それなんて悪夢?

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Case01:ぷろろーぐ


 皇暦二〇〇九年某月某日。季節で言えば夏もそろそろ終わりになろうかという頃だった。マリアンヌ・ヴィ・ブリタニアが殺されたのは。テロリストによる犯行だと、公式にはそう発表された。
 彼女は、神聖ブリタニア帝国第九十八代皇帝シャルル・ジ・ブリタニアの后が一人であった。そして皇妃となる以前には、その華やかでたおやかな美貌からは想像もできない職についていた。ビスマルクの同僚――つまりはナイトオブラウンズの一角を担っていたのだ。その当時、ビスマルクはまだナイトオブファイブで、マリアンヌはその一つ下のナイトオブシックスだった。その当時の皇帝はシャルルではなくその父であった。つまり彼女の登用に私情は全く挟まれておらず、彼女が実力のみで帝国最強の騎士の一員にまで上り詰めたことを示していた。
 実際彼女は、女性とはとても思えないほどの強さを誇っていた。銃火器の扱いに慣れていたことはもちろん、優れた体術の腕、当時のナイトオブワンすら打ち負かした鮮やかな剣技は、肉体的にはどうしても男に劣るはずの女という性を全く感じさせない圧倒的なものだった。庶民から軍人の最高位にまで上り詰めた実力とその華麗な容姿に、あこがれぬ軍人はいなかったと言えるだろう。
 またKMF戦にいたっては他者を寄せ付けない圧倒的な強さを誇り、いつしか『閃光』という通り名まで付いた。ビスマルクのギアス――未来を予測する力を使ってなお、KMFにおける戦いでビスマルクが彼女に泥をつけることは一度としてできなかったのだから、まさにその操縦技術は圧巻の一言に尽きる。
 彼女は強いだけではなく、頭も回った。それは飛びぬけて頭脳レベルが優れているとかそういった類のものではなかったが、優れた直感、奇抜な発想力と咄嗟の判断力、そしてそれを為しうる大胆な行動力は誰にも真似できるものではなかった。
 シャルルが皇帝に即位した後、ラウンズを抜けて皇妃になることがなければ、ナイトオブワンの席に着いていたのは間違いなく自分ではなくマリアンヌだっただろうと、ビスマルクは思っていた。それは嫉妬ではなく、彼女の強さに対する純粋な尊敬であり羨望であった。
 そしてそんな女性だと知っていたからこそ、彼女が一介のテロリストに射殺されたなどという発表を、ビスマルクには信じることができなかった。皇帝の態度もまた、その疑いに拍車をかけた。
 シャルル皇帝は、百八人もいる皇妃の中でマリアンヌ皇妃のことだけを愛していた――それはもう、熱烈に、猛烈に。その皇妃が殺されたというのに、皇帝は普段どおりの態度を崩さないでいるのだ。彼は外面を取り繕うことに長けているから、外から見た態度だけで出した判断は当てにならないと分かっているが、悲しみを押し殺しているにしてはどうも様子がおかしい。
 そしてそのおかしさは、皇妃が殺されて数日経った今日という日になって、とうとうあらわになった。皇帝は午後、謁見の間において、マリアンヌ皇妃が長子ルルーシュに対して、それはもうひどい言葉を投げつけて、挙句の果てに取引材料として極東の島国へ行けと命じたのだ。あいにくビスマルクはその場所に居合わせなかったのだが、誰に聞いても同じことを言うし、残された謁見記録を見てもやはり同じことが書かれていたので、間違いはないと思われる。
 ありえない。それを聞いた瞬間、ビスマルクの脳裏に浮かんだのはその一言だった。そんなことはありえないのだ。限られた数人の前以外ではめったに表情を崩さないし、冷酷な皇帝像を演じているから分かりにくいことこの上ないが、皇帝は寵愛するマリアンヌとの間に生まれた二人の子どもを、それはもう溺愛しているのだ。その片割れに対して、『弱者に用はない』?『死んでおる』?……ありえないとしか言いようがない。他の誰に向かって言っても、溺愛する二人の子どもに対して皇帝がそんな言葉を向けるはずがない。
 表面上は平然としているように見える皇帝だが、やはり心中では多大なショックを受けていたのだろう。ビスマルクはそう判断した。そしてその結果、頭のネジが少しばかりゆるんで行動がおかしくなっているに違いない。
 皇帝の私室へと向かうビスマルクの脳内では、知られれば不敬罪に問われること間違いなしの思考が繰り広げられていた。そうしているうちに、向かう部屋の扉が見えてくる。
 ビスマルクを呼び出したのは皇帝なのだから、扉の前に控える近衛にビスマルクを止める権利はない。近衛二人は静かに一礼して、ゆっくりと扉を開けた。
 ビスマルクは無言でその扉をくぐり、皇帝の私室に足を踏み入れる。入ったばかりの空間は控えの間になっていて、皇帝はたいていここにはいない。ビスマルクを呼び出すとき、彼はこの次の空間にいることが多い。
 すでにここは私室の中なので、今度の扉には誰も控えていない。それはいつものことなので、ビスマルクはノックをして一声かけて、中からの返事を待つ。しかしいつまで経っても返事はない。不信に思った彼は了承を待たずに扉を押し開けて――その瞬間目に飛び込んできた光景に、思わず回れ右を決め込みたくなった。
「……うっ、ううう、うぅ……わしは、わしはぁ、ルルーシュになんということをおおおぅ……」
「もう、あなたったら本当に泣き虫なんだから。いい加減泣き止んだらどうなの?」
 部屋の中には、泣き崩れている人間が一人、それを呆れたような顔で慰めている人間が一人。そしてその構成員は、老年に足をつっこみかけた男と幼女だ。これで泣き崩れているのが幼女で、慰めているのが男だったなら、そうなくはない光景だ。しかし――逆だ。無情なことに、泣き崩れているのが男で、慰めているのが幼女である。しかも泣き崩れているのは、この国の皇帝陛下なのだ。
 シュールだ。ビスマルクは思った。そうしながら自分は夢を見ているのだろうかと疑い、太腿をつねる。しかし普通に痛かったので現実だと判明する。現実とは時に無情だ。ショックのあまり、口からエクトプラズム的な物体が出てきそうになる。皇帝の前だというのに、膝をつくことも忘れていた。
 そんなビスマルクに気付いたのか、幼女がこちらを振り向く。
「あら。シャルル、ほら、しっかりしなさい。ビスマルクが来てるわよ」
「ま、まりあんぬぅ……冷たい、冷たいぞぉ」
「謁見の後からずっと泣き縋られてごらんなさい。冷たくもなるわ」
 幼女は笑みを湛えながらも、ぴしゃりと言い切る。
 その表情の作り方にも口調にも皇帝に対する態度にも、そして皇帝が幼女に向かって呼びかけた名前にも、ビスマルクには覚えがあった。
「……マリアンヌさまごっこ?」
 ビスマルクは思わずそうつぶやいてしまった。溺愛する息子に冷たくするどころか、十にも満たない幼女とそんなことをするほど精神に支障をきたしていたのかと考えたビスマルクは悪くない。多分。
「ごっこなどではぬあああぁい!」
 皇帝が勢いよく顔を上げて声を荒げる。その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃで、とても見ていられたものではない。これが幼い子どもならばまだ救いはあったかもしれないが、皇帝はもう六十近い壮年だ。
 正直えぐい。むごい。これを相手に平然とした態度を取っている幼女を、ビスマルクはうっかり尊敬したくなった。
「マリアンヌは生きておる、生きておるのだ!……うぐふぅっ!」
「ごめんなさいね、ビスマルク。この人ったら興奮しちゃって。でも本当にごっこなんかじゃないのよ。私はマリアンヌなの」
 幼女は見知った鮮やかさで皇帝の腹に肘打ちを決めて、とても見覚えある表情で笑みを形作る。
 しかしだからと言って、そんなことを簡単に信じられるわけがない。それにうっかり流してしまいそうになったが、この幼女、皇帝に肘を打ち込んでいた。ラウンズとしては取り締まるべきなのだろうか、それとも皇帝は許しているようだから放置しておくべきだろうか、ビスマルクはいかめしい顔の裏で悶々と悩んだ。
 普通の人間なら怯えて近づきたくもないと思うだろうその顔を見て、しかし幼女はたおやかに笑んで口を開く。
「あら、その顔は信じてないわね。もうっ、あなたって本当に頭が固いんだから」
「……」
 知った仲でもない上に、何十も年の離れた子どもにそんなことを言われる筋合いはない。
 そんなビスマルクの不満を悟ったのか、幼女は手を腰に当てて言い聞かせるような口調で話し出す。
「いいこと?あなたのギアスが未来を読む力であるように、この状態を作り上げたのは私のギアスなの。C.C.と契約したにも関わらず、私に何の能力も発現しなかったことは、あなただって知ってるでしょ?それが死ぬ間際になってようやく発現したのよ。私のギアスは人の心を渡る力だったの。この子、ああ、この体の持ち主って意味だけど、この子はちょうど私が殺されるところを目撃してね、そのときに心の中に潜ませてもらったの」
「ではあなたは、本当にマリアンヌさまなのですか?」
「だからさっきからそう言ってるでしょ。疑り深いところはちっとも変わってないのね」
「慎重なだけです」
 幼女の呆れた声にさらりと返しながら、ビスマルクは得心した。精神だけであろうとマリアンヌが生きていたというのなら、最愛の后妃が死んだにも関わらず、さしたる悲しみを見せることのなかった皇帝の態度も理解できる。もっとも、彼女の言うことを完全に信用したわけではないが。
「ああ、そうそう、ここでは別にいいけど、外で私を呼ぶときはアーニャって呼んでね」
「アーニャ?」
「この子の名前よ。アーニャ・アールストレイム。私が生きてるってV.V.にばれると面倒なことになるから、その対策に、ね?」
 ビスマルクが優れているのは肉体的にだけではない。頭脳的にもだ。そしてその頭脳は今このときにも鈍ることなく働いて、マリアンヌ皇妃殺人の真相を即座に導き出した。
「……それはつまり、あなたを殺したのはV.V.だということですか?」
「ええ、そのとおりよ。私と出会ったことでね、シャルルが変わっちゃったことが気に入らなかったんですって。つまりは嫉妬?愛されてるわね、あなた」
 幼女はそう言ってからからと笑い、最愛の妻に邪険にされたことでいじけていた皇帝の肩を軽く叩く。
 膝を抱えて座り込んでいた皇帝は、しばらくの間ぷるぷると震えていた。しかしやがて、勢い良く幼女の肩をつかんでがくがくと揺さぶってわめき始めた。
「どうしてお前はそうあっさりしておるのだああああぁ!」
「どう、し、てって……あーもう、放しなさい!」
 頭を揺らされていたせいで話しにくいことを嫌ったのか、幼女は容赦なく皇帝の急所――いわゆる男の急所に蹴りを入れる。
 あれは痛い。ビスマルクはとっさに前をかばい、皇帝に同情した。
「ま、マリアンヌさま、そこまでする必要は……」
「だってこの体、手も足も短いし、力も全然ないんですもの。体格が全然違う人間を相手にするのなら、急所を狙うのが一番確実だわ」
「しかし」
「大丈夫よ。こんなちっちゃい女の子の力で蹴っても、不能になんかならないから。この人お盛んなんだから、潰したりしたらかわいそうでしょ?ちゃんと考えてるんだから心配いらないわ」
 このあっけらかんとした物言い、間違いなくマリアンヌだ。疑い深くこの幼女がマリアンヌではない可能性を考えていたビスマルクは、今この瞬間にそれを捨て去った。そして疑いを捨て去ると同時に、自分が跪いていないことに気付き、慌てて床に片膝をついて頭を下げる。
「御前であるにも関わらず、礼を欠いておりました。申し訳ありません」
「あら、やっと信じたのね。でも……今の発言で確信されるっていうのも、なかなかに失礼な話よね」
「……申し訳ありません」
「まあいいわ、それより顔を上げて。話を戻しましょう。私を殺したのはV.V.だから、あの人にばれるわけにはいかないっていうことは言ったわよね。あの人は長生きしているだけあって、どこに伝手を持っているか分からないもの。用心するに越したことはないわ。それに……」
 幼女は憂鬱そうにため息をつく。
「どうもまだ力が弱いみたいで、私がずっと表に出ていることは無理みたいなの。だからこの体は、ほとんどの時間私じゃなくて、アーニャでいることの方が多いわ。だからもし私を外で見かけても、勝手に声をかけたりしないでね。用があるときは合図をするか、こうしてシャルルに呼び出してもらうから。うっかり気を抜いて話しかけてきたり、マリアンヌなんて呼んだりしたら……そうね、どうしてくれようかしら」
 うふふと優雅に笑っているマリアンヌ。
 彼女の性格を知ってさえいなければ、目の保養と思っていられたかもしれない。しかし残念なことに、ビスマルクは知っていた。彼女のがこういうふうに笑っているときは、ろくなことを考えていないのだということを。
「ご心配なく。へまをしたりはいたしません」
 ビスマルクはだらだらと冷や汗をかきながら、そう言い返した。どうするつもりなのかと聞き返したりはしない。聞けば後悔するだけだ。
「それならいいんだけど……ちょっとあなた、いつまでも寝転がってないでしゃんとなさい」
「ね、寝転がっていたわけではない……わしを沈めたのはおま」
「あなた」
「……」
「何か言ったかしら?」
 にっこり笑顔の幼女と、しかめっ面の皇帝。先に目をそらしたのは皇帝だった。
「……何でもない」
 皇帝はのそのそと立ち上がり、ゆったりとした動きですぐ側にあった椅子に腰掛けた。立ち上がってからの動作と表情は威厳にあふれ、思わずひれ伏したくなるような様子である。
 しかしこれまでのやり取りを見ていたビスマルクにしてみれば、今さら取り繕われてもとしか思えない。もちろん、そんな内心を表に出したりはしないが。
「ビスマルク」
「はっ」
 皇帝に名を呼ばれたビスマルクは、かしこまって頭を下げる。
「ナイトオブワンにして、我が計画の同士でもあるそなたを見込んで、任務を一つ言い渡す」
「何なりと」
「では、我が息子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの護衛を命じる。期間は今このときから、無期限である。V.V.から、そして皇族、貴族……全てからルルーシュを守れ」
「それはつまり、私も日本へ行けということですか?」
「そうだ」
 そこへ幼女が口を挟んでくる。
「ごめんなさいね、ビスマルク。この人ったら、V.V.から守るためにルルーシュを日本へ行かせることに決めたはいいんだけど、今の情勢でブリタニア人があの国にいるのは危険でしょ?だから誰か護衛を一緒に行かせることに決めたの。でもV.V.が刺客を送ってくる場合、それがギアス能力者である可能性は高いから、普通の人間を護衛にしても無意味になる可能性が高いわ。だからギアスのことを知っていて、信頼できる上に国で一番腕が立つあなたを護衛にって聞かなかったのよ。子どものお守りをさせるみたいで申し訳ないんだけど、頼まれてくれるかしら?」
「……国で一番腕が立つなど、あなたにそのようなことを言われても信憑性に欠けますな」
「あら。この体の私だったら、間違いなくあなたが勝つわよ。それで、返事を聞いてもいいかしら?」
「もちろんイエスです。陛下のご命令なら、それがどんなものであれ私は従います」
「ですって。良かったわね、シャルル。ビスマルクが守るんだったら、ルルーシュも安全ね」
「うむ」
 皇帝は重々しく頷いている。しかし表情は笑みを堪えているせいでものすごいことになっていて、声と態度だけを見ていれば完璧だと言える威厳が台無しだ。
「ところで、ご命令ではルルーシュ殿下の護衛をということでしたが、ナナリー殿下はよろしいのですか?」
 ビスマルクが問いかけると、皇帝も幼女もぴたりと動きを止める。
「……どうかしましたか?足と目を患っていらっしゃるとのことですが、まさか……容態が悪化したのですか?」
「いいえ、そんなことはないのよ」
「そうだ。日本へは皇子と皇女、二人を送る。ルルーシュと、その妹をだ」
「ではなぜ?」
「……すぐに分かる」
 皇帝はビスマルクから目をそらした。
「もう行け。任務は今このときからだ。アリエスの離宮のものにはすでに話は通してある」
「がんばってね」
 皇帝の言葉を引き継いで、マリアンヌはにっこりと意味ありげに笑う。
 ビスマルクは、やけに嫌な予感に襲った。








Case02:ビスマルク編


 皇帝の前から辞した後、ビスマルクはすぐさまアリエスの離宮へと向かった。
 皇妃及び他皇族の住まう離宮は、いくら皇帝の信頼厚くナイトオブラウンズの一員であるビスマルクとて、何の手続きもなしに立ち入れるような場所ではない。それは護衛として差し向けるという皇帝の通達があっても同じことだ。人物照会やら危険物のチェック等、いくつもの手続きや検査を終えて、ようやく足を踏み入れることが許される。
 しかし今回、離宮の入り口すぐのところまでやって来たビスマルクを襲ったのは、予想外の事態だった。
「ああっ、殿下です!発見しました!」
 離宮の衛兵がビスマルクの方を見るや否や、声を張り上げて無線に向かってそう叫んだのだ。
 ビスマルクはとっさに足を止めてあたりを見渡して、番兵が言っている人物を探そうとした。しかし見渡す限り、周囲に見える人影は軍人ばかりで、殿下と呼ばれる身分の者などどこにもいない。ビスマルクの目が曇っているのか、それとも声を上げた兵士の見間違いなのか、どちらなのかと考える。
 そこへ、離宮の入り口を守っていた軍人たちが数人群れを成して押し寄せてきた。
「殿下、さあこちらへ。ルルーシュ殿下がお待ちです」
 軍人たちはそう言って、ビスマルクに向かって頭を下げる。もしや気配を感じなかっただけで足元に誰か皇族がいるのではなかろうかと、ナイトオブワンにあるまじきことを考えて下を見るも、誰もいない。では背後かと顔だけで振り向くが、やはり誰もいない。ではこの軍人たちは、いったい誰に向かって話しかけているのだろうか。頭を下げられるだけならば、ナイトオブワンという身分を考えれば別におかしなことではない。しかし皇族でない限り、殿下という敬称を付けられることはない。だからビスマルクに対してではないことは明白である……はずなのだが、どう見ても彼らが頭を下げているのはビスマルクに対してだ。
 はて、いったい何が起きているのかと思っていると、離宮の中から子どもが一人飛び出してくるのが見えた。以前マリアンヌに紹介されたときを除いては、遠目に何度か見たことがある程度でしかないが、皇帝と同じ色をそっくりそのまま受け継いだ稀有な瞳は、十数人いる皇子皇女の中でただ一人しかいないために見間違えるはずもない。護衛対象である、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだ。
 ルルーシュは、幼いこの年から母譲りの美貌を思わせる整った顔を泣きそうに歪ませて、ビスマルクのところへ向かって走ってくる。そして前を塞いでいた軍人たちが空けた道を駆け抜けて、勢いよくビスマルクに抱きついた。
「ビスマルク!」
 こんな必死に名前を呼ばれる覚えはないのだが、と子どもの小さな体を抱きとめながらビスマルクは思った。さらに言えば、こんなふうに親しげに抱きつかれる覚えもない。母親であるマリアンヌの奔放さや活発さに似ず、ルルーシュは大人しくて人見知りをする子どもだったはずだ。その子どもがどうしてこんなことをしてくるのか。自分が知らない間に、人懐っこい性格に変わっていたのだろうか。ビスマルクは不思議に思いながら、手のやりどころに困っていた。
「ビスマルク、どこに行っていたんだ?」
 ルルーシュはビスマルクに抱きついたまま、顔を上げて咎めるような声で言う。
 どこに行っていたも何も、ビスマルクがこうしてアリエスの離宮に来るのは久しぶりのことだし、過去ルルーシュと懇意にしていたわけでもない。だからこんなふうに言われる筋合いはない。だと言うのに周囲の兵士たちも、ルルーシュに続いて出てきた侍女たちも、この状況に何ら疑問を抱いていないようだ。
 事態の把握に努めているビスマルクに向かって、ルルーシュはまたも叱るような口調で話しかけてくる。
「あんなことがあったばかりなのに、外を出歩いたりして何を考えているんだ。あまり心配させるんじゃない……母さんだけじゃなくて、お前まで喪ったらどうしようかと思った」
 ルルーシュはそう言って、安心したようにほっと息をつく。
 何かが決定的におかしい。ビスマルクは思った。親しげだとか人懐っこいとか、これはそんな言葉で片付けられるような態度ではない。いかめしい顔の裏、ビスマルクは悶々と思考をめぐらせる。
 そんなビスマルクを、ルルーシュはただ一言で悪夢の底へと突き落とした。
「愛してるよ、ビスマルク。ぼくのかわいい妹」
 ビスマルクは瞬間冷凍されるのはこんな感じなのだろうかと、そのとき思った。それぐらいの悪寒を感じた。愛してるとかかわいいとか、それぐらいならまだ何とか根性で聞き流すこともできる。しかし、妹……ありえない。性別男のビスマルクはどうやったって妹と呼ばれるような存在になることはできない。それにビスマルクは一人っ子で、兄弟は一人もいない。そもそも、どうやったらビスマルクのような成人をとうに越えた壮年が妹に見えるのだろうか。
 それなのに、一人吹雪を背負っているビスマルクとは違って周囲は何も疑問に思っていないようだ。顔を引きつらせたりぎこちない態度になったりしているものは誰一人としていない。こんな年でこんな外見の男が妹なんて呼ばれたら、普通は平然としていられるわけがないのに。
 そのとき、脳裏に閃くものがあった。皇帝のギアス――記憶を改変する力だ。
 ナナリーを含めない、ルルーシュだけを守れという命令。日本へ皇子と皇女二人を送ると言ったときに、ルルーシュの名前は言っても、皇女の方は妹と言ってぼかした皇帝。がんばってと言って意味深に笑ったマリアンヌ。皇帝はあのとき、アリエスの離宮の者にはすでに話を通してあると言っていた。
 それはつまり、アリエス宮の者の記憶は改変してあるということなのではないか――もちろん、ルルーシュも含めて。
 ビスマルクを自分の妹だと思いこませて、ルルーシュの警戒を解く。たった一人同腹から生まれた妹のことを、ルルーシュはとてもかわいがっていたと聞く。だから妹だと思っているビスマルクを守ろうと、ビスマルクの側を離れることはなくなる。けれど実際守られるのはルルーシュの方であり、ルルーシュが周囲を警戒してビスマルクの側から離れようとしないほど、ルルーシュの安全は保障される。
 またルルーシュの妹だということは、皇女でもあるということだ。先ほど衛兵が言っていた殿下という尊称はつまり、間違いなくビスマルクに向けられていたのだ。
 そして皇子と皇女二人を日本へ行かせるといっておきながら、ルルーシュだけを守れと言った皇帝の真意。それは、ナナリーは日本へ送られないということだ。妹とは、ナナリーではなくビスマルクのことを指していたのだ。だから皇帝は妹を誰と名指しすることなく、ぼかして伝えてきた。皇帝がナナリーのことをどうするかは知らないが、おそらくは別の安全なところへ隠すのだろう。
 ルルーシュの身は、ビスマルクが共に行くことで保障される。そしてナナリーの身は、ヴィ家兄妹二人が日本へ送られたと周囲に思わせることで安全になる。完璧な計画だ……こんな壮年を妹であるとすることについてのおかしさと、ビスマルクの精神的苦痛を除けば。
「ところでビスマルク、その服はいったいどうしたんだい?ラウンズの制服に似ているね……母さんのことが恋しいのは分かるけど、何もそんな昔の服にしなくてもいいだろう。誰に何を言われるか分からないから着替えた方がいい」
 ルルーシュは眉を顰めて、ビスマルクから離れると、少し離れたところで待機していた侍女に声をかける。
「ビスマルク用に作ったドレスで、母上と同じデザインのものがあっただろう。それを用意してくれ」
「かしこまりました」
 侍女は頭を下げて、優雅に歩きながらも競歩のような速度で離宮の中へと姿を消した。
「さあ行こう、ビスマルク。ドレスと同じ色のリボンで髪を結んであげようね」
「……ドレス……リボン……」
 ルルーシュはにっこり笑い、ビスマルクの手を引いて歩き始める。
 ビスマルクは早くも心がくじけそうになっていた。それでも、まさかこんな体格に合ったドレスなどないだろうと思っていたから、まだ一応の余裕はあった。しかし用意されたドレスが、どう見ても特注サイズ――ビスマルクでも着られそうなものであることを見た瞬間、精神的苦痛のあまり任務を放棄したくなった。



 後日、ビスマルクは皇帝に苦情を申し立てに行った。
「陛下!なぜ、なぜっ……せめて弟ということにしておいてくれなかったのですか!?」
「どこからV.V.に漏れるか分からぬだろう。ルルーシュと日本へ行くのは、あくまで妹でなければならんのだ」
「しかし、ドレスを用意する必要はなかったでしょう!コーネリア殿下を考えてください!ドレスなどほとんど着ることはありません!男物がまずいというのなら、せめて似たような服を用意してくだされば……!」
「黙れい!かわいいルルーシュの側にいられるのなら、ドレスぐらいぬああああぁんだああぁ!ドレスを着てルルーシュの側にいられるのなら、わしはいくらでも着てやるわああああ!」
「……」
 仕える主を間違っただろうか。シャルルが皇帝になる前から忠誠を誓って早十数年。ビスマルクは初めてそう思った。








Case03:ビスマルク編・りたーん!


 ルルーシュ護衛の任務についてから早半月。護衛とは名ばかりの任務、マリアンヌが言った子守というのも程遠い苦行――周囲から六つの女の子として扱われることにも慣れる……わけもなく、ビスマルクがもういっそ殺してくれと思う日々を過ごすようになってから早半月。とうとうヴィ家兄妹は日本へと追いやられた。……実際にはヴィ家兄妹ではなく、正当なるヴィ家長子のルルーシュと、皇帝による記憶改善のせいで周囲にはその妹だと思い込まれているビスマルクなのだが、それはともかくとして、ルルーシュとビスマルクは日本へとやって来た。
 実際には人質のようなものだが、名目は留学。滞在先は現首相である枢木ゲンブの邸であると知らされていた。しかし住まいとして案内されたのは、枢木家の敷地内ではあるが、本邸から離れた林の中にある建物……ありていに言えば、ボロ屋であった。現在の世界情勢から歓迎されるとはこれっぽっちも思っていなかったが、まさかこれほどまでに軽んじられるとは、とビスマルクはそのボロ屋の入り口で立ち尽くし、苦虫を噛み潰した。
 無言で顔を歪めているビスマルクを見て何を勘違いしたのか、ここに来るまでつないでいた手を引っ張って、ルルーシュが話しかけてくる。
「だ、大丈夫だよ、ビスマルク。母さんなんか、戦場で何度も野宿したことがあるって言ってたし、それに比べれば屋根があるだけましだよ」
 比較対象が悪すぎる。訓練された軍人なら堪えられても、温室育ちの皇族には堪えられないことなんてたくさんある。そもそもあのマリアンヌと、彼女から生まれたとは思えないほどインドア派なルルーシュを比べる方が間違っている。
「それに、なかなか……うん、なかなか趣のある建物だと思わないか?」
「……ええ、そうですね」
 趣があると言っている割にルルーシュの顔は引きつっていたが、それを指摘するほどビスマルクは底意地が悪くはなかった。ルルーシュとしては、幼い妹を慰めようと必死なのだと分かっていたからだ。……その妹が自分だと思うと死にたくなるので、深く考えることはしなかったが。
「日本には、住めば都という諺があるらしいんだ。見た目は、その……少し古びているかもしれないけど、大丈夫、ぼくらもきっとうまく暮らしていけるよ」
「さっきから黙って聞いてれば、屋根があるだけマシだとか古びてるだとか、失礼なやつだな」
 そんな声とともに、ルルーシュと同じぐらいの年頃の子どもが一人、暗がりから姿を現す。資料で見た顔だ。確か枢木首相の一人息子、枢木スザクだ。
「誰だ!?」
 ルルーシュは声を張り上げて、ビスマルクをかばおうとして前に立とうとする。
 護衛対象にそんなことをさせるわけにもいかず、ビスマルクはつないだままだった手を有効活用して、前に行こうとするルルーシュを引きとめる。
 それまでより強く手を握られたルルーシュは、一瞬驚いたように目を見開いて、それからすぐににっこりと笑った。
「大丈夫だよ、ビスマルク。ぼくが守ってあげるからね」
 不安になって手を引いたわけではない。大体こんなごついビスマルクを見て、どうしたら不安になっていると思うのだろうか。それがギアスの効力だというのならば、何と恐ろしいことか……ある意味。いったいルルーシュには、ビスマルクがどう見えているのかと考えると、非常に恐ろしい気分になってきて、ビスマルクはぶるりと体を震わせた。
「なーにが守ってあげるからね、だよ。そいつ、おまえのSPなんだろ。普通逆だろ」
 スザクは呆れたような声で言う。
 久しぶりにまともな意見を聞いた気がして、ビスマルクは思わず感涙の涙をこぼしそうになった。
「なっ、失礼なことを言うな!ビスマルクはぼくの妹だ!!」
 ルルーシュの反論によって、感動は一気に消えていく。
 スザクは信じられないような目をビスマルクに向けてくる。
「……妹?……それが?」
 ありえないものを見るような目を向けられて、ビスマルクは消え入りたくなった。ここ半月の奮闘の成果、どうにかこうにかスカートやらひらひらふりふりの服やらを回避する術を身につけ、今日はまともな服を着ることができていたというのに、そんな努力も『妹』という一言の前には形無しだ。
「いくらビスマルクがまだ小さいからと言って、それとは何だ!女性に向かってなんて口を利くんだ!」
「そいつのどこをどう見たら女に見えるって言うんだよ!どう見てもごついおっさんだろうが!」
「おっさ……!」
 ルルーシュは絶句した。
 ビスマルクはうっかり力強く頷きそうになるのを、全力で堪えなければならなかった。
 そうしているうちにルルーシュは回復して、反論の声を上げる。
「妹に失礼なことを言うな!ビスマルクは、その……えーと、す、少し骨太なだけだ!」
「うげっふ……ごほっ、がはっ!」
 ビスマルクは盛大に咳き込んだ。
「体が大きいのも年より上に見えるのもひげが生えてるのも、母さんじゃなくて父上に似たからで、でも運動能力は母さんに似てすごくいいし、少しおてんばだけどぼくと違って素直でとってもいい子だし、それに」
「分かったから。それよりいいのかよ。おまえの……妹?死にそうになってるぞ」
 スザクはルルーシュの言い分に納得したのか、それとも妙な音を立てて咳き込んでいるビスマルクを見るに堪えかねたのか、そう言ってルルーシュの言をさえぎる。
「ビスマルク!」
 ルルーシュは悲愴な声を上げて、うずくまるビスマルクにひしっと抱きついてくる。
「あいつの暴言がそんなにショックだったんだね!」
 ショックだったのはルルーシュの発言の方だ。
「気にすることはないんだよ、ビスマルク。間違っているのはおまえじゃない、世界の方だ!誰に何を言われても、気にする必要なんかないんだ。おまえはぼくのかわいい妹なんだから」
「ぐふっ!」
 か い し ん の い ち げ き !
 もはや息も絶え絶えのビスマルクを、喧嘩を売ってきていたはずのスザクが微妙な眼差しで見つめていた。








Case04:シャルルがもし知ったら大惨事だよ!編


 出会いが最悪だったにも関わらず、ルルーシュとスザクはなぜか友達になっていた。そして今、ルルーシュとスザク、そしてビスマルクを交えての三人は、枢木家の敷地内にある森を探検していた。
 正直ビスマルクはこんなことを楽しみに思う心は何十年も前に失くしてしまったので、楽しんでいるのはルルーシュとスザクだけだったが。
 いかめしい顔でむっつり黙り込んで歩いているビスマルクを見て、ルルーシュは眉尻を下げて問いかけてくる。
「ビスマルク、大丈夫?疲れてないかい?」
「大丈夫です」
 言葉少なに返事をするビスマルクの後を継いで、スザクがルルーシュに話しかける。
「疲れてるのはおまえだろ」
「疲れてなんかない!」
「どーだか。ルルーシュは体力ないんだから、片意地張ってないで素直に休憩したいって言えばいいだろ」
「だから、疲れてなんかないって言ってるだろ!それに、ぼくは体力がないわけじゃない!おまえが体力馬鹿なだけだ!」
「ふざけんな、このもやし!大体おれが体力馬鹿だっていうのなら、ビスマルクはどうなんだよ!」
「母さんに似てきたんだろう。良かったね、お前は昔から、母さんみたいになりたいって言うのが口癖だったものね」
 スザクに対する態度とは大違いのやわらかさで、ルルーシュはビスマルクに笑いかけてくる。
 そこへぼそっと小声でスザクが口を挟んでくる。
「妹より弱っちいくせに、良かったも何もないだろ」
「っ、うるさいな!ビスマルクは女の子だから男よりちょっと成長が早いだけで、ぼくもそのうちビスマルクより大きくて強くなるんだ!」
「それは無理だろ」
「無理じゃない!」
 ルルーシュは必死に反論しているが、ビスマルクとしてはスザクに同意だ。ビスマルクがこんななのは、別に成長が早いわけでも特別骨太なわけでもなくて、すでに体が完成しているからだ。正直考えたくないが、もしビスマルクが本当にルルーシュの妹ならばルルーシュにも希望はあったかもしれないが、実際は違う。どこからどう見ても母皇妃似ではあるが体力皆無のルルーシュは、成長してもビスマルクのように見た目にも実際にもたくましくなることは不可能だろう。
 スザクもそう思ったのか、呆れたような顔をしている。
「いや、無理だって。むきむきになったおまえなんて想像できねーもん……おまえは、今のまま大きくなった方がいいよ。それに、別に弱いままでもいいだろ。おまえが弱くても、おれが守ってやるんだから」
 そう言ったスザクはルルーシュから視線をそらして、耳を真っ赤にしている。
 これは友達じゃなくて、悪い虫というのではなかろうか。ビスマルクは眉根を寄せて、この悪い虫候補をどうするべきかと考えた。





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