゃないか」
 父親のとりなしに、ジョミーは喜色満面になって飛び上がる。
「やったぁ!苺がいっぱい載ってるの買ってきてね!」
「分かったよ。行ってきます」
「行ってらっしゃーい!」
 機嫌よく父親に手を振っていると、背後から母親の急かす声が聞こえてくる。
「ほらほら、あなたも急ぎなさい」
「はーい」
 ジョミーは残りのパンをジュースで胃の中に流し込みながら、急かされるまま立ち上がって通学鞄を持って玄関に向かった。
「行ってきまーす!」
 行ってらっしゃい、と。母親のやわらかな声が聞こえてくるのを背後に、ジョミーは外へと飛び出していった。


|| BACK || NEXT ||