例えるなら、桜  後編

 ゆらゆら、ゆらゆら、頭が揺れる。眠くて眠くてたまらなくて、体も意識も泥に沈んでいるかのように鈍くて重い。本当は今すぐにでも眠りの底に沈んでしまいたいのに、意識を呼び戻されていく。
「う……」
  眠りを妨げられた不快さに、喉からは自然と唸りが漏れる。直後、ゆらゆらと不安定だった頭が何か固いものにぐっと押し付けられた。これは何だろう。ぼんやりした意識の中で思っていると、一定したリズムで脈打つ音が耳に届く。
  とくん、とくんと聞こえてくるのは心臓の音。誰かに抱き上げられているのだ。小さな子どもではないのだからと羞恥心が沸いてくるが、抵抗しようにも体に力が入らない。何より、リクオ自身が抵抗の必要性を感じていない。
  ゆっくりと響く鼓動は、途方もなく心地よいものだ。囲われた腕の中は、言いようのない安堵をもたらした。まるで母親の腕に抱かれる子どものように、この腕の中にあるのが当たり前なのだとさえ感じる。
  とくん、とくん。聞こえてくる心臓の音。それに耳を傾けながら、ふと気づいた。聞こえてくる脈動が、自分のそれと全く同じリズムを刻んでいるということに。
  それを不思議に思うことなんてなかった。ただ当たり前のように、これは彼なのだと思った。重いまぶたを無理やり持ち上げて視線を上げると、案の定の顔がそこにある。
  自分とは違って、祖父の若いころに瓜二つだという彼――夜のリクオは一瞬戸惑うように瞳を揺らすと、上げた顔を再び彼の胸に埋もれさせる。
「……無理すんな。大人しく寝てろ」
  その手の感触に安堵するとともに、どうしようもなく泣きたくなるのを感じた。
  触れてくる手は優しい。なのに触れてくる指先は、なぜだか心にぽっかりと穴が開いたような虚無感をももたらす。こんなふうに感じるのは初めてだった。その理由が分からないのが、いっそうの不安を煽る。
  交わった視線から、彼もまた同じ不安を抱いていることを知った。
  昼と夜。
  陰と陽。
  人と妖。
  対極に位置する存在だが、リクオと彼とはそもそも同じ存在だ。彼が何を思っているのかを知るために、言葉なんて必要ない。
  そう、同じ存在なのだからーー。
  そのときふと、疑問が脳裏を走る。
  同一存在である夜の自分と会うのは、いつだって心の中でだけだった。桜が見事に咲き誇るあの場所は、夢と同じ。現実と違って痛みも寒暖も、人の熱も感じることはない。
  そのはずなのだった。なのにどうして今、抱きしめてくる腕を温かいなんてと感じるのだろう。
  おかしいとは思うのだが、眠気のあまり思考がまともに働かない。少し考えれば答えは出ると分かっているのに、その少しにさえ頭は回ろうとしない。いや、もしかしたらそんなのは、目の前にある現実を理解したくないための、ただの言い訳なのかもしれない。
  だって、もしかしたら自分たちが――てしまったなんてそんなこと、あるわけがない。
  これは夢だ。ただの夢。目の前に彼がいるなんて、夢に違いない。現実なんかであるわけがないのだから。
  自分にそう言い聞かせながら、リクオは眠りの中へと落ちていった。
 
 
 
 
「いやああああああ!リクオ様が二人ー!?」
  幼いころから聞きなれた声の、甲高い音程が空気を震わせるのが聞こえた。まるで超音波、すさまじい破壊力、鼓膜の暴力だ。さすがにこれを聞いて暢気に眠っていることはできない。ものすごくうるさいというのもあるが、いくら何でも聞こえた声音の動揺具合が心配で、眠っているどころではなくなったからだ。
「静かにしろ、つらら。こいつが起きるだろうが」
「うるさいよ、つらら……いったい何だっていうのさ……?」
  発した言葉は、ぴたりと誰かの声に重なる。ほとんど聞いたことはないはずなのに、不思議と耳になじんだ声だった。
「遅かったか……」
  思わず顔を上げると、夜のリクオが小さくため息を漏らすのが見えた。
  リクオは二度三度と目を瞬かせた後、周囲を見渡す。門をくぐってすぐの場所だ。少し離れたところには、ムンクの叫びばりのショック顔を披露する雪女がいる。先ほどの悲鳴につられたのか、屋敷の屋敷の奥からはぞろぞろと妖怪たちが顔を見せ始めている。ざばっという水音が聞こえて目をやると、庭の池から河童が頭を出していて、こちらを見てぎょっとしたような顔をしていた。そしてそのすぐ隣、揺れる水面にぼんやりと映し出されているものを見て、実物を求めてついと視線を上げる。
  見上げた空は闇の色をして、ぽっかりと満月が浮かび上がっていた。
  夜だった。
  再び視線を落として、リクオは夜の自分を見つめる。彼の後ろに見える庭の桜は、とっくに花が散りきって青々とした葉を実らせていた。
  彼に会うときはいつだって、桜の花が咲いていた。見事なほど満開に咲き誇り、惜しげもなく散る美しさを見せる花が咲いていた。いつでもどこでも、時も場所も選ばず咲き誇るあの花は、現の花ではない。
  その花が今はない。思考をごまかしていた眠りはとっくに覚めてしまった。冴えた頭ではもう、これは夢なのだと逃げることもできない。
「……どうして?」
「さあな」
  要領を得ない問いかけは、間髪入れずに返される。傍から見れば訳の分からない会話だろうが、彼に通じていることは考えるまでもなく明らかだった。だってリクオと彼は、同じ存在なのだから。
  手を伸ばして彼の頬に触れる。夜風にさらされた皮膚は少しひんやりとしていたが、しばらくそうしていると触れた部分から熱が奪われていって、やがて同じ温度になる。
  触れるぬくもりは、今にも溶け合ってひとつになりそうなぐらい同じものだった。なのに少し手を滑らせるだけで、すぐまた少しだけ違う体温を感じる。
  途方もない安堵と深い虚無。触れ合った指先から感じる相反する二つの感情の意味が分かった。
  安心するのは、もともと自分たちが同じものだから。ひとつであることが当たり前のものだからだ。
  不安になるのは、分かたれてしまったことを感じてしまうから。触れ合うというその行為は、別個の個体でない限りできない行為だからだ。
  周囲のざわめきにも気づかず見詰め合っているリクオたちに声がかけられる。
「おいおい、いったい何事じゃ?」
  さして大きな声ではないはずなのに、その声は明瞭に空気を奮わせた。最初の一文字が音になって出た瞬間、場が一気に静まり返ったからだ。
  声とは呪の一種である。まして単なる音ではなく、明らかな意図をもって発せられた声には力がこもる。それが妖怪の総大将たるぬらりひょんの口から出たものならばなおさらだ。
  周囲のざわめきにはまるで気づかずにいたリクオたちも、さすがにそれには振り向いた。
「じいちゃん」
「ジジイ」
  かわいげのあるなし両方の呼びかけをステレオで食らった瞬間、飄々とした態度を崩すことない祖父もさすがに面食らったような顔になる。だがそこはさすがの貫禄ですぐに常の態度に戻ると、面倒そうな顔をして来い来いと手招きする。
「何があったか知らんが、んなとこに突っ立っててもどうしようもないじゃろうが」
 もっともだ。頷いて祖父の言うとおりにしようとして、足が宙を蹴るのを感じた。不思議に思って視線を下ろして、そこでようやくリクオは夜の自分に抱き上げられている現状に気づいた。
「わあっ!?」
  そうあることがあまりに自然すぎてまったく気づいていなかったが、一度気づいてしまうと恥ずかしくてたまらない。仲間たちの前で、まるで子どもみたいに抱き上げられていたのかと思うと、顔から火が出そうな思いだ。
  ばたばたと手足を振り回していると、夜の自分はあっさりとリクオを降ろしてくれた。恥ずかしがっているのを分かってくれたのもあるだろうが、いくら子どもと大人ほどの体格差があろうと、さすがに全力で暴れられては鬱陶しかったのだろう。
  地面に足がついた瞬間、ほっとため息が漏れる。だというのに彼の手が背中と足から離れた次の瞬間、口からこぼれたのは惜しむような、小さな声。
  リクオはばちんと口をふさいで、真っ赤な顔で足早に家の中に飛び込んだ。どうしてあんな、引き止めるような真似をしてしまったのだろう。抱き上げられていたときよりもずっと恥ずかしい。おろせと暴れていたのに離れるのは嫌だなんて、わがまますぎる。
  そんなリクオを、周囲の妖たちはぽかんと見送るばかりだった。どうやら幸いなことに、誰にも聞かれていなかったらしい――あの距離にいて聞こえないはずのない、たった一人の例外を除いて。
「……くっ……」
  ぽかんとして昼のリクオを見送る周りの中で、夜のリクオはさも愉快そうにくつくつと笑みをかみ殺していた。
 
 
 
  広い庭でぽつんと一人、リクオは座敷の方を見やった。開け放たれたままの引き戸からは煌々と明かりが漏れ、夜だというのにどやどやと迷惑なほどの騒ぎ声が聞こえてくる。敷地が広くて良かったと思う。どれだけ騒いでも、この声が聞こえるほどのご近所に人は住んでいない。
  誰が持ち出したのやら、いつの間にか三味線やら笛の音まで聞こえてくる。飲んで食ってのどんちゃん騒ぎはほぼ毎日のことだが、ここまでの規模になることはめったにない。いくら本家の敷地が広かろうと、ひょっとしたら隣家の迷惑になっているかもしれない。
  これまでならここで、近所迷惑だからやめろと皆をたしなめに行っていた。でも今はそれどころか、喧騒から遠ざかろう遠ざかろうとしていた。
  あのざわめきの中に行くのが怖かった。歓喜の声に満ちたあの場所へ行きたくなかった。
  あの後、本家中の妖が座敷に集められた。そこで、どういうわけでリクオが人と妖の二つに分かたれたのか説明を求められたのだが、分かっているのは祢々切丸に心の臓を貫かれた後、気づいたらそうなっていたとしか言いようがない。そのときの状況を、夜の自分と相互に分からないところを補足しながら答えていたのだが、当然すんなりと受け入れられるわけもなく。自然、二人のどちらが本物かの真贋判定会に突入した。祖父やら側役たちから、当人同士しか知らないようなことを聞かれることを小一時間近く繰り返して、ようやくどちらもリクオであるのだと認められた。
  そしてその瞬間から、部屋の中は宴会状態というわけだ。
  池のほとりに立ち、澄んだ水面に映る月を見下ろして、リクオはそっと目を伏せた。
「……別に、分かってたことだ……」
  だから悲しむことなんてない。
  望まれているのが妖怪としての自分に過ぎないことぐらい、ずっと前から分かっていた。だからこの何年も自分が傷つかないために、心を守るために、自分が妖でもあるということを拒絶し続けてきた。
  分かっていた。だがそれは、ある意味で正確性に欠いていたのだということに気づいてしまった。
  求められていたのは、確かに妖怪としてのリクオであった。だが妖怪としてのリクオは『リクオ』という存在の一部分でもあったのだ。人間のときと妖怪のとき、意識や考え方に違いはあれど、どちらも『リクオ』であることに変わりはなかった。望まれたのは確かに妖怪としてのリクオであったけれど、同時にそれが自分の一部であることも知っていた。
  だからこそ、いっそう強く感じるのだ。少し前までの自分が、いかに子どもだったのかということを。
  夜のリクオばかりが求められるからといって、すねる必要がどこにあった。あのときの彼は、自分自身でもあったというのに――分かたれてしまった今とは違って。
  そう、リクオと彼は決定的に分かたれてしまった。祢々切丸が胸につきたてられたあのとき、何が作用したのかは知らないが、妖のみを切る刀はリクオを人と妖の二つに隔てた。
  一時的な分裂ではない。多分もう二度と元に戻ることはないのだと、根拠は何もないけれどそう感じた。そうでなければ、ぽっかりと胸に穴が開いたかのようなこの虚無感の説明がつかない。
  寂しい、寂しい、寂しい。心がそう叫んでいる。
  仲間たちに省みられることがなくなってしまったこともそうだが、それより何より自分の中から消えてしまった存在が、恋しくて寂しい。分かたれた存在は、まさしく己の半身であった。ひとつであることが当たり前だった。離れることなどないはずだった。対極の存在ではあるが、表裏一体という言葉のとおり根本のところは同じものだった……同じなのだと、ようやく認めることができるようになった。
  なのにどうして今なのだ。
  夜の血に目覚めた日からずっとリクオは、妖怪としての自分と人間としての自分は別物なのだと思ってきた。そう思い込もうとしていた。そうやってずっと現実と向かい合うことを避けていた。
  色々なことがあってようやく妖怪としての自分を受け入れることができた。ずっと見ないようにしていた、困難な未来を目指すことを決めた。人も妖も、大切なものはまとめて守るのだと、そのために三代目になるのだと決意したばかりなのだ。
  それなのに、どうして今だったのだろう。
  少し前ならきっと、ここまで苦しむことはなかった。妖としての自分を認められにいたあのころならば、こんなにも深い喪失感に思い悩むことなんてなかったのだろう。これがほんの一月も前の出来事ならば、この虚しさに気づかないふりをすることもたやすかったはずなのに、どうして今なのだ。
 
  ――あれはボクのものだ。
 
  皆に囲まれた夜のリクオを見て、心の中に浮かんだ思い。ほんの数時間前までは当たり前だったけれど、今となっては傲慢でしかない感情。
  仲間たちの反応も確かにショックだった。だが何よりもそれ以上にリクオを打ちのめしたのは、夜の自分と永遠に分かたれてしまったことだ。そして自分がこんなにも衝撃を受けているというのに、もはや他人となってしまった半身はまるで平気そうな顔をしていることもそれに拍車をかけた。
「やっぱり、君は強いね……」
「何がだ」
「っ!」
  誰に言うでもなくつぶやいた言葉に返事をよこされて、リクオは思わず飛び上がる。振り返ると、青々と葉を茂らせる桜の幹にもたれかかって、夜のリクオがそこにいた。
「こんなところにいていいの?」
「それはオレの台詞だ。一人でこんなとこにいんな。危ねえだろうが」
「別に……この家の中で何が危ないっていうのさ」
  リクオがいないことに気づいてくれたのだ。そう喜んでいるはずなのに、なぜか口から飛び出すのはひねた言葉ばかりだ。
「それに、今さらボクの心配なんて誰もしないよ」
「おい」
「君こそ早く戻ったら?」
「お前……」
「君がいないことに気づいたら、それこそ皆大騒ぎす……」
「リクオ!」
  怒気のこもった低い声とともに腕をつかまれて、思わず口をつぐんでしまう。ずらしていた視線を夜のリクオに合わせると、彼は端正な顔を不機嫌そうに歪めている。
「それ以上口にしたら、本気で怒るぞ」
「……でも、本当ことじゃないか!皆が望んでるのは君だ!人間のボクじゃない!ただの人間になったボクの心配なんて、誰がするもんか!」
「オレがする」
「え?」
「オレが心配するから、やめろって言ってんだ」
「……何それ……同情ならやめてよ」
「そんなんじゃねえ……分かるだろ?」
  リクオはうつむき黙り込んだ。今、それを言うのは卑怯だ。分かるかどうかなんて――分かるに決まっている。彼が同情や憐れみでこんなことを言うような、ずるい優しさを持つ人ではないことは、リクオ自身が一番よく分かっている。
「リクオ」
「……君も『リクオ』だろ」
「お前がリクオだ」
「何を……」
「お前が名を変えるより、その方がややこしくねえだろうが」
  確かにそうだ。妖の世界とは違って人の世界では、名前ひとつ変えるために複雑な手続きが必要になる。しかも手続きをしたからといって、正式に解明できるかどうかは役所の判断次第とも言える。
  しかしだからといって、こんな大切なことをぽんと言ってのけるものか。リクオは唖然とした。
  改名の手続きは確かに人間社会の方が大変だが、名前というものが大きな意味を持つのはむしろ妖怪たちの世界においてである。名前がただの呼び名に変化してしまって久しい人の世界とは違い、妖の世界では未だに大きな意味を持つ。
  たとえば陰陽師が妖を調伏する手段の一つに、名前を知るということがある。その性質を正しく読み取り、本質を理解する。そうすることで相手を支配する。名前というものは、それほど重要なののであるのだ。
「その代わり、オレの名前はお前が付けろ」
「……いいの?」
「お前がいい」
  呆然と尋ねるリクオを見下ろして、彼は切なげに目を細める。
「お前はオレのものだ。そうだろ?……だから許す」
  見詰め合ったまま、リクオは泣きそうに顔を歪めた。
  平気なんかじゃない。彼も、平気なんかじゃなかった。同じようにこの寂しさを、虚しさを、悲しさを抱いている。別々になってしまった半分を、惜しんでくれている。
  同じ気持ちでいるのだ。
  ならば、何を悲しむ必要がある。この気持ちがある限り、二つになってしまったのだとしてもきっと自分たちは変わらない。ずっとそばに、ずっと一緒に、ずっと寄り添って生きていく。たとえ周りがどれだけ変わってしまったとしても、きっと自分たちだけは変わらない。
「うん、そうだね……リオウ」
「リオウか。いい名前だ」
  泣きそうになりながら微笑みかけると、彼――リオウは満足そうに口の端を吊り上げる。
「あーっ、お二人とも、こんなところにいた!」
「探しましたよ!」
「襲われたばかりだっていうのに、また何かあったらどうするんですか!」
  場の空気をぶち壊して、雪女や首無を先頭に側近たちがやってきて二人を取り囲む。
「見つかっちゃったね」
「ああ」
  リクオとリオウは視線を交わして、二人して苦笑を漏らした。
「ほら、行きますよリクオ様」
  雪女が言う。
  リクオは視線だけでリオウに行ってくるようにと告げる。分かっていたことだとはいえ、今の状態で仲間たちの中に飛び込んでいくほど図太くできていない。もはや自分が必要とされることはないのだと分かっていても、もう少しだけ心を整理する時間がほしかった。
  そんなことを考えていると、突然首無に手をとられた。
「さあ、リクオ様」
「え?」
「皆、待ってますよ」
「ボクはいいよ。リオウがいれば、別にボクはいらないだろ」
「何を言ってるんですか!」
 そのとたん、首無だけではなく周りの皆が大慌てで騒ぎ出す。
「もしかして、さっきから元気がなかったのはそんなふうに思ってらしたからなんですか!?」
「ただの人間になってしまったのだとしても、リクオ様が私たちの大切な宝であることに変わりはありません!」
「皆……」
 じんと胸が熱くなった。リオウさえいれば、リクオのことなんていらないのだと思っていた。でも違った。たとえただの人間になってしまっても彼らのことを大切だと思っているように、彼らも変わらずリクオを大切に思ってくれている。確かに、ただの人間になったリクオを見放す者もいるだろう。でも、そうではない者もいるのだ。
 リクオが感動していると、先ほどはそれどころではなかったためスルーした疑問を首無が問うてくる。
「ところで、リオウって誰ですか?」
「オレの名だ。二人ともリクオだとややこしいだろ」
「リオウ様……裏世界の王ですか」
「私たちを統べるのにぴったりの名前ですね!」
「え?や、ちが」
  リクオが上げかけた声は、リオウの掌にさえぎられる。黙ってろという視線を感じる。何度か瞬きを繰り返した後、リクオはふわりと微笑んだ。
(うん、そうだね)
  名前の意味を知っているのは、自分たち二人だけでいい。
  彼に会うときはいつだって桜の花が咲いていた。季節に関係なく咲き誇るあの花は、リクオにとって彼の象徴でもあった。
  だから迷うことはなかった。この名前以外なんてありえないとさえ思った。
  ――裡桜、と。
  例えるなら、桜だと思ったのだ。


 


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