「ではこれから、テラへ向けて最後のワープを行う。皆、用意はいいか?」
ブリッジの中央に立ってトォニィが指揮を取っていると、背後から少年の声が聞こえてくる。
「ねえ、ソルジャー・アスカ、どうして僕がわざわざ枯れ果てたテラなんか見に行かなきゃなんないわけ?あの汚らしい、茶色い惑星なんか見たって気分が悪くなるだけじゃないか。教科書に載ってる写真見るだけでも嫌なのに、実物なんか見たくないんだけど」
ナスカの子以降、初めて生まれたタイプブルーのミュウ、クリスの声だ。生意気な口を利くクリスを振り返って、トォニィは冷たい目で見下ろして言う。
「いいから静かにしていろ、クリス」
「っ……分かったよ!」
冷たい視線に怯んだように、クリスはわずかに体を揺らして、そのことに気付いたとたん表情を取り繕ってすねたような顔になってぷいっと顔を逸らした。それを、トォニィの隣に立っていたツェーレンが、おもしろいものを見るような顔で見ている。
「何だよ、ツェーレン?」
「ふふっ……だって、トォニィとクリス、昔のジョミーとトォニィみたいなんだもの」
「なっ……!?僕はジョミーには素直で従順だったよ!こんなクソ生意気なガキと一緒にするなよな!」
「クリスはトォニィにも反抗的だものね」
クスクス笑うツェーレンを、トォニィが不満顔でにらみつけていると、クリスの不思議そうな声が割り込んでくる。
「ジョミーって誰のこと?」
「ああ、そっか……教科書なんかじゃソルジャー・シンって書かれてるし、あの時代に生きてたミュウのほとんども、ジョミーのことソルジャーとしか呼ばないものね。ジョミーっていうのは、ソルジャー・シンのことよ」
「ソルジャーシン?ソルジャートォニィの前のソルジャーのこと?」
「……そうだ。ミュウと人類が共に生きる未来のために命を落とした、偉大なる前ソルジャーだよ」
ツェーレンとクリスの会話に割り込んでトォニィが言うと、むっとしたような顔をクリスは向けて、トォニィにとっては禁忌に等しい言葉を言った。
「偉大なるって言っても、結局機械に負けて死んじゃったんだろ。タイプブルーのくせに弱っちいやつ」
(こいつっ……!)
感情が、爆発しそうになった。自分自身のことなら、どれだけ馬鹿にされても軽く流せる……とまではいかなくてもそれなりに大人の対応をできる自信がある。けれど、ジョミーのことは――ジョミーが馬鹿にされるようなことだけは、どうしても許せなかった。御しきれないサイオンが、体を取り巻いて渦巻く。寸でのところで何とか自制したから、それが形となってクリスを襲うことはなかったものの、トォニィを取り巻くサイオンのあまりの凶暴さを見たクリスはそれだけで顔一杯に恐怖を浮かべて後ずさる。
それを無表情に見下ろして、トォニィは続ける。
「ジョミーのことを弱っちいって?はっ……馬鹿なことを。お前は、自分がタイプブルーで他のミュウより大きな力を持っているから、自分は偉いんだと思っているのかもしれないけどな、クリス。お前なんかじゃ、ジョミーには一生かかったって敵わなかっただろうよ。同じタイプブルーでも、お前なんかあの人の足元にも及ばないさ」
「っ……」
「ミュウの力は思いの力だ。どれだけ強大なサイオンを操ることができても、信念を持つ者と持たない者の間には大きな力の差が生まれる。何の信念も持たないお前に、いったいどれだけのことができるって言うんだ?」
泣きそうになっているクリスに、トォニィがさらに容赦ない言葉を浴びせようとすると、遠慮がちな声がその場に響いた。
「……ソルジャー……あの、用意完了しました」
「そうか。では、行こう。多くの人が、そして仲間が死んだあの惑星へ……クリス。テラに着いたら、100年前にあの惑星で何があったのかサイオンで読み取れ。あのときあったことをすべて知った上で同じことを言えたなら、お前の言うことを認めてやるよ」
トォニィはそう言うと、視線を上げてまっすぐに前を見つめて言った。
「ワープ!」
一瞬後、シャングリラは航海していた宙域を離れて、テラのあるすぐ近くの宙域へとたどり着く。他の惑星が邪魔をして、まだテラの姿を目にすることはできない。しかし、百数年ぶりにあの荒廃した惑星を目にする乗組員の間には、かすかな緊張が広がっていた。今シャングリラを操縦しているのは、昔なじみの者たちばかりだ。だから、テラが今現在どれだけひどい状態に陥っているのか全員目にして知っているけれど、それでもかつての期待を裏切られた衝撃は今になっても後を引いているということなのだろう。
やがて、巨大な木星の向こうに広がる宇宙が――テラの姿が視界に入ろうとする。そして次の瞬間ブリッジに広がったのは、声にならない驚愕の声だった。皆が息を呑み信じられないように目を見開く中、トォニィもまた同じように驚愕に襲われていた。
「まさか……こんな……」
目の前に広がるテラの姿は、かつてミュウの誰もが夢見た青い色を取り戻していたのだ。
「……ありえない……たった100年で、あの荒れ果てた惑星がここまで再生するはずが……」
トォニィのその言葉は、ブリッジにいる全員の心情を如実に表していた。画像でしかテラを見たことがないはずのクリスさえ、青く美しいその惑星を前に、言葉を失って立ち尽くしている。
ジョミーが眠るテラに、この100年の間にいったい何があったというのだろうか。そう思うと、たまらなくなった。
「僕は先にテラへ行く!ツェーレン、後は頼んだ!」
「ちょっ……トォニィ!待ち」
なさい、と続く言葉が聞こえてくる前に、トォニィはテレポートしてシャングリラから姿を消していた。
◇ ◇ ◇
テレポートした先は、緑あふれる丘だった。周囲には数え切れないほどの木々が立ち並び、色とりどりの花が咲き乱れ、側に川があるのか水のせせらぎが聞こえてくる。けれどその光景以上にトォニィの心を動かしたのは、テラの大気の中に広がるジョミーの思念の存在だった。
「……ジョミー……」
風が吹くたびに、ジョミーの優しい思念が体の中に伝わってくる。この惑星に再び命を、と。それだけを願った強く優しいジョミーの心が、このテラには満ちている。
「ジョミー……貴方は最後までテラのことを……」
トォニィにミュウと人との未来を預けた後、ジョミーは最後に残った力で、このテラを救おうとしたのだろう。たった100年ぽっちでここまでテラが美しく元の姿を取り戻したのは、それが原因なのだ。
トォニィは泣きそうな顔でうつむいて、拳を震わせた。強く握りすぎたせいで、手のひらに爪が食い込んで緑の地面にぽたりと血が落ちる。そのことに全く気付かず、トォニィは地面に向かって叫んだ。
「貴方は馬鹿だっ……こんな……たった100年で、テラにこれだけの水と緑を戻すほどの力が残っていれば、あれぐらいの傷治せたはずなのに……!!こんな惑星一つのために、どうして貴方が死ななければならなかったんだ……!!」
人類を生んだ始まりの惑星、テラ。その惑星を、再び美しい姿に戻すためにという理由で、トォニィはテラ付近の宙域を航行禁止に指定した。その理由に嘘はない。けれどトォニィは本当は、テラのことが大嫌いだった。
100年以上の昔、ジョミーがただひたすらに求め続けたこの惑星が嫌いで、それほどまでにジョミーに求められていながらジョミーの期待を裏切ったこの惑星が嫌いで、トォニィから永遠にジョミーを奪ってしまったこの惑星が、トォニィは大嫌いだった。けれどテラは、ジョミーがずっと求め続けてきた約束の地だったから、ジョミーが望んだ美しい姿にテラが再生するまで、ミュウも人間も誰も手を出せないようにした。
「テラなんて……こんな……!」
体のそこから湧いてくる憤りと哀しみを堪え切れなくて、オレンジの瞳から大粒の涙を流したトォニィの頬を、ふわりと包み込む手のひらの感触があった。
「泣くな……トォニィ」
「……え……?」
懐かしい声と気配に、思わず涙を止めて顔を上げたトォニィの目に飛び込んできたのは、100年前と全く変わらない姿で微笑むジョミーの姿だった。
「……じょ、みー……?」
「他の誰に見えるんだ?」
くいっと片眉を上げる仕草も、トォニィが知っているジョミーそのものだ。
「幻……?」
「どうしてそう思う?」
「だって、ジョミーは……あの地下で死んだんだ……生きてるはずが……」
「だが、僕は生きている」
そう言われても、目の前の存在を現実と認めた後、それが本物ではなかったと落胆する可能性が怖くて、トォニィは自分の目を信じられないで、目の前にいるジョミーを抱きしめることもせずただ立ち尽くしていることしかできない。
(嘘だ……ジョミーが生きてるなんて、そんな都合のいいことあるわけない……きっと、触った瞬間に消えちゃうに決まってる……)
そんなトォニィの様子を見て、ジョミーは少し困ったような顔をして口を開いた。
「……覚えている限り最後の瞬間、僕はこのテラに再び緑が息づくことを願って、残されたサイオン全てをその願いに使った……正直、死んだと思ったよ。でも、僕は生きていた。テラが僕を生かしたんだ」
「テラが……?」
「そうだ。テラは僕の力で再生に向かいながら、再生を促す力の持ち主である僕に恩返しでもしようと思ったのかな……ゆっくりと長い時をかけて僕の傷を癒した。だから僕は今も生きている。目が覚めたのは、二年ほど前だ。僕はすでに過去の遺物に過ぎないから、お前の前に姿を現す気なんて正直なかったんだが……お前が泣いたりするから……」
「じゃあ……貴方は本物のジョミーなの……?」
恐る恐るトォニィが問いかけると、ジョミーは飲み込みの悪い子供に対するような声で言う。
「だから、さっきからそう言っているだろう」
「っ……ジョミー!!!」
そしてトォニィはやっと、目の前にいるジョミーの華奢な体を抱きしめた。懸念とは違って、触れてもジョミーは消えなかった。腕の中に閉じ込めた体は温かくて、確かに生きていることを感じられる。力いっぱい抱きしめているせいで苦しいのか、トォニィの腕の中から逃れようともがく抵抗すら、うれしくてうれしてたまらなかった。
「ジョミー!ジョミー、ジョミー、ジョミー……ジョミー……」
(生きてる……本物のジョミーだ……!)
トォニィが泣きながらジョミーを抱きしめていると、やがてジョミーは逃れることを諦めたのか、体から力を抜いてトォニィの背に腕を回してトォニィのことを抱き返してくれる。腕の中に閉じ込めた華奢な体を思い切り抱きしめながら、トォニィは言う。
「ずっと……この惑星が嫌いだった……!でも、今は感謝する……この惑星が、貴方の命をつないだ……もう一度、貴方に会わせてくれた……!ジョミー……!ジョミー……ジョミー……」
それ以上何を言えばいいのか分からず、トォニィがただジョミーの名前を呼ぶこと以外何もできないでいると、腕の中から呆れたような声が響いてくる。
「……全く……お前はいつまで経っても変わらないな……」
「そうだよ……昔も今も、僕は貴方がいないと駄目なんだ……好き……好きだよ、ジョミー……だからお願い、もう離れないで……ずっと僕の側にいて……昔みたいに、無理やり貴方の体を奪ったりしない……側にいてくれるだけでいいんだ。貴方がソルジャーブルーのことを好きだっていい……貴方が側にいてくれれば、それだけでいい。だから……」
側にいて、と続けようとしたのだが、何故かその前に腕の中に閉じ込めていたジョミーから教育的指導が入った。みぞおちに、ゼロ距離からパンチを入れられたのだ。
「っ……じょ、ジョミー……?」
ゼロ距離からだったし、別にサイオンを使われたわけでもなかったので、たいした痛みはなかったのだが、それでも鈍い痛みを覚えたジョミーが思わず腕の力を緩めると、その隙にジョミーはトォニィの胸を押してトォニィと視線を合わせてくる。強い意志を宿した瞳を見て、ああやっぱり本物のジョミーだ、とトォニィが思わずうっとりしかけていると、突然叱られた。
「この馬鹿!昔からお前は自己完結してばかりで……人の話を聞く前に結論を出すのはやめろ!」
「う……は、はい……」
トォニィが反射的にしょぼんと落ち込むと、それを見たジョミーはため息を吐きながら言った。
「確か昔も否定した覚えがあるような気がするんだが……お前、ブルーと僕の関係をまだ誤解してるな?」
「誤解って……誤解なんかしてないよ。確かに体をつなげたのは僕が初めてだったみたいだけど、貴方とソルジャーは恋人同士だったんでしょう?貴方から譲り受けた補聴器で、ソルジャーと貴方がどれだけ互いを大切に思っていたのか、悔しいけど嫌と言うほど思い知らされた……」
トォニィの言葉を聞いたジョミーは、再度大きなため息を吐くと据わった目になって、トォニィの鼻先に指を突きつけて言った。
「それが誤解だと言うんだ。確かに僕はブルーのことを尊敬しているし、大切だとも好きだとも思っている。だが、それは恋愛感情なんかじゃない」
「嘘吐かなくてもいいよ、ジョミー……僕も大人になったから、ジョミーが誰のこと好きでも、ちゃんと我慢できる」
「ああもう!人の話を聞けって言ってるだろう、お前は!」
ジョミーはトォニィの襟元をつかむと、手に力を込めて暗い顔をしたトォニィを引き寄せて、おもむろに唇にキスをした。
「っ!?」
トォニィが驚きに目を白黒させている間に、唇は離れていってしまって、一瞬で離れたその感触が信じられないようにトォニィが唇を押さえていると、不機嫌そうな顔をしたジョミーがそっぽを向きながら言った。
「これで分からないなんて言ったら、今度は全力で殴るからな」
「っ……ジョミー!!」
トォニィは満面に喜色を浮かべて、ジョミーに思い切り抱きついた。
「ジョミー、好き!大好きだよ!!」
そう言ってトォニィが、息をすることも許さないほどの激しさでジョミーの唇を貪っていると、背後から大きなエンジン音が聞こえてくる。シャングリラが、ようやく地表にやって来たのだ。それに気付いたトォニィがジョミーの唇を離すと、そのときにはもうジョミーは息も切れ切れの状態になっていた。
くたっとなっているジョミーのことを、トォニィが満面の笑みで抱きしめて心底満足していると、シャングリラからツェーレンを皮切りに、乗組員たちが口々にジョミーのことを呼びながら飛び出してくる。かつてのソルジャー体質が身についてしまっているのか、人目が出来たとたんジョミーは体を預けていたトォニィの腕から意地になったように抜け出すと、少し引きつり気味だが穏やかな笑顔を浮かべて片手を上げた。
「やあ。久しぶり、皆。元気にしていたか?」
しかし皆、呆然とした顔で反応を返す者はいない。先ほどのトォニィと同じで、信じられないのだろう。そんな中で一人、ジョミーのことを知らないために興味津々という顔をしながらもおずおずと近づいてきたクリスに気付いたジョミーが、対子供用の優しい笑みをクリスに向けた。
「見たことがない顔だな……新しく生まれたミュウだね。おいで」
トォニィにクソ生意気と称される態度を引っ込めて、おずおずと遠慮がちに寄ってくるクリスを抱き上げて、ジョミーは晴れやかに笑って言う。
「僕はジョミー。ジョミー・マーキス・シン。君の名前は?」
「……クリス」
「そう、クリスか……いい名前だ」
そう言って、ジョミーがクリスの頬に唇を落とすと、クリスはぼっと耳まで赤くなり、トォニィは悲痛な叫び声を上げた。
「ジョミー!!クリスなんかにキスするなんて……ひどいよ、浮気だ!!」
「浮気って……お前な……」
クリスを腕に抱いたまま、ジョミーは心底呆れたような眼差しをトォニィに向ける。しかしトォニィはその眼差しにも怯むことなく、クリスとジョミーを引き剥がそうとする。しかしクリスは、真っ赤に顔を染めたままジョミーにしっかり抱きついて離れようとしない。
「このっ……僕のジョミーから離れろ!」
「嫌だ!」
もうすっかり大人になったはずのトォニィと、10歳にも満たない子供の、同程度かつ低レベルな争いを間近で見ることになったジョミーは、思わず大きなため息を吐いて言った。
「……大人になったんじゃなかったのか……?」