感情の読めない顔をして、ジョミーは緑あふれる丘の上に立っていた。太陽の光を集めたような色をした髪の毛は、まるでブルーに撫でられることを待っているようにサラサラと風に揺れ、緑の息吹を凝縮したような美しい瞳は、どこか切なげに沈みゆく太陽に向けられている。ブルーと出会った14歳のまま成長を止めたために、ジョミーの白い頬はまろやかな線を残してどこか幼げで、思わずかぶりつきたくなるほどの愛らしさだ。
(かわいいな)
れっきとした少年であるジョミーにそんなことを言ったら、かわいらしくすねられるか、かわいいって何ですか!と食ってかかられるかのどちらかだと分かっている。だから、心の中でいくらかわいいかわいいと思っていても、それを口に出したことは一度もなかった。けれど一度ぐらい、そんなふうに抗議されてみたいとブルーはこっそり思っていた。憤りと羞恥に震えて抗議してくるジョミーの様は、果たしてどれだけ愛らしいのだろうかと考えると、それだけで頬が緩む。
もちろん、ジョミーがまだ赤ん坊の頃からずっと見守り続けてきたブルーであるからして、ジョミーのそんな表情を見たことがないのかと問われると答えは否で、そんな表情を見たことも一度や二度ではすまないぐらいだ。けれど、それが他人に向けられたものであるのと自分に向けられたものであるのとでは、大きな差がある。だからと言って、この世の誰よりも愛しい彼を怒らせるのは本意ではないから、これからもブルーがそれを口に出すことは一生ないのだろう。
切なげに夕日を眺めていたジョミーが、ふと弾かれたように肩を揺らして、ゆっくりと振り返る。花のような唇が小さく動くのが見えたが、それが何と言っているのか、ブルーには分からなかった。ただ、ブルーの名前を呼んだのではないことだけは確かだと、唇の動きからそれだけが分かった。
それが寂しくて少しばかり沈み込んでいると、丘の上に立っているジョミーのところに、一人の青年が駆け寄る姿が目に入った。夕日に照らされて、まるで炎のように光る髪の色がひどく印象的だ。
(誰だ……?)
見覚えのない姿に、ブルーはひっそりと眉根を寄せた。仲間の中に、あんな姿をしたミュウはいなかったはずだ。あんな鮮やかな緋色を持つ仲間は、ブルーの記憶にはない。では人間だろうかと一瞬考えるが、彼が身につけているのは明らかにミュウの衣服だ。しかも良く見れば、普通のミュウが着る服ではなくてソルジャーが着ているのとそっくりの服を着ている。
本当に誰なんだと思っていると、ジョミー目がけて一直線に走りよっていたその青年は、手が触れる距離まで近づいたとたん、ジョミーの華奢な体を己の腕の中に閉じ込めた。
(なっ……!)
ブルーは目を見開いた。まず襲ってきた感情は、驚愕だった。けれどすぐに、どうしようもないほどの怒りが胸を占める。
誰よりも愛しい少年が、目の前で他の男に抱きしめられていて、それを許せるわけがあるだろうか。憤りに任せて、ブルーはジョミーとその青年を引き剥がそうと腕を伸ばしたが、その腕は何故かするりと二人の体をすり抜けた。
(え……?)
どうして、とブルーは呆然となった。
その間に、緋色の青年に抱きしめられていたジョミーは、青年の胸を押し返してむっとしたような顔で文句を言っている。すぐ近くにいるというのに、何故かジョミーの声が耳に届くことはなかった。また青年もジョミーも、ブルーがこの場にいることに気付いた様子はまるでない。
けれどそんなことよりもブルーを愕然とさせたのは、緋色の青年を見つめるジョミーの瞳が、限りない愛おしさを宿していたことだった。それは明らかに、皆に対する愛や優しさではなくて、たった一人に対する特別のものなのだと、ジョミーのことを見つめ続けてきたブルーにはすぐに分かった。
(……ジョミー……)
信じられない思いで、ブルーは目を見開いた。
◇ ◇ ◇
蒼の間にある広い寝台の上で、ブルーはゆっくりとまぶたを開いた。白いシーツの上に手をついて、ゆっくりと起き上がる。人の気配を感じて視線を下に向けると、ベッドの端に頭を乗せて、ジョミーが眠っている姿が目に入る。その側に、緋色の青年の姿がないことを確認して、ブルーは小さく息を吐いた。
(夢、か……)
けれど今見ていたのが、ただの夢ではないのだということは分かっていた。さっきの夢は、おそらく予知夢だ。
(もう予知夢なんて、長いこと見なかったのに……)
ミュウの中で予知の力を持つのは、フィシスだけだと思われている。しかし元々、フィシスの持つ力はブルーのものだ。美しいテラのイメージをその身に宿すフィシスを、人とミュウとの架け橋にしようとして、ブルーは自らが持っていた自分には必要ない力を与えて人間だった彼女をミュウとした。だから本当はブルーも未来を予知する力を持っていたのだ。
(予知の力は全てフィシスに与えたと思っていたのだが……まだ僕の中に残っていたのか……)
先ほど見た夢を思い出して、ブルーは大きなため息を吐いて、眠っているジョミーに手を伸ばして太陽のような色をした金糸に指を絡めた。そのままゆったりとした手付きで頭を撫でてやると、ジョミーは小さく身じろぎする。
「……ん……ぶ、る……」
起こしてしまったかと思って動きを止めるが、どうやら寝言だったようで、すぐにまた規則的な寝息が聞こえてくる。
そのことに安堵して、ブルーはほっと息を吐いた。同時に、幸せと苦しさに襲われる。
今のジョミーは、夢に見るほどブルーのことを気にかけてくれている。きっと今、好きなのだと、誰よりも君のことが大切なのだと告げれば、ジョミーはブルーの気持ちを受け入れてくれるだろう。まだ20年も生きていない幼い少年の敬愛の好きを、恋愛の意味での好きに変えさせることなんて、300年も生きてきたずるい大人には、やろうと思えば簡単にできる。
けれどそれでは駄目なのだ。ブルーの命は、今はもうほとんど残されていない。眠り続けて体力の消耗を抑えることで、何とか命をつないでいる状態なのだ。こんなボロボロの、いつ死んでしまうかすら分からない状態で、どうして愛を告げることなどできるだろう。老いぼれたブルーは、ジョミーと一緒に生きていくことはできない。ブルーはただ、愛しいこの子を残して逝くことしかできないのだ。
ジョミーのことを思うからこそ、愛しいと思うこの気持ちを告げることなんて、できるわけがなかった。
本当は、好きだと告げてジョミーの心を縛り付けてしまいたい。けれど、300年も生きている間に培われた理性が、その衝動を押し留める。ジョミーのためを思えば、それは良いことなのだろうが、衝動的になりきれない自分がブルーは少し悔しかった。
「……ジョミー……」
ブルーはそっと、誰よりも愛しい少年の名前を呼んだ。
見知らぬ緋色の青年。彼に抱きしめられるジョミーの姿。夢で見たあの光景は、いったい何年後、いや何十年後、あるいは何百年後にやって来るのだろう。愛しいこの子を、誰にも渡したくないと思う。けれどそれ以上に、ジョミーには幸せになってほしいとブルーは思うのだ。
遠い未来で、緋色の青年と思いを通わせ合うジョミーの邪魔をしようとは思わない。
(けれど……眠っている間に思いを告げることぐらい、許してくれたまえ……)
ブルーはそっと身をかがめて、白く滑らかなジョミーの頬に唇を落とした。
「……愛しているよ、ジョミー……」
(たとえ告げることさえできない思いのだとしても……君の存在を知ったその瞬間から、君だけを愛している……)
そう思うと同時に、ジョミーが眠っている間でさえ唇一つ奪うことができない理性的で臆病な自分が、ひどく憎らしく思えた。
もうすぐ、自分の命は尽きる。300年もの間焦がれ続けたテラにたどり着けないことだけが心残りなのだと、14年前まではずっとそう思ってた。けれど今は、この愛しい少年を置いて死んでしまわなければならないことが、テラへたどり着けないのと同じぐらいに、もしかしたらそれ以上にブルーの心を締め付ける。
「君と共に、生きたかった……」
ブルーはぽつりと呟いた。けれどその願いが叶うことがないことは、誰よりもブルー自身が知り尽くしていた。
ジョミーの頬を優しい手付きで撫でながら、ブルーはゆっくりと目を瞑る。哀しみと諦めに満ちた涙が一筋、ブルーの白い頬を流れ落ちてジョミーの頬を濡らした。
そこに再び唇を寄せて涙の雫を拭ってから、ブルーは万感の思いを込めてささやく。
「……ジョミー……」
それ以上言葉なんていらないぐらい、その声に込められた感情は鮮やかで明らかだった。