けっきょく世界は誰のもの

注:逆行の真相とかどうでもいいわーとか思われる方は、ここで引き返すことをお勧めします。読みたい方だけ、スクロールどうぞ。














 ルルーシュは眠っていた。靴も脱がず、ベッドに仰向けになったままの体勢だ。それは不自然なほどに深い眠りだった。
 車椅子に座ったナナリーはベッド際から、そんな姉のことを静かに見つめていた。この八年間決して開かぬように気をつけていた目を開けて、ただひたすらルルーシュのことを見つめていた。涙の跡を一筋残すルルーシュの白い顔には、ひどく打ちのめされたような風情があるように見える。そう、見えるのだ。光を映さないはずのナナリーの目は今、はっきりと外界を映していた。
 ナナリーは車椅子を操作していっそうベッドに近づくと、起きる気配のないルルーシュの手を取り、それを自分の頬にそっと押し当てる。
「かわいそうなお姉さま……あんな人のことを、もう一度信じたりするから……」
 普段のルルーシュなら、こんなことをすればすぐに起きる。けれど今このときに限って、それを心配する必要はない。
「でも、いくら優しいお姉さまでも、もうスザクさんのことを許したりしませんよね?だってあの人はまた、お姉さまじゃなくてユフィ義姉さまを選んだのですから」
 そのとき背後で扉の開く音がした――そんなこと、あるはずがないのに。
「誰ですっ!?」
「ナナリー、お前……」
 厳しい声を上げて振り向くと、そこには知らない少女の姿があった。
「……ああ、そうか……そういうことだったんだな」
 驚いたように瞠目していた彼女は、やがて納得したように目を細めて部屋の中に一歩足を踏み入れてくる。
 ナナリーはその声音と足音から、彼女が既知の人物であることを悟った。
「C.C.さん、ですね」
 ナナリーは目を細めて、頬に当てたルルーシュの手をそっと膝上に下ろした。今このときこの場所で動くことができるのも、彼女ならば納得がいく。だって彼女にはギアスが効かない。
「V.V.と契約したのか……」
 その問いかけに対して肯定も否定もせず、ナナリーはただ微笑んだ。それが何よりもの答えであった。
 そうして笑みの形に細められた両目の色は、生まれ持った透明なすみれ色ではなくなっていた。まがまがしくも赤い、血管が透けて赤く見えるのとはまるで違う濁った赤色だ。そしてその奥底からは光が生まれ、それは鳥に似た奇妙な紋様を形取り、両目の中心で赤く輝いている――それは紛れもない、契約者の証。
「お前だったんだな」
「何のことでしょう?」
「世界を変えたのは、お前なのだろう?」
 ナナリーは微笑んだまま、口を開こうとはしない。
 けれどC.C.は答えなど求めていなかったのか、淡々とした口調で続ける。
「おかしいと思っていたんだ。私にはギアスが効かない。だから最初、私はこの繰り返しを誰かのギアスによるものだと考えた。だがルルーシュと再会して、その考えを改めずにはいられなかった。それではなぜルルーシュにも記憶が残っているのか、その説明がつかなかったからだ。ギアス能力者だからかと一瞬考えたが、他の能力者に記憶は残っていなかった。だからそれが理由ではないことは明らかだ。では、この事象がギアスによるものではないと仮定するとして、それならどうして私とルルーシュに限定して記憶があるのか、その理由が不可解だ。けれど思考を戻してギアスによるものだと考えても、同じように記憶があるはずのV.V.がどうして何の干渉もしてこないのか、それもまた不可解だ。だが、これで一つ納得がいった。お前がこの世界を作ったのならば、ルルーシュに記憶が残っていることにも説明がつく。……お前はただ、兄に忘れられたくなかったのだな」
「さあ、どうなんでしょう?」
 ナナリーはそっと首を傾げて言った。
「忘れられたくないという気持ちも、確かにあったのかもしれません。正直、あのときのことはあまり覚えていないのです」
 そう、V.V.と契約したあの日あの時あの瞬間、ナナリーはほとんど狂っていたようなものだったから。ルルーシュが殺されたと、そう知らされたことが原因で。信じられなかった。信じたくなかった。泣いてわめいて叫んで暴れて、ひどい醜態をさらしたことをぼんやりとだけ覚えている。
「V.V.はどうしている?あのときお前をさらったのはあいつだ。おそらく私を捕まえようとしたのだろうが……それなのにどうして、何もしてこない?」
「眠っているから」
「眠って?」
「ええ。私が眠らせました。だって、邪魔をされたら困るでしょう?」
 C.C.は理解不可能なことを聞いたような顔になった。
「いったいどうやって」
「もちろん、私のギアスで」
「馬鹿な、私と同じであいつにもギアスは効かない」
「コードの継承者だから、ですか?」
「どうしてそれを……」
 C.C.はぎょっと瞠目して息を呑んだ。
 信じられないような目をしてまじまじとこちらを見つめてくる彼女とは対照的に、ナナリーは笑みを浮かべる。
「V.V.さんに聞いたわけじゃありません。ただ、分かっちゃったんです。V.V.さんのコードを半分奪ってしまったときに、そういった知識もまた、私の中に流れ込んできましたから」
「奪ったって、お前が?いや待て、半分と言うのはいったいどういうことだ?それにコードを奪ったと言うのなら、なぜお前は成長しているんだ?」
「だから、半分だけだからです。……あのとき、V.V.さんは私に契約を持ちかけてきました。それはおそらく同情だったのでしょうね。あの人もまた、兄という存在であったがゆえに、お姉さま……いいえ、お兄さまを失って狂いかけた私を憐れまれたのでしょう。それがどんな結果につながるかなんて、考えもせずに」
 ナナリーは花のように笑って、右手の指でゆるりと左目の下をなぞる。
「私のギアスは世界に干渉する力……ギアスとは、人の潜在願望を力にしたもの。だからこれは、再びお姉さまとともにあることだけを望んだ私には過ぎた力なのでしょう。ですが死した人間をもう一度と望むことは、世界の摂理を曲げることです。だから私のギアスは、その摂理をすら変える力を私に与えた。……でもね、C.C.さん。今から考えてみれば、どうしてあのときの私はこんな世界を望んだのか不思議なんです。どうせ時を巻き戻すのなら、わざわざ八年前に戻したりするんじゃなかった。そうしたらお姉さまは、スザクさんの手を再び取ろうなんて考えもしなかったはずなのに……多分、お姉さまとスザクさんが友達にならなかったら、あんなことにはならなかったのにという思いのせいなのでしょうけれど……お姉さまがスザクさんを連れてきたときは、本当に焦りましたわ。ついうっかり、知らないはずのスザクさんの名前を呼んでしまうほど。幸い、お姉さまは気づかれなかったようですけれど」
「……私の前でまで、そんな呼び方をする必要はないだろう」
「え?」
「兄と呼べばいい」
「ああ、そのことですか……違うんです。今の私は、意識しないと『お兄さま』とさえ呼べないのです。男だったお兄さまが、この世界で女になってしまったのも、私のギアスのせいだから。この世界でお兄さまは女であることが自然で、それは私にとっても例外ではないのです。私のギアスは、私自身まで歪めてしまった……だから記憶の中では確かに兄であるはずのこの人を、私は意識しなければ姉としか呼べないのです。例外は完全なコードを有する貴方と、お姉さまご自身だけ……多分私は無意識にでも、お姉さまの存在を歪めることを嫌ったのでしょうね」
「性別を変えておきながら、何を言う」
 ナナリーの説明を聞いていたC.C.は、不可解なことを聞いたとでも言いたげな顔をしてつっこんでくる。
「ですが意識のありようは変えませんでした。性別を変えたのは……そうしたらお姉さまゼロになって戦う道を選ぶことなんてなくて、ずっと側にいてくれるかもしれないと思ったのかもしれませんね。だって女は、どうやったって男よりも弱いでしょう?女になって弱くなったら、反逆を諦めてくれるかもしれないとでも考えたのではないでしょうか。覚えていませんから、実際のところがどうなのかは分かりませんが」
 そこでナナリーは一つため息を漏らした。
「できることなら、お姉さまがスザクさんのことを受け入れてしまった時点で、再び世界を変えてしまいたかった。けれど、できなかった……大きすぎる力の代償に、私のギアスは発現と同時に暴走してしまったからです。そして私は自分でも意識することなく、V.V.さんのコードを奪うことになってしまった。ギアスのこと、不老不死のコードのこと、V.V.さん自身のこと、お父さまたちが目指す世界――コードが私の中に浸透していく中で、私は様々なことを知りました。そしてその途中、V.V.さんはコードを奪われまいと抵抗してきました。その結果、コードは私とV.V.さんの中に半分ずつ存在するようになったのです。そしてそのために、私のギアスはほとんど力をなくしてしまった。その時点ですでに世界の改変はほとんど終わっていましたから、それについては幸いでしたが……それ以降は全然駄目でした。V.V.さんを眠ら続けようと思うと、それだけでもう限界なんです。あれから八年経って力の行使に慣れた今でも、V.V.さんを眠らせたままだと、こうしてクラブハウスという狭い範囲ぐらいにしか影響を及ぼすことはできません。V.V.さんはコードを半分持っていることでギアスが効きにくいから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれませんが……それでも不便でしたわ。あの人を眠らせるのをやめれば、スザクさんを排除するぐらいの余裕はできたのかもしれませんが、V.V.さんは起きたら邪魔をしてくることが確実でしたから、そんなわけにもいきませんし……でも、これでやっと、お姉さまも分かってくださったはずです。スザクさんなんて……お姉さまを殺してしまったあんな人、信頼に値しないって」
 ナナリーは膝の上に置いたルルーシュの手を取り上げ、再びそれを自分の頬に押し当てた。今この中にいる人間は全て眠るようにと、クラブハウスという狭い世界に干渉してそう命じた。だからこうして触れてもルルーシュが起きることはないし、全ての真相を暴露しようとそれを聞かれる恐れもない。
「ねえC.C.さん、いつかそうできるようになったら、C.C.さんのコードはお姉さまに渡してくださいね」
「……正気か?この果てしない業の中に、実の兄を巻き込もうと言うのか?」
「今さらお姉さまのことを心配するのですか?そうしようと思ってお姉さまを契約者に選んだくせに。……それにお姉さまがコードを継がれたら、私もV.V.さんのコードを全部引き継ぐつもりですから、心配することなんてありません。ずっと二人で……他の誰がいなくなっても、お姉さまと二人で生きていくの」
「……狂っている……」
「それの何が悪いと言うのですか?」
 ナナリーは心底不思議そうな顔で首を傾げた。
「だって私、気付いちゃったんです。お姉さまが死んだって聞いたときに、一番大切なものが何だったかってことに……他の何を犠牲にしても、どうしても失えないものがあるって」
 そう、ナナリーは失って初めて気付いた。ルルーシュという存在が、どれだけ自分にとって大切なものだったのか。
 それまで、大切だと思っていたものはたくさんあった。幼馴染のスザク、高等部の生徒会の人たち、世話係の咲世子、学園の友人たち、義姉のユーフェミア、挙げていけばキリがない。けれど、兄が死んだと分かった瞬間、それら全てがどうでもよくなった。世界が大切だと思えたのは、兄がいるからこそのことなのだと、ナナリーはそのとき初めて気付いた。そしてその瞬間から、世界なんてどうでも良くなった。
 だから、兄が死んでしまったあの日からずっと、ナナリーが欲しいのは一つだけなのだ。


●END●


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