砂の城

「どーお、トォニィ?出力行ってる?」
「ああ……でもこれじゃ足りないよ」
「そっか……もう少し調整が必要ねぇ……」
 戦闘機のコックピットに座って、ヤエと話し合いながら出力の確認をしているトォニィを見て、アルテラはむぅっと頬を膨らませた。
(何よ……トォニィの馬鹿!あんなおたふくブスと話して……!)
 外見は16、7歳にまで成長しているが、サイオンを使って無理に肉体を成長させたアルテラがそんな仕草をすると、大人びた外見とは裏腹に意外なほどしっくりして見える。しかしその後、長いまつげを伏せて頬に影を落とした仕草は、間違いなく情緒の発達した少女の切なさを持っていた。
(あたしがせっかく……せっかく、自分の気持ち伝えようとしてるのに……)
 手に持っている、冷えたドリンクボトルを見下ろして、アルテラは唇を噛み締めた。あなたの笑顔が好き、とドリンクボトルの壁面には書いてある。先ほどアルテラが書いた文字だ。その文字を見つめていたアルテラは、すぐに顔を上げて気分を切り替え笑顔を形作ると、トォニィの背後からこっそりと近づいていって、無理に明るい声でトォニィの名前を呼んだ。
「トーォニィーちゃん!」
 同時に、ドリンクボトルをトォニィの頬に押し当てると、トォニィは目論見どおり驚いたような声を上げてこちらを振り向いた。
「っ……何すんだよ!?」
「ふふふっ……少し休んだら?」
 そう言って、ドリンクボトルを差し出すが、手を振っていらないと意思表示される。
「コンディションを完璧にしておきたいんだ。グランパの命令があったら、すぐに出なきゃいけないからな」
「んもうっ……トォニィったら、口を開けばジョミーのことばっか……」
 アルテラが顔を逸らして拗ねたような口調でぼやいても、返ってくるのは当然のような顔で開き直る言葉だ。
「悪いか?」
(……悪くないわよ……)
 トォニィの一番が誰なのか、アルテラはちゃんと知っている。いつだって、トォニィの一番はジョミーだ。他の誰も、その位置を取って代わることはできないだろうし、アルテラだってそんなことをしようとは思わない。ジョミーは偉大なるミュウの長で、トォニィやアルテラたちナスカの子が幼い頃は、他の誰よりも慈しみを向けてくれ、誰よりも大きな愛を与えてくれたグランパだ。今は、まるで便利な兵器みたいな扱いを受けていても、それは変わらない。
 だからたとえ何があっても、トォニィの一番はジョミーなのだ。まるで、刷り込みを受けた鳥のヒナのように、トォニィはただ一心にジョミーを慕っている。
(でも……)
「……たまにはあたしのことだって……」
「ん?何だって……?」
「べーつにーぃ!」
 アルテラはぷいっと顔を逸らして、トォニィのために持ってきたドリンクボトルの中身に、やけになったように口を付けた。しかしここで引き下がってはいつもと同じだと思い直して、飲みかけのボトルをトォニィに向かって差し出す。
「飲む?」
「いいよ。お前のだろ?」
 トォニィはこのボトルに、アルテラの気持ちが書いてあるなんて知らない。だからこんなふうに、どうでもいいみたいに断られるのだと知っていても、アルテラにはおもしろくなかった。
「っ……べーっ!!」
 アルテラは泣きそうになるのを堪えて、トォニィに向かってあっかんべーをしてやると、テレポートをしてその場から逃げた。伝えられもしなかった想いが、惨めだった。



「何よ……トォニィの馬鹿……馬鹿馬鹿馬鹿!!」
 テレポートした先で、アルテラは癇癪を起こしたように叫んでいた。
「一番になりたいって言ってるわけじゃないわ!……ジョミーにかなうなんてそんな大それたこと、思ったことなんて一度もないもの……でも……でもジョミーのことを思う100分の1ぐらい、あたしのこと考えてくれたっていいじゃない……」
 トォニィの一番はジョミー。
 トォニィが行動する理由も、いつだってジョミーのため。
 トォニィが生きている理由さえ、ジョミーのもの。
 そんなことは、物心ついたときから知っている。まだトォニィのことを好きになる前――ジョミーがまだ、ナスカの子らに優しかった頃から、ずっとそうだった。そして、ナスカの子どもたちの中で、ジョミーが誰よりかわいがっていたのはトォニィだった。だから、小さい頃はトォニィによく嫉妬したものだ。ジョミーはトォニィだけのものじゃないんだから!と言って喧嘩するのは、いつものことだった。ずっと前は、アルテラだってジョミーのことが大好きだった。
(でも、今は嫌い……ジョミーなんか、大っ嫌い!!)
 そう思って、アルテラが瞳に涙を浮かべていると、斜め後ろからトォニィの声が聞こえてきた。
「何黄昏てんだよ。らしくねーな」
 ハッとして振り向くと、トォニィが怯んだような顔になる。
「……泣いてんのか?」
「っそうよ……悪い?」
 挑むように言って、アルテラはぐいっと涙を拭った。
「あ、いや……悪くないけど、どうしたんだよ?」
「……何であたしたち、戦ってるの?」
「え……?」
「最初は、皆を助けたいだけだった。だけど、戦えば戦うほど……自分がっ、化け物だと自覚する……」
 ナスカの子どもたちは、総じて力が強い。一人一人が、ソルジャーであるジョミーに匹敵するとまではいかなくても、それに準じるぐらいの力を持っている。だから戦うたび、仲間であるミュウたちが鬼神のごとき強さを誇るアルテラたちのことを、心の中で恐れていくことを顕著に感じた。
 そのたびに、アルテラはどうしてと聞きたかった。

 ――あたしたちは皆のために戦っているのに、そのためだけに戦っているのに、どうして皆あたしたちのことを怖がるの?どうして褒めてくれないの?よくやったって、頭を撫でてくれないの?ねえ、どうして怖がるの?この力がなければ、皆死んじゃってたのに、どうして?人間をいくら傷つけて殺しても、あたしたちは皆を、仲間を傷つけたりしないわ。それなのにどうして怖がるの?あたしたち、皆のために戦ってるだけなのに……ねえジョミー、ジョミーは違うわよね。ジョミーだけは、他の大人なんかとは違うわよね?あたしたちのこと誰よりも愛してくれていたあなただけは、あたしたちのこと褒めてくれるよね?よくやったって言ってくれるよね?昔みたいに、優しく抱きしめてくれるよね?ううん、褒めてくれなくても、よくやったって言ってくれなくても、別にいいの。ただ、以前と変わらない愛情を、優しい眼差しを向けてくれればそれでいいの。ねえ、ジョミー、あたしたちのこと好き?あたしたちのこと、愛してる?ねえ、ジョミー、ジョミー、ジョミー……どうして笑ってくれないの?

(……そう、ジョミーも変わってしまった……)
 他のミュウたちのように、ジョミーがアルテラたちを恐れることなどない。けれど、以前のように愛情を向けられることもなくなった。アルテラたちを、戦いに押しやるようになった。だからアルテラは、ジョミーのことが嫌いになった。
(大好きだったのに、ジョミー……ううん、違う、今でも本当は大好き……なのに、あなたから……)
「皆から心が離れるばかりで……っ」
 どうすればもう一度、ジョミーと心を通わせることができるのか分からない。
「アルテラ……」
「もしテラへたどり着いたらっ……勝利を手にしたらどうなるのっ!?今度はあたしたちが追われる番だわ!戦いなんて大嫌い!それをさせるジョミーもっ……大嫌い!」
 幼い頃はただ、何も悩むことなく愛されていることを信じていられた。それなのに今は、ジョミーの心が見えない。あけっぴろげだったジョミーの心は、ナスカの崩壊の後から、見えなくなった。アルテラには、硬く閉ざされたジョミーの心を読むことはできない。多分、今存在するミュウの中でジョミーの心を読むことができるのは、トォニィぐらいだろう。
 でも心なんて読めなくても、本当は今だって、アルテラには分かっている。ジョミーが本気でトォニィやアルテラのことを、便利で強力な兵器代わりにしているわけではないことぐらい。でも、現実にジョミーから向けられる言葉は、視線は、いつだって厳しいもので。ジョミーが心の奥底で、アルテラたちナスカの子らを愛してくれていることを分かっていても、だんだん信じられなくなっていった。愛されているわけではないのかもしれないと疑念を抱くようになった。
 戦いを強制されるから嫌いになったわけじゃない。ジョミーの心が信じられなくなったから、アルテラはジョミーのことが嫌いになったのだ。アルテラには、ジョミーに愛されていることを信じ続けることができなかった。
 だから、ジョミーを信じ続けることができるトォニィのことがまぶしくて羨ましくて……同時に妬ましくて。そうやってずっと見ているうちに、アルテラはトォニィに惹かれていった。アルテラが好きになったのは、ジョミーのことを一番大切にするトォニィの姿だった。だからアルテラは、トォニィのことが好きだけれど、同じぐらいトォニィのことが妬ましい。
(……ジョミー……)
 昔みたいに優しくしてくれないジョミーのことが、アルテラは嫌いだ。でもそれと同じぐらい、本当はジョミーのことが大好きだった。
 戦いを強制されることが嫌なのか、この先の未来への不安のためか、それともジョミーのことを好きでいたいのにいられなかった自分への自己嫌悪なのか。分からないけれど、涙が止まらない。アルテラが涙を流していると、トォニィが噛み締めるような声で言った。
「ジョミーは……彼は、ナスカの責任を……思いの全てであがなおうとしているんだ……僕らのパパやママを救えなかったこと……多くの仲間を救えなかったこと……その全ての罪を、一人で背負ってテラを目指してる……そこに何があるのかは……僕には分からない。でもそこは、彼にとっての約束の地なんだ……泣かないで、アルテラ……僕らは望まれて生まれたミュウだ。パパやママに……そしてジョミーに……」
 トォニィが差し出した手に、恐る恐る自分の手を重ねると、強く握り返される。
「僕らは生まれたときに、すでに愛されていた。他のミュウたちとは違うんだ」
 トォニィはそう言って、アルテラを抱き寄せると強く抱きしめた。トォニィの腕の中で、アルテラは歯を噛み締めた。
(そんなの……知ってるわ。ジョミーが誰よりもあたしたちのこと愛してくれてたことぐらい、トォニィに言われなくても分かってる。ママのお腹の中にいたときから、包み込むような優しい思念を感じてたもの……でも……でも今はもう信じられないの……あたしだって、本当は信じたい……!ジョミーのこと、ずっと好きでいたかった!でも……でもあたしは……ジョミーの心を感じることができるトォニィとは違うの……!冷たい視線の裏に、冷たい態度の後ろに何があるのかなんて、あたしの力じゃ分からない……!あたしにはもう、ジョミーが分からない……!)
 そう思って、トォニィの胸にしがみつくと、ジョミーへの猜疑心でいっぱいのアルテラの心とは違って、ただひたすらにジョミーのことを信じているトォニィの心を感じた。一片のにごりもなく、ジョミーのことを好きだと思うトォニィの気持ちが、触れ合った部分から伝わってくる。
「だから守りたかった」
「トォニィ……」
(あたしだって、そうだった……ジョミーのこと、守りたかっただけなの……それなのに……)
「感謝されたくてこうなったわけじゃない」
「分かってる……分かってるわ……」
(ただジョミーに、愛されたかっただけだった……それなのに、あたしはどこで間違ったんだろう……)
 トォニィの胸にしがみつく指に力を込めると、トォニィもまたそれにつられるように、アルテラを抱きしめる腕に力を込める。
「今はジョミーを信じよう……いつも泣きながら戦っている、そんな彼の思いに、偽りはないと信じて……」
(……ジョミーが、泣いてる……?)
 トォニィに抱きしめられながら、アルテラはそっと目を瞑って唇を噛み締める。
(ずるい……トォニィにはやっぱり、分かるんだ……ジョミーの心……あたしだって、ホントは信じていたかった……)
 アルテラ、と。限りない優しさと愛おしさを込めた声で名前を呼ばれた幼い頃のように、ただジョミーを好きでいることができたら、それはどれだけ幸せだっただろう。
(……ジョミー……あたしたちのグランパ……大好きで、大嫌いよ……好きでいさせてくれなかった貴方が……嫌い)
 アルテラにはもう、ジョミーの笑顔が思い出せない。小さい頃は、一番大好きだったあの笑顔が。


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