地球の上空、シャングリラは濃い雲海の上をゆったりとどこへ向かうでもなく漂っていた。現在シャングリラがいる位置とは惑星を挟んで逆の方向に太陽があるため、その白い船体はほのかな月明かりに照らされて、夜空の黒藍に神秘的な様相で浮かび上がっている。深い色をした夜空に浮かぶ巨船のその様は、かつて宇宙鯨と呼ばれていたに相応しいゆったりと神秘的な様を呈している。
その内部で乗組員が皆寝静まっている中、展望デッキで一人、トォニィはガラス越しに輝く月と星とを眺めていた。惑星を包む大気は澄み渡っていて、月も星も冴え渡るような美しくどこか冷たい光を注いでいる。トォニィは何とはなしに視線を下ろして、雲海の下に広がっている自然あふれる大地に思いを馳せた。
(……あれから、もう四百年も経つのか……)
思い出すのは、地球を訪れた二度目のとき。そして、美しい地球を目にした最初のとき。
傲慢に過ぎるきらいのあるクリスに、過去の悲劇の実物――荒れ果てた地球を見せようと訪れた宙域でそこにいた全員が目にしたのは、水と緑にあふれる青く美しい惑星の姿だった。普通ならばありえないその再生は、ジョミーの最期の願いがもたらした奇跡だった。
そして一度は生物の姿が消えた奇跡の地に、トォニィたちが乗るシャングリラはアルテメシアから居を移した。ジョミーを奪った地球のことがトォニィは大嫌いだったけれど、ジョミーが最期の力を振り絞ってまで再生させたこの惑星を見守るのは、ジョミーの思いを受け継いだ者としての義務だと感じたからだった。
アルテメシアに降りようとしないでシャングリラに残っていたミュウたちの中にも、地球に移り住むことを反対する者はいなかった。慣れた場所を移り住む理由には十分なほど、あの時代を生きたミュウたちにとっては地球という惑星は大切なものだった。地球は、ミュウたちにとって希望の地だったのだ。
けれど新しく生まれた人やミュウたちは、遠い地球よりも慣れ親しんだ場所で暮らし続けることを望む者の方が圧倒的に多かった。それは、SD体制が存在していた頃には人類の皆が持っていた地球への思慕が、機械によって植えつけられたものであるということを如実に示していた。
しかしだからと言って移住を希望する者がいなかったわけではない。好奇心が強い者、美しい地球の画像に魅せられた者、地球へ行きたがっていた先祖の志を継いだ者等々。理由は様々であるが、移住を希望した少数者たちのみが地球へと移り住んだ。少数者とは言っても、各星々から集まった数を合計すると相当な人数になったことを追記しておく。
そして、地球のグランドマザーが破壊されて、人類が機械の支配下から逃れて五百数年。現在地球では、人とミュウとが入り混じって暮らしている。その人口比率はほぼ半々だ。
それは地球に限ったことではなく、他の惑星においても言えることだ。一時期は生まれてくる赤ん坊の八割を超える数がミュウだったこともあるが、それも人とミュウとの総人口が変わらないようになったときから緩やかに減少を始め、現在では人もミュウも同じぐらいの割合で生まれてくるようになっている。しかもそのミュウたちは、身体に欠陥を持たない完全なミュウであった。もちろん人の中に時折身体的欠陥を持つ者が生まれるように、ミュウの中にもそのように生まれついた者がいないわけでもないのだが、ほとんどのミュウは健康に生まれるのが普通になっている。
しかしミュウの数が増えるにつれて、何故か個々のミュウが持つ力が弱くなっていった。それを示すようにここ五百年の間に生まれたタイプブルーは、四百年前に生まれたクリスと他に一人だけである。いや、確かつい最近もう一人生まれたらしいから、合計三人か。それにしても少ないことに変わりはない。タイプブルーに次ぐ力を持つタイプイエローでさえ、十年に一度生まれるか生まれないかになっている。
人との争いはもう終わったのだから、強烈なまでの力を有するミュウが生まれる必要はないかもしれない。けれど新たに生まれてくるミュウたちの力が弱くなっていったことで、トォニィを中心とするナスカで生まれた者たちは、己の異質さを前よりいっそう強く思い知らされることになっていた。
地球を目指していた当時に生きていたミュウが全て死んでしまったのも、トォニィたちの孤独に拍車をかけていた。ミュウがいくら長寿とは言え不死ではないのだから、いつか死ぬのは当然のことだ。けれど、あの当時生きていたミュウが全て死んでしまった中でも、トォニィたちはまるで衰えを感じることなく暮らしている。
そのせいで、ジョミーからソルジャーとしての地位を譲り受けて五百年経った今でも、トォニィはソルジャーであり続けていた。何か事があればすぐにでもクリスにソルジャー位を譲ろうと思っていたのに、事件と言うほどの事件が起こったことはほとんどなくて、しかもそうこうしているうちに、次のソルジャーにと見込んでいたクリスの命に終わりが見え始めてきた。
クリスはトォニィたちよりも百年以上も後に生まれた。しかもタイプブルーである彼は、普通のミュウたちよりも寿命が長いはずなのだ。そんな彼でさえ、トォニィたちよりも先に死んでいく。
その事実は、ミュウの中にあってもトォニィたちが異質であるということを誰の目にも明らかにした。
サイオンパワーが強力だとかそんなことではなくておそらく、トォニィたちナスカで生まれた者と普通のミュウとでは、根本的に何かが異なっているのだろう。ナスカの子は、ジョミーの願いから生まれた。そしてジョミーの精神構造は、人のものともミュウのものともかけ離れて強く繊細なものだった。ナスカの子が他のミュウたちと違っているのは、おそらくはそのためだ。
この異質でさえ、ジョミーからもたらされたものだと考えると、トォニィには愛しく感じられる。けれど時折、それを寂しく感じることも事実だ。
トォニィはソルジャーとして、タキオンとペスタチオとツェーレンは人とミュウとの関係を取り持った者として尊敬されているため、周囲から異質だと思われても迫害されるようなことはない。それはきっと幸せなことなのだろうが、それでも寂しいことに変わりはなかった。
(……ジョミー……貴方がいればきっと、こんなふうに寂しく思うことなんてないのに……)
トォニィは大きなため息を吐いて、補聴器に手を当ててから再び夜空を見上げた。
時折、こんなふうに眠れない夜がやって来る。そんなときはこうやって展望デッキから月を見上げて、ジョミーのことを思い出すのがトォニィの常となっていた。
他の誰よりも、実の親よりも大好きだった。あの人のためなら何だってできた。冷たくふるまっているくせに心の中では泣いてばかりのあの人を、どうにかして慰めたかった。あの人の憂いを消すためなら、どんなことだってためらわなかった。きっと自分は、あの人のために生まれてきたのだと、トォニィはずっとそう思っていた――否、違う。今でもずっとそう思っている。
ともに過ごすことができたのは、生まれてからほんの数年だけだった。しかもジョミーがいなくなってから五百年も経つというのに、トォニィの中で彼の存在が薄れることはない。むしろ時が経つにつれ、もう二度と会うことさえかなわない人に対する思いが募るばかりだ。
ジョミーが生きていたときには好きだとしか言えなかったけれど、今の感情に相応しい言葉なら好きではなくて愛している、だ。あの頃は、ただジョミーの一番になりたいと必死になっていて、自分の感情を深く突き詰める余裕なんてなかった。ただ好きで、好きで、好きで――愛していると言うことさえできないほど余裕がなかった自分を今から思い返すと、お前はまだ子供なんだと何度も言われた言葉は決して間違いではなかったのだと実感する。
そして同時に考える。あの時代、ジョミーと肩を並べることができるぐらいトォニィが大人だったなら、何か変わっていただろうかと。
しばらくの間、そう思って月を見上げていたトォニィだが、やがて諦めたようにため息を吐いて踵を返そうとする。しかしふと、奇妙なことに気付いて足を止めた。
(……?……何だ、これは……?)
船の外――地球を取り巻いている空気が、やけに騒がしい。忙しないと言うかそわそわしていると言うか、まるで何かを待ちわびているようだ。地球に移り住んで四百数年、今までこんなことはなかった。
おかしなこともあるものだと思いながら、けれどそれ以上気にかけることもなくトォニィは今度こそ踵を返して自室へと戻って行った。
それから数時間後。シャングリラに燦然と輝く陽光が差し始めたとき、自室で眠っていたトォニィは突如世界が震えたような衝撃を受けて、弾かれたように飛び起きた。
シャングリラの漂っている遥か下方――地上にて、この五百年の間ずっと求め続けてきた気配が存在するのを、突然感じたのだ。
「……ジョミー……?」
その存在はまるで、世界を照らし出す太陽のように鮮やかで明るい光。自分がその光を判別し間違えることなどありえるわけがないとトォニィには分かっていたけれど、それにしても信じられなかった。
なぜならば、ジョミーはとうに死んでしまったはずなのだ。五百年前に地球の地下で、トォニィに全てを託して。
けれど数百キロの彼方から感じるこの懐かしい存在感が、ジョミー以外誰の者であると言えるのだろう。
信じられない気持ちで、しかしどうしても期待する気持ちを止めることができないままトォニィは、寝起きのまま懐かしい気配の存在する場所へと思念の糸を伸ばす。
とたん、思念の糸を伝って耳を打ったのは命の声だった。全身で泣いてわめいて、自分の存在を世界に知らしめている赤子の産声。言葉にならない声を上げて、ただひたすらに泣き叫ぶそれは、ついさっき生まれたばかりの赤子が発するものだった。
そしてトォニィが求め続けた気配は、分娩室らしきところで産湯に浸けられて体を清められているその赤ん坊から発せられていた。
(……ジョミーだ……)
何の根拠もなく、トォニィはただそう思った。
(……これはジョミーだ……ジョミー……)
信じられないほどの驚愕と歓喜に見舞われたトォニィは、半ば呆然としたままその赤ん坊に手を伸ばそうとする。と言っても、トォニィがここに飛ばしているのは実体でも思念体なく単なる思念の糸――言わば千里眼でこの場所を覗き見ているようなものなので、手を伸ばしたってシャングリラの中にいるのだからその手が届くわけもないのだが、茫然自失状態のトォニィはそんなことに気付いていない。
(ジョミー……ああ、貴方だ……ジョミー、ジョミー、ジョミー……!)
そんなふうに感極まっているトォニィを現実に引き戻したのは、仲間たちの無常なる怒鳴り声だった。
「うるさーい!」
「今何時だと思ってるんだ、この馬鹿がっ」
「せっかくいい気分で眠ってたのに!」
ツェーレン、タキオン、ペスタチオの順に声が聞こえてきた後で、タキオンの遠慮容赦なしの拳が頭に振り下ろされる。サイオンの扱いのみならず、戦闘全般においてはミュウの誰よりも優れているトォニィである。普段ならばタキオンの攻撃ぐらい避けられただろうが、茫然自失状態だった今それができるかどうかと問われれば、明らかに否だった。
「っ……!」
痛みのあまり、トォニィは頭を抱えて悶絶した。精神が乱れたせいで、伸ばしていた思念の糸がぷつりと切れて、分娩室の中の光景――より正確に言うのならば赤ん坊の姿が視界の中から消えてしまう。そのことに苛立ちを覚えながら、トォニィは顔を上げて闖入者三人の顔を鋭い目で睨み付ける。
「何するんだよっ?」
「それはこっちのセリフ!」
「ペスタチオの言うとおりだ。人がせっかく気持ちよく眠ってたのに、朝っぱらからいきなり騒ぎ出しやがって……」
「ジョミーの夢見てたのか何かは知らないけど、ジョミージョミーって思念筒抜けでうるさいったらありゃしないわよ!」
「……本当に?」
トォニィはわずかばかり顔を引きつらせる。子供の頃なら別に思念が筒抜けになることぐらい気にしなかったが、大人になるとそれがとてつもなく恥ずかしいことなのだと悟った。大人としてだけではなくてソルジャーとしての体面もあるからなおさらである。ジョミーのことを好きだと知られるのが恥ずかしいわけではない。ジョミー以上に大切なものなんてないと思っていることを知られるのが恥ずかしいのだ。しかもそれもまた一般的な羞恥の感じ方とは違っていて、ジョミーに託されたソルジャー位に相応しくない自分を恥ずかしいと思うのだから、救いようがない。
だがしかし、トォニィのジョミー至上主義について嫌と言うほど知っているナスカの仲間たちは、顔を引きつらせているトォニィを見て顔を見合わせると、仕方ないとでも言いたげに一様に肩を落として口を開いた。
「ま、聞こえてたのは多分あたしたちぐらいだと思うけど?」
「俺もそう思う。トォニィは馬鹿みたいに強くジョミーの名前を呼んでいたけど、聞こえたのは俺たちの感知能力が強いせいってのもあるだろうしな」
「そうそう。皆に聞こえてたら、船の中がこんなに静かなわけないもの」
「……そうか……」
(良かった……)
安堵のためほっと息を吐いたトォニィだったが、すぐに先ほどまでのことを思い出して叫び声を上げる。
「ってそんな場合じゃないんだ!」
「じゃあどんな場合なのよ」
すかさずツェーレンからつっこみが寄せられるが、トォニィは全く気にせず続きを叫んだ。
「ジョミーがいるんだよ!」
その言葉に返ってきたのは、何とも言えない空気と沈黙と視線だった。
「な、何だよ、その目は」
「……いや、やっぱり寝ぼけてたんだと思って」
「昔はよくやってたけど、ここ三百年ぐらいはなかったから久しぶりだね」
「現実を見ろよ、トォニィ。虚しくなるだけだぞ」
「うっ……!」
トォニィは言葉に詰まって顔を引きつらせた。
ジョミーの夢を見て寝ぼけたトォニィが、シャングリラ中に思念波を響き渡らせたというのは、ペスタチオの言うとおり過去何回も繰り返された事実である。さすがに赤ん坊が老人になるぐらいの時間が過ぎたころからはそんなこともなくなったのだが、昔はそれをよくやって睡眠不足になったらどうしてくれるんだと皆に怒られたものである。
しかし今回は、夢でもなんでもないのだ。シャングリラの遥か下方、地球の大地の上、確かにジョミーが存在する。それを確信しているトォニィはすぐに立ち直って、三人に言い返した。
「夢なんかじゃない!」
「まだ寝ぼけてるのね」
「殴れば目を覚ますか?」
「あ、あたしがやるー!」
うれしそうな顔をして手を振り上げるペスタチオの腕を振り払って、トォニィは真剣な顔をして怒鳴った。
「寝ぼけてなんかない!本当にあの人がいるんだ!疑うのなら見せてやるよ!」
そう言ってトォニィは三人の精神を無理やり体から引っぺがすと、今も鮮やかに感じる存在のある場所に彼らごと思念体になって瞬時に移動した。先ほどと同じ分娩室だった。違うのは、母親らしき人物に赤ん坊が抱かれていることだった。
『ちょっと、いきなり何するのよー!』
『相変わらず乱暴だな、お前は……』
『うー……気持ち悪い……』
『そんなことより、あそこを見てみろよ!』
ぎゃあぎゃあ文句を言ってくるツェーレンたちを丸っきり無視して、トォニィは母親に抱かれている赤ん坊を指差す。三人は不満そうな顔でトォニィが指差す方向に目を向けて、しばらくの間ぶちぶちと何か文句を言っていたが、それから数十秒もした頃には三人とも信じられないような顔をして目を見開いていた。
『おいトォニィ、マジかよ……』
『……あれって、まさか本当に……?』
『……ジョミーなの……?』
『だから、最初から言ってるだろうが!!』
トォニィが怒鳴り声を上げると、ツェーレンたち三人はトォニィを置いてびゅんと赤ん坊の近くへと飛んでいく。
『ジョミー!!』
『この感じ、本当にジョミーだ!』
『わあ、懐かしい!』
『おい、見つけたのは僕なんだぞ!』
トォニィも慌ててそれに参加する。これだけ騒いでも、分娩室の中にいる人間がトォニィたちに気付く様子はなかった。出産のとき母体にかかる痛みは言葉では言い尽くせないほどのもので、ミュウがいたらその苦痛の思念を受け取ってしまうから、産科の医者や看護婦にミュウはほとんどいないのである。母親もトォニィたちに気付く様子を見せないから、ミュウではないのだろう。
とにかく、大人気なく騒いでいるミュウの長と長老――ナスカチルドレンと呼ばれた者たちは今ではもう長老と呼ばれるようになっている――たちの姿が誰の目にもさらされることがなかったのは、幸運なことであった。
しばらくの間ジョミージョミーと騒いでいた四人だったが、やがてツェーレンが何かに気付いたように眉根を寄せた。
『……これってあれよね』
『あれって?』
『生まれ変わり、って言うんだっけ?』
ツェーレンの言いたいことが分かったのか、ペスタチオの問いにはタキオンが答える。それに引き続いてツェーレンが言った。
『お話の中にしかそんなのないと思ってたけど……本当にあったのね』
『何でもいいよ、そんなの。ジョミーにもう一度会えたんだから』
目の前にある赤ん坊の存在に意識を奪われて、うっとりしてそう言うトォニィだったが、ツェーレンがそれを叱り飛ばす。
『馬鹿!良くないわよ!』
『何でだよ!』
『確かにこの子はジョミーの魂を持っているかもしれないけど、ジョミー本人じゃないのよ!あたしたちのグラン・パじゃないの!それぐらい分かっているでしょう!?』
ツェーレンの叫びに、皆が黙り込んだ。唇を噛み締めて、彼女はさらに続ける。
『……この子の人生はこの子のものだわ。あたしたちが関わるべきじゃない』
『関わるぐらいいいじゃな』
『駄目よ』
タキオンの言葉を、ツェーレンは途中でぴしゃりとさえぎった。
『この子とジョミーは別の存在だって割り切ってみること、あたしたちにできる?……できないでしょう?』
それは考えてみるまでもなく明らかな事実だったので、皆が黙り込んだ。ジョミーの存在は強すぎて、あまりにも鮮やかにトォニィたちの中に残っている。その生まれ変わりである存在を、前世と切り離して考えることなど不可能だ。
『……でもこの子は、タイプブルーだ。今はまだ目覚めていないけど、すごく強い力を持っている。同じタイプブルーがサイオン指導に当たらないと、取り返しのつかない事態が起こるかもしれな』
『クリスがいるでしょ』
往生際悪くあがこうとしたトォニィもまた、ツェーレンに撃墜された。ツェーレンの言っていることは正しい。正しいから、反論することはできない。暗い顔で黙り込んでいるトォニィとタキオンとペスタチオに、反してどこか明るい顔をしたツェーレンが悪戯っぽい口調で言う。
『何暗い顔してるのよ。クリスが指導にあたるってことは、あたしたちはクリスを通してこの子の様子を見守ることができるってことよ?』
その言葉に、はっと気付いたようにペスタチオが顔を上げる。
『それってつまり、クリスの記憶映像からジョミーのとこだけ抽出して写真、ビデオは撮り放題、成長記録はバッチリ確保ってことよね』
タキオンとトォニィも顔を上げて、希望を与えられたような顔になった。
『そういうこと!直接会うのは駄目でも、それぐらいはやってもいいでしょ。便利な力があるんだからこんなときに使わなきゃ損でしょ。何のためのサイオンだと思ってるのよ』
少なくとも、こんなときのためのものではない。しかし誰もつっこむ者はいなかった。
『でも、あの生意気野郎が素直にそんなことさせるか?』
『馬鹿だなタキオン、小さい頃つかんだネタを使って強請ればいいだけだろ』
悪辣なことをさらっと口にするトォニィを咎める者は誰もいない。皆がとてもイイ笑顔で賛成している。
『そうよね、小さい頃散々手間かけさせてくれたんだから、これぐらいやってもらわないとねー』
『うんうん、割に合わないよね』
『たまには役に立ってもらわないとな』
しかし直後。
『でもそれじゃあ、生身で会えるのはこれが最初で最後ってことよね……』
ペスタチオの言葉で一気に皆が沈み込んだ。自分たちが現在生身ではなくて精神体だということに言及するものはいなかった。彼らにとってみれば、生身も精神体も大した差はないのである。
『……ジョミー……』
『この年で泣くなよトォニィ!寂しいのは皆一緒なんだぞ』
『そうよ……ううう、ジョミー……』
母親と赤ん坊がいるベッドの上に浮き上がった四人がそうやってしんみりしていると、疲れた顔で赤ん坊を抱いている母親のところに、一人の男性がやって来る。
「シルフィ!間に合わなくてすまない!急いで帰ってきたんだけど……」
「気にしないで……出張だったんだから仕方ないでしょう?そんなことより、この子を抱いてあげて」
「あ、ああ」
どうやら赤ん坊の父親らしい。
「こ、こうでいいのか……?」
「ええ。首はちゃんと支えてあげてね」
「分かってる……かわいいなぁ」
父親は母親から渡された赤ん坊を見て顔を緩めて、それから母親へと視線を移して情けない顔になる。
「それで名前なんだけど、まだ一つに絞れてなくて……」
「あら、ちょうど良かった」
「ちょうど良かったって……」
「ついさっきね、この子にぴったりの名前を思いついたの。この子はジョミー」
しんみりしていた四人は聞くともなしにその会話を聞いていたのだが、後半の言葉を聞いた時点で皆がぴたりと動きを止めて、機械仕掛けの人形のようにぎこちない動きで顔を見合わせた。
『これって……』
『……まさか私たちのせい……』
『いや、偶然だって可能性も……だってこの人、ミュウじゃないだろ?』
『でも偶然とか、確率的にありえないと思うけど……』
「何だかね、声が聞こえた気がしたのよ。ジョミーって。天のお告げみたいでしょ?だからこの子の名前はジョミーなのよ」
それを聞いて、トォニィたちは四人そろって顔を引きつらせる。ふと、トォニィが何かに気付いたような顔になって、さらに顔を引きつらせて言った。
『……この人、潜在ミュウだ……ミュウとして目覚めるほど力を持ってないけど、人間よりはずっと感能力が高い』
『ってことはつまり……』
恐る恐る問い返したタキオンに、トォニィは神妙な顔で頷いた。
『名前がジョミーに決まったのは、僕らがジョミージョミーって騒いでる声をほとんど意識しないところで聞き取ったせいだろうな』
その言葉を聞いたペスタチオは、肩を震わせながらトォニィを怒鳴りつける。
『馬鹿ー!!』
『なっ、僕だけのせいじゃないだろ!ペス、お前だって同罪だ!』
『そんなことより、どうするのよこれー!?干渉しないって決めたそばから干渉しちゃってるじゃないのよ!』
『どうするって言ってもどうしようもないだろ!?』
困りきったトォニィたちの叫び声が、人には聞こえない音でもって朝の空気を大きく震わせた。