白雪の棺

 ウィリアム・ハリントンが、神聖ブリタニア帝国第11皇子を初めて目にしたのは、かの人が妹姫と共に外交使節として日本に渡ることを記念した、祝賀の会である。
 病弱な性質に生まれついたせいで、公爵家の長男として公式の場に姿を見せることは、ウィリアムが15歳になったばかりのときに開かれたその祝賀会が初めてだった。それまでは、ずっと静養して暮らしていたのだ。
 ウィリアム個人のことはいいとして、問題は第11皇子について、である。
 外交使節と言えば聞こえはいいが、実際のところ、彼らの存在は体の良い人質に過ぎなかった。
 幼い皇子と皇女が政治の道具として、まるで意思なき物のように扱われる様は、憐れを催すものだったのかもしれない。
 しかし、ハリントン公爵家の長子として、貴族としての生き方、皇族の特権や義務、そして何よりブリタニアという国が掲げる理念を知り尽くしていたウィリアムは、そんな安っぽい感情に身を任せることはなかった。
 むしろ、母皇妃の死と妹姫の怪我によって動揺した挙句、これといった用もなく皇帝に謁見を申し込んで、叱責されて泣きながら逃げ帰ったという第11皇子のことを、内心であざ笑っていたぐらいだった。
 足と目が不自由になってしまった妹姫には、同情する。ウィリアム自身、病弱であったため、自分の身体が自分の思うとおりに動かないことへの苛立ちは、よく知っていた。
 しかし、ブリタニアでは、強者が全て。弱者は強者に踏み潰されて、ただ従うことしか許されない。
 だから、不幸な妹姫に対して同情はしても、彼ら兄妹を可哀想だと思うことはなかった。弱いから、悪いのだ。子供であるとか、そんなことは関係ない。
 だから、外交の道具として、第11皇子とその妹姫が日本に送られることは、ブリタニアでは何らおかしなことのことではなかった。強く在らなければ、この国では生きることさえできないのだ。
 その事実を示すように、会場に集まった大勢の貴族たちは声を潜めて、マリアンヌ皇妃の死を面白おかしく語り合い、皇妃の死により一気に力を失くしたアッシュフォード家を哂い、第11皇子の愚かしさを口々にささやき、皇子と妹姫に待ち受ける暗い未来を予想して楽しんでいた。
 他人の不幸は蜜の味。それもその他人が、普段は逆らうことなど許されない皇族ともなれば、蜜の味はよりいっそう甘くなる。
(醜いな……)
 ウィリアムはそっと眉を顰めた。こういった陰口を、彼は好まなかった。
 思わずため息を吐きかけたとき、不意に会場中の声が止んだ。不思議に思って周囲を窺ってみると、周囲の視線はある一つの方向に向けられていた。
 ウィリアムも、同じ方向に目をやる。
 多くの貴族たちが居並ぶ一階から二階へと続く階段の、一番上。そこには、一人の子供の姿があった。
 誰に聞かずとも、皇族しか持ち得ない紫の瞳から、その子供が皇子の一人だということは分かる。そして、それが何番目の皇子かということも、この会場が何のための場であるかを考えれば、おのずから明らかとなった。
(あれが、第11皇子……!)
 ウィリアムはその子供を見て、驚いたように目を見開いた。
 階段の上から注がれる、全てを見下すような視線は、まさに皇族そのもの。アメジストのような瞳の奥に秘められた、皮肉の混じる輝きは、到底10歳やそこいらの子供の持ちうるものではない。
 絹糸のような黒髪は美しく、少女じみた容貌は可憐にして華麗、白く細い首はたおやかで、けれどその瞳は少年のものでしかない力強さを有していて。
 小さな身体から放たれる空気には、この年齢でありながらすでに、威厳すら漂っている。
 これが、本当に噂の第11皇子なのかと、ウィリアムは目を疑った。
 噂どおりの人間には、とても見えない。

 ――母の死や妹の怪我で動転して、用もなく皇帝に謁見を申し込み、叱責されて逃げ帰った?
 ――庶出の母から生まれた、できの悪い皇子?
 ――政治の道具として生きることしかできない、弱い生き物?

(……まさか……)
 先ほどまで、会場中で口にされていた心ない噂を、ウィリアムは心の中で否定した。
(そんな弱い人間が、こんな目をするはずがない。……こんなにも、威圧的な空気を出すはずがない)
 そして何より、ただその場にいるというだけで、場の全てを支配するようなことのできる人間が、果てして弱者と呼ばれるべきであろうか。答えは否だ。
 会場の空気は今や、階段の上に立っている、第11皇子一人の支配下にあった。
 皇子が、睥睨するように視線をめぐらせるだけで、会場中の人間全てが息を呑む。
 重苦しい沈黙の中、皇子は花のように愛らしい笑みを浮かべた。それと同時に、会場の空気が一気に和らいだ。
 誰かがほっと息を吐く音が聞こえた瞬間、皇子はゆっくりと口を開いていた。
「本日は忙しい中、お集まりくださり、ありがとうございます」
 優しげな声、余裕すら感じられる柔らかい笑顔で、如才無い内容のスピーチが続けられる。
 しかし、話の締めくくりの瞬間、彼の声が、表情が唐突に変化した。
「それでは……」
 優しかった声は、世の中全てを呪うようなものに。柔らかな笑顔は、ひどく冷たい嘲笑に取って代わって。
「……破滅の待ち受ける、この国の未来を祝って――乾杯」
 そう言って、皇子は手に持っていたグラスを一気に煽った。見とれてしまうほど美しい、無駄のない仕草で。
 不吉な言葉に、会場中の人間が騒ぎ始める。
 しかし、ウィリアムはただ、その場に立ち尽くすことしかできなかった。彼はそのとき、かの皇子の中に王の器を見たのだ。

 けれどそれから数ヵ月後、第11皇子は、日本の地で命を落としてしまった。
 葬儀の場には、死体の入っていない空っぽの棺が安置されて。皇子と妹姫の死が、世間に公表された。





 それから数年後。
(どうしてこんなことに……!)
 ウィリアム・ハリントンは、後ろ手に腕を拘束された状態で、屈辱に顔を歪めていた。
 彼の身分は、ブリタニアの公爵。公爵の上に立つ人間は、大公爵と皇族だけ。たったそれだけの限られた人数しか、ハリントン公爵が頭を垂れる必要ある相手はいない。
 公爵家に生まれついた彼は、こんなふうに乱暴に扱われたことなど、一度としてなかったというのに。
「……っ!」
 名も知らぬテロリストの一人に、腕を拘束され、床に膝をつくことを強制される。その屈辱に、ウィリアムは音を立てて歯を噛み締めた。
 突然、だった。謁見の間で、一人の騎士候がエリア15についての報告を皇帝に対して行っていた際、それは起こった。
 数え切れないほどの銃声と硝子が割れる音が響くと同時に、全ての窓と扉から黒衣の人間たちが入り込んできて、あっという間もなく謁見の間は占領されたのだ。
 抵抗する暇もなかった。それは一瞬の出来事で、皇帝の周りを守る親衛隊すら、その身に銃口を向けられていて、動くことはかなわない。身動き一つでもすれば、あっという間に蜂の巣の出来上がりだ。
 ウィリアムを含め、気を抜いていた貴族連中などは、腕を拘束されて屈辱的な体勢を強要されている。
 制圧され、静まり返った謁見の間。
 そこに、足音を響かせるように、ゆっくりと入ってきた人物が三人。部屋の奥の方にいたウィリアムには、逆光のせいで、その三人の姿があまりよく見えない。
 やがて彼らの姿がはっきりと見えるようになったとき、ウィリアムは目を見開いた。
 一番前を歩いていたのは、黒いマントに奇妙な仮面を被った謎の人物――世の中を騒がしているテロリスト、ゼロだった。
(まさか……テロリストごときが、この宮殿に入り込むなど……!)
 万全の警備が敷かれたこの皇宮に、どれだけ大きな組織であろうと、テロ集団が入り込むことなど不可能だ。
 それなのにどうして、と驚くウィリアムの視界に、ゼロに続くように歩く二人の人物が入ってきた。
 一人は、炎のように赤い髪をして、黒の騎士団の制服に身を包んだ一人の少女。
 その少女のことは、どうでもよかった。それよりも、もう一人。
 赤い髪の少女と並ぶように、ゼロの後ろを歩く一人の青年に、ウィリアムは嫌と言うほど見覚えがあった。バイザーで顔を隠すこともなく、堂々と姿を曝しているその男は、ロイド・アスプルンド。ブリタニアの貴族階級に属する一人だ。
「アスプルンド伯爵……!?貴様っ……何故テロリストのような下賎と共にいる……!?」
 ウィリアムは思わず声を荒げる。
「静かにしろっ!」
 下賎という発言に怒ったのか、ウィリアムの腕を拘束していたテロリストは、拘束する力を強めると、ウィリアムの頭を床に擦り付けた。
「ぐぅっ……!」
 乱暴な仕草に、ウィリアムが息を詰まらせていると、ロイドはウィリアムに視線を向けて、揶揄するような笑みを浮かべる。
「おやぁ?これはこれは、ハリントン公爵閣下じゃありませんかぁ。言葉には気をつけた方がいいですよぉ?貴方の命は今、その下賎と呼んだテロリストの手の中にあるんですから」
「貴様っ……!」
 ウィリアムは屈辱に歯を噛み締めるが、ロイドはそれ以降、興味をなくしたとでもいうようにウィリアムから視線を外して、うっとりと陶酔しているような目でゼロを見た。
 ロイドの視線の先で、ゼロは皇帝から数メートル離れた場所で立ち止まると、仮面越しのくぐもった声で言った。
「ご気分は如何ですか?神聖ブリタニア帝国、第98代皇帝陛下殿」
「テロリストごときが、どうやってこの宮殿に入り込んだ?」
 皇帝は眉をしかめて、見下すような目でゼロを見て言った。
「気にする必要はありませんよ。貴方は、ここで死ぬのですから」
 そう言って、ゼロは懐から一丁の銃を取り出して、その銃口を皇帝の眉間に向ける。
 親衛隊が、自らの命の危険も顧みず皇帝を守ろうとするが、ゼロの銃口の前に立ちふさがるより早く、彼らは周囲を取り巻くテロリストの銃弾に倒れた。
 絨毯に飛び散った血を、不愉快そうに眺めながら、皇帝はゆっくりと口を開く。
「儂を殺すと言うか?」
「ええ」
「戯言を」
 銃を突きつけられた危機的状況にも関わらず、ゼロの肯定を、鼻で笑い飛ばした皇帝に向かって、ゼロは再び口を開いた。
「……死んでいると、貴方はおっしゃった」
「……何?」
 突然のゼロの言葉に、皇帝は眉をしかめて、いぶかしげな顔になる。ウィリアムも訳が分からず、顔を歪めた。
 それに頓着することなく、ゼロはさらに続ける。
「生れ落ちたその瞬間から、私は死んでいるのだと。生きたことなど一度も無いのだと。存在も、名も、私の全てがゼロであるのだと貴方は言った――だから、私の名は“ゼロ”。この世に存在すらしていない、生まれながらの死者。……そして貴方は、その死者に、テロリストごときに殺されるのだ」
「……お前は、まさか……」
「そのまさかです」
 驚いたように目を見開く皇帝の前で、ゼロは仮面に手をかける。小さな音を立てて、仮面はゆっくりと外されていく。カラン、と音を立てて、仮面は床に落ちた。
 白すぎるほど白い肌、形良い耳、閉じられた目を彩る長いまつげ、スッと通った鼻筋、淡く色づいた唇。
 美しい、人だった。仮面の奥に隠されていたのは、まさに絶世とも言うべき美貌。
 ゆっくりと開いた瞳の色は、紫。ブリタニア皇族以外のものには、決して持ち得ない、至尊の色。
 その瞳の色にも美しい顔にも、ウィリアムは覚えがあった。亡くなったはずの第11皇子の面影を色濃く残す姿が、仮面を外したゼロの姿だった。
「……ルルーシュ様……!何故……貴方は死んだはずでは……!?」
 思わず叫んだウィリアムに、ゼロ――否、ルルーシュの視線が寄越される。
 しかしそれは、すぐにそらされて、ルルーシュの視線は再び皇帝を向いた。
「神聖ブリタニア帝国第11皇子、第17皇位継承者、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア……ただいま、戻ってまいりました」
 その瞬間、室内にいたほとんどの人間が、驚愕に息を呑んだ。テロリストの集団も、それは同じだった。

 ――あのゼロが、ブリタニア皇族の人間であるなんて!

 ありえない展開に、ほとんど全ての人間が驚いている中、ルルーシュは一人笑みを浮かべて、わずかに首をかしげて言う。
「お久しぶりです、父上……そしてさようなら――永遠に」
 直後、一発の銃声が謁見の間を震わせる。
 その瞬間のルルーシュは、ひどく冷たい、あの祝賀の日と同じ嘲笑を浮かべていた。

 こうして、ブリタニアは滅んだ。誰も想像していなかったほど、あっさりと簡単に。
 ウィリアムがあの日、誰よりも王にふさわしいと思った皇子。その彼が、ブリタニアを滅ぼしたのだ。


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