エデンの外

注:一期捏造。地下鉄で再会したのがスザクではなくジノだったら……スザクまでからめるとややこしいことになるので、スザクの存在はまるっと無視しています。連載にすることがあったら、ちょこっと手を入れて書き直すかも。



 ――エリア11に行け。

 皇帝からラウンズに向かって、そう命令が下された。エリア11に行って、未だ抵抗を続けるテロリストたちを始末して来い、と。
 それは、特定のナンバーに向かって指示されたものではなかった。だからジノは自ら申し出た。その役目、ぜひ自分に、と。
 エリア11。かつて日本という名の国であったそこは、エリア制定から七年もの月日が経った今でも日々精力的にテロ活動が行われている。壊滅的な被害を受ける前に降伏したために、余力を残していたせいで、抵抗の芽があちらこちらに残っていたのだ。降伏が早かった理由に、初めて実戦投入されたナイトメアフレームの威力あったのか、それとも徹底抗戦に異を唱えて自決した首相の存在があったのかは、ジノには分からない。
 分からないし、どうだっていい。重要なのは、今はイレブンと呼ばれるあの民族が、ジノが主にと望んだ皇子を殺した。だからジノは、復讐として彼らを殺す――ただ、それだけだ。


◇ ◇ ◇


 エリア11では、総督であるクロヴィスの指揮下に入るように。皇帝からそう命じられた。
 クロヴィスは凡庸な男だった。その才は決して政治向きではなく、芸術方面に優れていた。もしも皇族に生まれていなかったら、彼はきっと優れた芸術家になっていたに違いない。けれど彼は皇族で、生みの母の身分が高かったため、生まれながらにして高位の皇位継承者だった。ゆえにその矜持は高く、ジノがナイト・オブ・ラウンズの一員であろうと……いや、ジノがラウンズの一員であるからこそ、彼はテロリストを倒すのにジノを使うことはなかった。
 彼がジノに求めるのは、ラウンズとしての地位ではなく、ヴァインベルグという公爵家の身分だけだ。だからそれに付き合って、連日催されるパーティーにもわざわざ出席している。今もそうだ。
 クロヴィスは演説を終え、媚びを売る貴族の相手を満足そうな顔でしている。
 皇帝は、ジノにクロヴィスの指揮下に入るように言った。しかし、クロヴィスに何と言ったのかは知らない。こうもラウンズであるジノを戦闘に使おうとしないのは、もしかしたらジノとクロヴィスに下された命令に、何か違いがあるのかもしれない。しかしだからと言って、いつまでもこんなふうにジノを飼い殺すつもりならば、大人しくしているつもりはない。それなりの対応が必要だ。ジノは目を細めて、シャンパンの入ったグラスを傾けた。
 そのとき、華やかな会場内にノイズが飛び込んでくる。
「で、殿下!」
 バトレー将軍だ。よほど焦っているのか、額には汗が浮かんでいる。
「何だ、無粋な」
「申し訳ありません、しかし……」
 バトレーは声を潜めてクロヴィスに話しかける。
 ジノは足音を殺して、出来る限りの近くまで移動する。
「愚か者!」
「け、警察にはただの医療機器としか……」
「直属を出せ!ナイトメアもだ!」
 クロヴィスは珍しく厳しい顔をして宣言する。
 珍しいこともあるものだと思い、ジノは目を細めた。
 会話から判断するに、どうやらテロリストに何かを奪われたたらしい。それも、公にできない何かを、だ。表向きには医療機器として説明できない何か、そして奪われたことでこんなにも動揺する重要なもの――ジノはにやりと笑みを浮かべて、そっと会場から抜け出した。
 クロヴィスからはまだ何も言われていない。出撃とも、待機とも。ジノは現在クロヴィスの指揮下にあるが、もともとラウンズは指揮権を持っている。つまり誰の指示もないときには、自らの意思で動くことが許されるのだ。
 現在はクロヴィスの指揮下に入るようにと命じられているが、ジノがエリア11に送られた理由の柱はテロリストの撲滅だ。ならば、いつまでもジノを使おうとしないクロヴィスに逆らったとしても、クロヴィスのジノに対する扱いを奏上すれば、罰せられるのは果たしてどちらになるか分からない。つまり、クロヴィスは表立ってジノを処罰することはできないということだ。何と言ってもジノは、皇帝直属の騎士なのだから。
 それに、クロヴィスが取り戻そうとしているものを先に見つけて、それが何なのかを知ることができれば、クロヴィスの弱味を握ることができる。そうすればクロヴィスも、ジノが戦場に出ることを拒みはしなくなるだろう。
 テロリストが向かったというシンジュクゲットーへと、ジノは密かにトリスタンを乗せたトレーラーを進めさせた。



「見つけた、あれだな……ん?」
 探し物の前に一つの人影が見えた。
 クロヴィスに見つかる前にと、ろくな装備もしないで総督府を飛び出してきたから、暗視スコープもつけていない。そのため、もっと近づかなければそれがどんな姿をしているのかすら分からない。けれど、軍が総力を挙げて探している物体のすぐ側にいる人間――そんな相手が探し物を強奪したテロリストと無関係のはずがない。
 ジノはそう判断して、地面を蹴って走り出した。長いマントがはためく。数ヶ月前から身にまとうようになったこれは戦闘には不向きだが、それで身動きを妨げられるほど未熟ではない。
「今のうちに、上からよじ登れば……」
 大きなカプセルを見上げながら言うテロリストの背中に、ジノは迷うことなく蹴りを繰り出した。
 けれどテロリストの男はジノが近づいていることに気付いたようで、蹴りが届く前にはっとしたように振り向いて、とっさに顔の前で腕をクロスしてガードする。が、踏ん張りが利かなかったのか、そのままトレーラーの床へと倒れこんだ。
 とっさの反応は悪くなかったが、あまりに力が足りない。テロ活動なんて物騒なことをしたいのならもっと体を鍛えるべきだな、と倒れたテロリストの胸倉をつかみながらジノは思った。
「ブリタニア軍……!」
 驚いたような声は、意外にも若い。床に押さえつけた体も、成人した大人のものとは言いがたい。もしかしたら、ジノとそう年は変わらないのかもしれない。
 けれどジノは同情などしない。あの人を――ジノが生涯かけて仕えようと決めた主君を殺した民族を、憐れだと思うようなことはあってはならないのだから。
「チェックメイト。残念だったな、テロリスト君?」
「待て、俺は……!」
「とぼけようとしても」
「だからぁ!」
 腕の下でもがいていたテロリストは苛立ったような声を上げ、最後の抵抗と言わんばかりに猛烈な蹴りを繰り出してくる。
「おっと」
 大人しく食らってやる理由はないので、ジノは瞬時に跳び下がった。
「俺はテロリストなどではない、巻き込まれただけの学生だ!」
 テロリスト――いや、彼が言うことが確かならば、面倒ごとに巻き込まれた運の悪い学生は、自らの無実を主張しながら起き上がった。蹴り倒したときのダメージが効いているのか、少しふらつきながらこちらに向かってくる少年の顔立ちが、開いたトレーラーの隙間から差し込んでくる光に照らされてあらわになる。
 そうなってみると、彼がイレブンではないことは一目するだけで明らかだった。黒い髪はブリタニア人には珍しいが、白い肌も目鼻立ちも、日本人にはありえない造作をしている。もしかしたら主義者ということも考えられるが、見たところ何の武装もしていないようだし、本当にただ巻き込まれただけのようだ。
「人の話を聞きもしないで勝手に決め付けるな!これだからブリタニアは……!」
 こんな紛らわしい場所にいた彼も悪いが、巻き込まれたというのならそれを言っても仕方がない。ジノは素直に謝罪しようとして、けれど硬直した。暗がりの中できらりと光る瞳に囚われたのだ。憤りを隠すことなくジノを睨み付けてくる二つの瞳。その色をジノは知っている。
 最も尊い紫――ロイヤルパープルの瞳。ブリタニア皇族に生まれたほとんどの者は、目に紫を有している。パンジー、ヘリオトロープ、グレープ、ヴァイオレット、モーブ、ラベンダー、アイリス、ライラック、パープル、プラム、ラズベリー、フランボワーズ……様々な色合いの中で、もっとも尊いとされるのがロイヤルパープルだ。そしてその色を有するのは、現在皇室では皇帝陛下のみである。
 けれど過去にはもう一人存在した。十一番目に生まれたブリタニアの皇子、庶出の皇妃から生まれたばかりにその才に不釣合いの境遇を強いられた皇族、そしてジノが生涯の忠誠を捧げたかった人、その名前は――。
「ルルーシュさま……?」
 信じられない思いで声にした名前に、目の前の少年はぴたりと罵詈雑言を止めて目を見開いた。
「な、どうして、お前……」
「ルルーシュさま、なのですね……?」
 紫は決して皇族特有の色というわけではない。閃光のマリアンヌと呼ばれた庶出の后妃とて、青みがかった紫の目をしていた。だから目の色だけで気付いたわけじゃない。ただ、尊くも懐かしい色が気付くきっかけになっただけだ。
 感極まって泣きそうになっているジノとは裏腹に、ルルーシュはぴりぴりと警戒した態度を崩さない。
 まるで初対面の相手を見るような目で見られて、ジノは悲しかった。子どものころとは随分様変わりしてしまったから、無理はないとは分かっているけれど、それでも悲しいものは悲しいのだ。
「私のことが分かりませんか?ジノです、ジノ・ヴァインベルグです」
「ジノ……お前、ジノなのか!?」
「はい……生きて……生きておられたのですね、ルルーシュ殿下……」
「っ……俺は……」
 ルルーシュが焦ったような顔になったとき、カプセルが音を立て、光を上げて開き始めた。
「殿下!」
 ジノは慌ててルルーシュに走り寄ると、その細い体を腕の中に閉じ込めてマントの下に覆い隠した。そして自分は臨戦態勢に入る。軍には毒ガスと言って捜索させているようだが、クロヴィスとバトレーのあの態度から考えて、それが事実とは思いがたい。さあ鬼が出るか蛇が出るか、ジノはそんな心境だった。
 あふれるような光が収まって、ようやく視界が確保できたとき。カプセルの中に浮かんで見えたのは、鬼でも蛇でもなく、ましてや毒ガスなんかでもない、拘束着に身を包む一人の少女だった。
「どうしてこんな子が……」
「おいジノ、腕を放せ!」
 驚愕のために力が抜けていたのか、ルルーシュはあっさりと腕の中からすり抜ける。マントの下から出たとたん、彼は目の前に広がる光景を見て絶句した。
「……何だ、これは?」
「毒ガスだと……表向きにはそうなっています」
「毒ガス!?これがか!?」
 ルルーシュは憤りに顔を歪めて、一つ舌打ちをした後でカプセルに向かっていく。
 ジノは慌ててその腕をつかんだ。
「殿下、いけません!危険です!」
「こんな少女のどこが危険だ!手足の自由を奪われ、言葉も封じられて……ふざけるなっ!!人を何だと思っているんだ!」
「ですが……」
「おまえはっ、こんなふうに扱われている子に手を差し伸べもしないのか!弱者はどうなってもいいと、お前もそう言うのか!」
「そうではありません!ですが、分かってください!殿下の方が大切なのです!」
「身分はとうに捨てた!そんなふうに呼ぶな!」
「捨てたって……」
 ジノは瞠目した。驚きのあまりつかんでいた腕を放したことにも気付かない。
「そんな、どうして……」
 ルルーシュは答えない。ただ黙々と、拘束着を着せられた少女を抱き上げてトレーラーの外へと移して、その拘束を緩めていく。
 ジノはその背中を追った。
「ルルーシュさま!」
「……その服、確かナイト・オブ・ラウンズの制服だろう」
「っ、これは!」
「皇帝直属の騎士、か……出世したものだな」
「やめてください!私が誰の騎士になりたかったかなんて……あなたが一番良く知っているくせに!」
「過去の話だ」
「今もそうです!」
 ルルーシュは驚いたように肩を揺らして、ようやくジノに顔をみせてくれる。
 目を見開いているルルーシュに向かって、ジノは真摯に語りかける。
「今も……私の主は一人だけだと、そう思っています」
「ジノ、お前……」
「ラウンズになったのはただの成り行きです。ただがむしゃらに敵を倒していたら、いつの間にかなっていただけで……私が騎士になりたいのは、」
 そのとき、眩いほどの光があたりを照らした。とっさに腕で目をかばって光源の方向を見ると、そこには軍人たちの姿があった。あれは確か、クロヴィスの親衛隊だ。
「困りますなぁ、ヴァインベルグ卿」
 ジノはとっさに前に出て、彼らの視線からルルーシュを隠した。
「クロヴィス殿下はあなたに、このような指示を与えてはおられないはず。そうですな?」
「ああ、そうだな。だが、間違ってもらっては困る。私はエリア11のテロを殲滅するために来たのだ。決して遊び耽るためにここへ来たのではない。私の現状を陛下に申し上げれば、咎められるのはどちらだろうな?」
「……殿下を脅すおつもりですか?」
「事実を述べているだけだ。ところで、君たちの探し物は毒ガスと聞いていたのだが……どうやら少し、情報の行き違いがあったみたいだな。あの少女は何だ?」
「それは言えません。機密ですよ、機密……だから、どいてください。これを目撃していなければ温情も与えられたかもしれませんが、見てしまった以上、そのテロリストは射殺します」
「待て!この方は、いや、彼は違う!私の知り合いだ!巻き込まれただけで、テロリストなどではない!」
「たとえテロリストでなかろうと、機密を目撃した人間を生かしておくことはできませんよ。……ああ、そう言えば、あなたもそうでしたな、ヴァインベルグ卿?」
「何を」
 信じられない言葉に瞠目すると同時に、銃口がこちらに向けられる。引き金が指にかかるのが見えた。これだけの距離があれば避けられる。しかし動きかけた体は、背後にいる存在を思い出したときに硬直した。避けたら、誰よりも大切な主君に当たるかもしれない。その思いが動きを鈍らせる。
 乾いた音が空気を震わせる。ついで腹部に鈍い痛み。
 撃たれたと気付いたときには、ジノはその場に崩れ落ちていた。
「ジノ!」
「る、るーしゅ、さま……にげ、て……」
 ジノの意識はそこで途切れた。


◇ ◇ ◇


 結果として言えば、ジノは助かった。
 どうやら親衛隊の人間はとどめを刺していかずに立ち去ったらしく、通りがかった軍人に救助されたのだ。目覚めたら救護トレーラーの中にいて、治療を施されていた。
 その後は、親衛隊の所業とカプセルの中身をたてにクロヴィスを脅して戦場に出た。本当ならルルーシュを探しに行きたかったのだが、すでにクロヴィスが軍を動かしている以上、生身で捜索に向かうのは危険だった。だからナイトメアでテロリストを殲滅しつつ、ルルーシュを探すことにした。ルルーシュならば、とうの昔に逃げ出している可能性も大だが。
 テロリストは、どうやって手に入れたのかは知らないがサザーランドに乗っていた。けれどジノとトリスタンの前では、サザーランド程度敵ではない。向かってくる機体全てを倒した。そして指揮官らしき人物が乗るKMFを追い詰めたはいいが、人命を救助している間に逃してしまった。
 いつもなら救助などせずに、テロ殲滅を優先していたはずだった。けれど、建物から落ちてくる人の姿を見たときに思い出してしまったのだ。「弱者はどうなってもいいと、おまえもそう言うのか!」と、そう言ってジノを詰った主君のことを。それを思い出したら、テロに巻き込まれて建物から放り出された人を――弱者をそのままにしておくことなんてできなかった。
 救助してすぐに敵KMFを追ったが、それを見つける前に、クロヴィスの名の下に停戦命令が下された。
 何の酔狂だと思った。けれど停戦はジノにとっても好都合。トレーラーにトリスタンを戻すや否や、ルルーシュを探しに飛び出した。身分は捨てたと言っていた。だから、軍の人間を使って捜索することはできない。ジノはシンジュクゲットーを走り回った。
 けれど一時間もしないうちに、その捜索を打ち切らないわけにはいかなくなった。クロヴィスが殺された。その報を耳打ちされたためだった。
 その日から、色々なことがあった。バトレーの失脚、純血派の台頭、総督殺人犯の逮捕、真犯人と名乗る仮面の男ゼロの登場、ジェレミアの奇行……忙しさのあまり、ルルーシュを探すことなどとてもできなかった。
 それでも新たな総督が決まる頃には随分と落ち着いてきて、町に出る暇も何とかできるようになった。あのトレーラーの中で、ルルーシュは巻き込まれたのだと言っていた。そして自分を学生だとも。それはつまり、この近郊で身分を偽って、学生として平和に暮らしているということなのではないだろうか。それならばもしかしたら、こうして町を歩いていればあの方に出会うことができるのではないか。そう考えたのだ。公に捜索できない以上、それがジノにできる精一杯だった。
 そしてジノは、ルルーシュ本人ではないが、彼につながる手がかりを町で見つけた。服だ。ルルーシュがあのときに着ていた服。それと同じ服を着ている人間を見つけたのだ。問いただしてみると、それはアッシュフォード学園の制服だということが判明した。
 ジノは即座にそこへの編入を決めた。



 学生初日、校門の前で待機していたのは一人の女子生徒だった。彼女はジノの姿を認めるや否や、優雅に礼をしてくる。
「初めまして、ヴァインベルグ卿」
 その挨拶に、ジノは少しだけ口の端を吊り上げる。初めまして、確かにそうだ。彼女とあいまみえるのはこれが初めて。けれどジノは彼女のことを知っている。主にと望んだ人の後見を務めていた家の娘だ。知らないわけがない。ジノが勝手に知っているだけだから、もちろん相手はジノのことなどこれで初めて知ったのだろうが。
 なぜならジノはかつて、表立ってルルーシュとの交流があったわけではないのだ。
「私はこの学園の生徒会長をしております、ミレイ・アッシュフォードです」
「ああ、よろしく。ジノ・ヴァインベルグだ」
「職員室まで案内させていただきますわ。どうぞこちらへ」
 歩き出したミレイに続いて、ジノも学園の敷地内に一歩を踏み出した。
「祖父から話はうかがっております。普通の学生というものを体験したくて、わが校への編入を望まれたとか」
「ああ。だからここでは、社会的立場は無視してくれたまえ」
「分かりました。……じゃあ、ジノ。こう呼んでもいいかしら?」
「もちろん」
「ジノは十六って聞いてたけど……ずいぶん大きいわね」
「成長期になってから随分伸びたんだ。それまでは年下にも負けるぐらい小さかったんだんだけどな」
「小さかったって……信じられないわねぇ」
 しみじみと言われて、ジノは苦笑する。
 そう言われても事実だ。だからルルーシュは、一目でジノのことを分かってくれなかった。昔のジノは、いくらルルーシュが一つ年上だったからとは言え、それよりも二十センチ近く背が低かったのだ。まさかこんな大男に育っているなんて、思わなかったのだろう。
「よく言われる」
「そうでしょうね、高一にはとても見えないわ。ああそうだ、あなたのクラスはB組よ。あら」
 ミレイはそう言って、ふと何かに気付いたように軽く目を瞠る。
「ルルちゃん発見。こんな早くに珍しいわね。おーい、るっるーしゅーう!」
 呼ばれた名前と、ミレイが向けた視線の先に見つけた姿に、ジノは胸が跳ね上がるのを感じた。
「何ですか、会長?」
 ルルーシュは疲れたような顔で振り向いて、ジノの姿を見つけると一瞬瞠目したが、すぐに笑みを取り繕う。
「相変わらず、朝から無駄に元気ですね」
「無駄にとは何よ。元気が足りてないルルちゃんに、このミレイさんが優しくも元気を分け与えようとしてあげているのに」
「はいはい、ありがとうございます。それで、見たことがない顔を連れていますが……転校生ですか?」
「そ。ジノ、彼はルルーシュ・ランペルージ。うちの副会長よ。二年だから、ジノよりは一つ先輩ね。授業サボるし、テストには本気出さないし、イケナイ遊びに精を出したりしている不真面目っ子だけど、意外に優しいところもあるから困ったことがあると頼るといいわ」
「意外には余計ですよ。……初めまして、ヴァインベルグ卿?」
「あ……は、初めまして……」
 初めましてという言葉と完璧な作り笑顔に、ジノは思わず硬直する。何とか挨拶を返すことができたのが、自分でも不思議なぐらい動揺していた。
「ルルちゃぁーん、どうしてそんなに他人行儀なのかなー?」
「ヴァインベルグ家と言えば、有名な公爵家でしょう。それに確か彼、何ヶ月か前にナイト・オブ・ラウンズに任じられたと報道されていましたよね。身分差を考えれば、これぐらい当たり前だと思いますが?」
「だぁーめ!ジノはここでは、普通の学生ってのをやりたいんですって。だから敬語は禁止!……よね、ジノ?」
「は、はい」
「ちょっと、どうしてあなたまでそんな言葉遣いなわけ?」
「い、いや、その……せ、先輩だから?」
「うん?ならどうして私には敬語じゃないのかなぁ?」
「それはその……」
 ジノは返事に窮した。
 そこへすかさずルルーシュが助けの手を差し伸べる。
「人徳の差でしょう。ヴァインベルグ卿はきっと、一目で俺が尊敬に値する先輩だということを見抜いたんですよ」
 キラキラと効果音でも聞こえてきそうな微笑み――ただし胡散臭い――に、ジノは思わずすがりついた。
「そ、そうです!そのとおり!」
「それは、私は尊敬に値しないって言いたいの?失礼しちゃうわ。罰としてルルーシュ、ジノを職員室まで案内しなさい!ジノは放課後、生徒会室まで来るように!」
 ミレイはびしっとルルーシュを指差して宣言したかと思うと、ぱちんと一つウィンクを寄越してこの場を去っていく。
「……気付かれたな」
「気付かれたって……」
「お前と俺が知り合いだということがだ。ふざけた態度を取ることが多いが、あれでいてミレイは鋭い。……お前の態度が怪しすぎただけとも言えるがな」
 ルルーシュは肩を落として大きなため息を吐き、さっさと歩き始める。
 ジノは大きな体を縮こまらせて、その後を追った。
「すみません……」
「謝るぐらいなら態度を改めろ。それより……無事だったんだな」
 ルルーシュはふわりと笑う。それは再開してから初めて見た、本当の笑みだった。
「目の前で撃たれたから、心配した。逃げるのに必死で無事を確認する暇もなくて……すまなかった」
「そんな!殿下が気にかけてくださっただけでも、身に余る光栄です!」
「身分は捨てたと言ったはずだが?」
「……ルルーシュさま」
「敬称は余計だ」
「ならどう呼べと?」
 ジノは困りきってルルーシュを見た。
 ルルーシュは呆れたように笑って言う。
「お前……大きくなったのは体だけみたいだな。その顔、昔と全然変わってない」
「……名乗らないと分かってくれなかったくせに……」
「それだけ様変わりしていたら仕方ないだろう。すねるな」
「すねていません」
「どうだか」
 ルルーシュは肩をすくめた。
「話がそれたな。俺のことは呼び捨てにしろ」
「無理です!そんな畏れ多いこと!」
「何度言えば分かる。俺はもう皇子ではない。ここで俺はルルーシュ・ランペルージという、皇族でも貴族でもない単なる庶民として暮らしている。それを壊すようなことはしないで欲しい。お前も、俺が隠れ住んでいることが分かっていたから、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの生存を誰にも告げることなく一人でここまで来たのだろう?……違うか、ジノ?」
「……皇室に戻るおつもりは、ないのですか?」
「ない」
 簡潔な一言は、だからこそ強固な決意を表しているようで、ジノには何も言えなかった。
「だから、俺はお前の主にはなってやれない」
 ルルーシュは足を止めて、ジノの頬に手を伸ばしてくる。
 その手付きがあまりに昔と変わらなくて、ジノは泣きたくなった。
 ヴァインベルグは、自らの家が出した皇妃の産んだ皇女を擁立している。年が近いという理由でジノは、彼女の遊び相手として幼い日々の大半をブリタニア宮の中で過ごしていた。皇女は乱暴で自分勝手で、気に入らないことがあればよくジノをぶった。ジノはあるときそれに耐えかねて、彼女の住む離宮を飛び出した。人を避けて無茶苦茶に走っていると、どこか別の離宮の防護壁に衝突しそうになった。慌ててブレーキをかけたジノはふと、その壁の下に小さな穴が開いているのを見つけた。いけないことだと分かっていたが、ジノはその穴を通って壁の向こうに行った。
 初めてルルーシュと出会ったのは、そのときだった。ジノは穴を出たところで座り込み、ぶたれた頬を押さえて泣きじゃくっていた。
 そこへやって来たのがルルーシュだった。母と妹にあげる花を摘んでいた最中だった彼は、両手に花を抱えていた。泣きじゃくるジノを見て、彼は困ったような顔になった後、静かにハンカチを差し出してきて、優しく頭を撫でてくれた。
 そのときと同じ、どこまでも優しい手付きだ。
「ごめんな、ジノ」
「……嫌です」
「ならば、俺の生存を本国に知らせるか?……俺の意志に逆らって」
 ジノは無言で首を横に振った。そんなことをできるわけがないのは、ルルーシュが一番良く分かっているはずなのに、ひどいことを言う。
「そんなことしません……できません。でも、嫌なんです。私はあなたを見つけてしまった。たった一人の主を見つけてしまった。それなのに、主になれないなんて……そんなことを言わないでください。あなたが身分を捨てたとか捨てないとか、そんなことはどうでもいいんです。私はあなたの騎士になりたい。それだけなんです」
「ジノ……」
「お願いです、ルルーシュさま。私をあなたの騎士にしてください。ラウンズをやめろと言うのなら今すぐ辞表を提出してきます。形だけでも他者に忠誠を誓ったことが許せないと言うのなら、剣を持つ手を折ってください。皇室に戻りたくないというのなら、私も全力であなたのことを隠し通します。呼び捨てにしろと言うのなら、そのようにしてみせます。敬語も態度も、全部改めます。ですから……お願いです、どうか……」
 頬に触れているルルーシュの手をつかみ、ジノはすがるようにそれを胸に押し抱いた。
「帝国最強の騎士の座を、捨てると言うのか?」
「私が欲しいのは、あなたの騎士の座です。私の忠誠は、あなたのもとに」
「……お前は馬鹿だ。ラウンズにまで上り詰めておきながら、何の価値もない俺に忠誠を誓うなど……」
 ルルーシュはため息を吐いて、それからささやくような声で言った。
「俺はお前に、何の見返りも与えてやることはできない。地位も金も……将来も。それでもいいのか?」
「ルルーシュさま、ではっ……!」
「ルルーシュ、だ。呼び捨てにするのだろう?」
 悪戯っぽい笑顔で咎めてくるルルーシュに、ジノは満面の笑みを向けた。
「はい、ルルーシュ!」
「ラウンズをやめることはない。突然やめたりしたら、何事かと思われていらぬ詮索を受けることも考えられる。それよりはブリタニアの中にいて、俺たちが見つかることがないように協力してもらいたい。できるか?」
「イエス・ユアハイネス!」
「……言葉遣い」
 じろりと睨まれて、ジノは背中に汗を流しながら言い直す。
「も、もちろんだ!」
「人前でボロを出したら、即効で解任するからな」
「やめてください!」
「敬語」
「あ」
「早速か……短い騎士生命だったな」
 残念だと言ってため息を吐くルルーシュに、ジノは必死になって弁解した。
「い、今のは人前じゃありませんから、なしです、なしー!」


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