無題(仮)

 私立シャングリラ学園。その高等部校舎の屋上で昼休み、給水塔の影に隠れるようにして――と言うか実際に隠れているのだが――ジョミーはパンを食べていた。昼食用にと持ってきた弁当は、すでに早弁済みだ。
(全く……どうして僕がこんなふうに隠れなきゃならないんだか……)
 一個目のパンを食べ終えたジョミーは、ずずーっとわざと音を立ててパックの牛乳を飲むと、大きなため息を吐く。
 昼食時だけではない。シャングリラ学園に入学してから早一ヶ月と数日。朝の登校時から下校のときまで、ジョミーに安らぎの瞬間はない。
(それもこれも、全部あいつのせいだ……!!)
 思わず拳に力が入ってしまい、手に持っていた小さな牛乳のパックがめきょっと音を立ててつぶれ、しかもその中にはまだ十分に中身の入っていたためストローからあふれ出た白い液体がぱたぱたと屋上の床に散る。
 そのことに全く気付かず、ジョミーは怒りと屈辱に震えながら、ジョミーの平穏な日常をぶち壊してくれたブルーという男のことを思い出していた。
 ブルーとは、入学式の日にジョミーが高校生活に対する夢と希望とを抱いて学園の敷地に足を踏み入れた瞬間、どこからともなく現れて突然ジョミーに告白してきた男のことである。
 もちろんジョミーは同性愛の嗜好なんてものは持ち合わせていなかったので、その場でお断りを申し上げたのだが、ブルーは聞いちゃあいなかった。それから毎日、ブルーは暇あらばジョミーに会いに来て、愛をささやいてくる。
 「好きだよ」に始まって「かわいいね」「愛してる」「僕の天使」「マイハニー」、その他諸々。思い出すだけで鳥肌が立ってきそうな言葉で話しかけてくるブルーは正直、ジョミーにとっては未知の生命体にしか思えない。最近ではもう宇宙人に見えてきた。
 しかし周囲の皆にとっては違うようで、ブルーはシャングリラ学園の生徒たちにとっては尊敬すべき生徒会長であるらしい。あんなののどこが尊敬できるのかは、ジョミーには果てしなく謎であるのだが、周囲の評価がそうである以上悪いのは性別関係なしにジョミーに迫るブルーではなくて、ブルーを拒み続けるジョミーということになっていた。
 シャングリラ学園は中高一貫教育で、外部からは少人数しか入学を受け付けていないので、上級生だけでなく同級生もほとんどがブルーの味方だ。ジョミーの味方はほとんどいない。まさしく四面楚歌だ。
 数少ない良識的な者たちやジョミーと同じ外部入学組の者、幼馴染のサムやらはジョミーの不遇に同情してくれている。しかしもう一人の幼馴染のスウェナなどは、外部入学組のくせに何だか知らないが全面的にブルーの味方……と言うにはまた何か違うような気がするが、どうにかしてブルーとジョミーをくっつけようとしてくる。最近のスウェナは何だか怖いので正直どうにかして欲しい。
 気がついたら男同士の恋愛を書いた本なんてものを見せられるのだから、ジョミーはたまったものではなかった。
(僕の高校生活がぶち壊されたのも、上級生とか同級生どころか先生にまでさっさと諦めてくっつけってせっつかれるのも、スウェナが最近変なのも全部あいつのせいだー!!!)
 最後のは正直あんまり関係ないかもしれないと思ったが、都合の悪いことは全てブルーに押し付けることに決めた。そうすることに罪悪感を全く感じないぐらい、ジョミーにはストレスが溜まっていた。
 ジョミーも男なのだから、男に好かれたってうれしいわけがない。自分に関係のないところでなら別に同性愛ぐらい好きにやればいいと思うが、自分が巻き込まれるのは話が違う。
 それなのに、周りの人間のほとんどはジョミーの方がおかしいみたいな反応をしてくるので、もううんざりだった。
(大体、男の僕にかわいいって何だよ……!ちょっと自分がカッコいいからって……!!)
 ジョミーは憤慨しているが、高校生にもなって155センチしかない低身長と中学生にしか見えない童顔では、かわいいと言われても仕方がない。
 一応ジョミーもそのことは自覚しているため、最近では背を伸ばそうとがんばって嫌いな牛乳を飲んでいるんだが、今のところ成長の気配は見られない。
(僕の身長が伸びないのもブルーのせいだ!!)
 どこから聞いても理不尽なことまでブルーに押し付けていると、そのとき不意に屋上の扉が開く音がした。
「っ……!」
 ジョミーは思わず跳ね上がるが、すぐに息を潜めてその場で小さくなった。
(ちょっ、誰だよ!屋上は立ち入り禁止なのに!)
 自分もそこに無断で入っているという事実は、都合よく忘れてジョミーは心の中で闖入者を罵る。
(ここまで見つかったら、僕の安息の地がなくなるじゃないか……!)
 校舎内ではどこにいてもブルーに発見されてしまうので、ジョミーに安心できる場所なんてものはほとんどないのだ。そんな中で、唯一見つけた安息の地でくつろいでいるところを誰かに見られてそれがブルーの耳に入ったりしたら、今度からこの場所でも休めなくなってしまう。
 そう思ってジョミーは給水塔の裏で息を殺すが、無常にも足音はゆっくりとジョミーがいる方へと近づいてきて――。
「ジョミー!」
 そんな声とともに、見慣れたオレンジ色が飛びついてきた。ジョミーは安堵のあまり、大きく息を吐いて肩を落とした。
「……トォニィか……驚かせないでくれ……」
 脱力しているジョミーにかまうことなく、一つ年下のハトコ殿はジョミーに抱きついたままご機嫌そうににこにこ笑っている。
 いつものくせで、無意識のうちにオレンジ色の髪の毛を撫でてやっていたジョミーは、ふとあることに気付いて動きを止めた。
「……お前、どうして高等部の校舎にいるんだ?」
「たまにはジョミーと一緒にお昼食べようと思って。駄目だった?」
 トォニィはしゅんとしょげた様子で見つめてくる。とっくにジョミーの背を抜かしてしまって最近では随分と大人びてきたトォニィだが、そうしていると昔ジョミーの後をくっついて回っていた子供の頃とまるで変わっていないように見える。
「いや、別にそれはいいんだけど、何でこの場所が分かった?」
「だってジョミー、昔から高いところ好きだったでしょう?あと、立ち入り禁止の場所とか見つけると絶対入ってたよね。だから屋上かなーって」
 小さい頃からよく一緒に遊んでいたハトコには、ジョミーの行動パターンなんてものぐらいお見通しだったようだ。
「……よく覚えてるな、そんなの」
「うん!大好きな人のことなんだから、それぐらい当然だよ!」
 そう言って、ジョミーに抱きついてくる腕にぎゅうっと力をこめてくるトォニィは、まるで大型の犬のようだ。小さい頃からトォニィのこんな行動には慣れっこのジョミーだが、トォニィが大きくなってきた最近では少し暑苦しいのでやめて欲しい。と言うか、自分より小さかったトォニィが大きくなってしまった事実にムカつくのでやめて欲しい。
 ジョミーはトォニィをべりっと引き剥がして、大きなため息を吐いた。
「お前は大きくなったよな……」
「ジョミーより大きくなるためにがんばったんだよ」
「……黙れ、縮め。僕より大きくなったお前なんか知るもんか」
「ひどいや!」
 ジョミーのたった一言で世界が終わるとでもいうような悲愴な顔をするトォニィ。体がいくら大きくなっても、そういうところは本当に昔と全然変わらない。ジョミーのことを好きだと公言しているところも、年も考えずジョミーに抱きついてくるところも、子供の頃のままだ。
 抱きついてきたり好きだと言ってくるのはブルーと変わらないはずなのに、トォニィのことを嫌だと感じないのはやはり、トォニィが子供だからなのだろう。
 そしてその子供が、ジョミーの発言で泣きそうな顔になっているのを、元来面倒見のいいジョミーに放っておけるわけがなかった。仕方なくため息を吐くと、トォニィの頭に手をやってくしゃくしゃに髪の毛を撫でてやる。
「嘘だよ」
 いつもならトォニィはそれだけで機嫌を直すはずなのに、今回は何故か複雑そうな顔をしてぷいっと視線を逸らした。
「……また子ども扱いする」
「ん?ならもう頭撫でるのやめようか?」
「それは嫌だ!」
 即答するトォニィを見て、そういうところが子供なんだろと思うジョミーだったが、これ以上言い争うのが面倒だったのでそれを口にすることはなかった。



◇ ◇ ◇



 昼休みが終わるギリギリの時間に教室に戻ったトォニィは、いくらか不機嫌そうな顔で自分の席に着いた。そのまましばらくの間外を眺めていたが、唐突に臨席の幼馴染に話しかける。
「なあタキオン」
「何だ?」
「どうやったらジョミー、僕のこと子ども扱いするのやめてくれるかな?」
「子ども扱いされてるから、抱きついても許してもらえるし、好きだって言っても警戒されないんだろ。それとも、ソルジャー・ブルーみたいに近寄るたび顔をしかめられて逃げられたいのか?」
「それは嫌だけど……」
 昔から言っている好きが恋愛のものだと知られれば、ジョミーは今までのようにくっついて甘えることを許してはくれないだろう。けれど、どれだけ好きだと告げてもまるで本気に取ってもらえないなんて、はっきり言って生殺しである。
 どうすれば状況が好転するのか思いつくことができず、トォニィは大きなため息を吐いた。


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