ブリキに心臓

 ロッカーの戸の隙間から、差し入れられていた一通の手紙。
 白い便箋に、蝋の封。初等部の生徒に渡す個人的な手紙なのに、封じが蝋で、シールや糊付けでないあたりに、手紙の送り主が育ってきた家庭環境が窺える。それなり以上に裕福な家庭で育ってきたのだろう。もしかしたら、爵位も持っているのかもしれない。
 あいにくと、ロイドはそんなつまらないことに全く興味がなかったのだが。
 封を開けて、中に入っている手紙を見てみると、そこにはただ“放課後、中庭の木の下で待っています”と書かれていた。
 これが何のための呼び出しなのか、分からないほどロイドは子供ではなかったし、果し状かと勘違いするほど愚鈍でもなかった。
 無視して帰宅してしまうことは簡単だったが、何となく気が向いたので記された場所に向かってみると、待っていたのは案の定、一人の少女。
 手持ち無沙汰に木陰でたたずんでいた彼女は、ロイドの姿を認めた瞬間、頬を一気に赤く染めて、恥ずかしそうにうつむいた。
 こういった場合の少女たちの反応は、いっそうんざりするほど同じものばかりだ。そしてそれは、今回も例外ではなかった。
 ロイドの前で、少女はもじもじと手を組んで、上目遣いでこちらを見つめてくる。
 まだ初等部のうちから、そんなふうに男に媚びへつらう仕草を覚えて、そうやって生きていくことは楽しいのだろうか。嘲るわけでも見下すわけでもなく、ロイドはただ疑問に思う。
 彼女たちの生き方を否定する気もなければ、肯定する気もない。そんなことはロイドにとって、どうでもいいことだからだ。
「何ですかぁ?」
 ロイドの方から、そう切り出してやると、少女は甘えるような声で言った。
「ロイド君、あの……」
 けれど、そう言ったきり、再び黙り込んでしまう。
 恥ずかしげに伏せた顔。時折、控え目に向けられる視線。赤く染められた頬。砂糖菓子のように甘い声。
 これらは全て、演出に過ぎない。好きな人を前にして、満足にしゃべることもできない自分。それを演出して、恋をしている自分に酔って、楽しんでいるに過ぎない。
 いつもと変わらない笑顔の裏で、ロイドがそんな辛辣なことを考えているとは知らずに、少女は頬を真っ赤に染めて言った。
「あの……好きです!私と、付き合ってください……!」
 必死の様子で告白してきた少女に、ロイドは普段と変わらない笑みを浮かべて、「ふうん」と言うだけだった。
「ふうんって……あの……返事、は……?」
 明らかに、気のない様子のロイドに向かって、少女は泣きそうになりながらも話しかけてくる。
 気丈なのか、単に図太いだけなのか。それは分からなかったが、特に気になるようなことでもなかったので、ロイドは笑みを深めた。
 身をかがめて、下から少女の顔をのぞきこむような体勢になって、ロイドはようやく口を開く。
「ねえ、いいこと教えてあげようか?」
「いいこと……?」
 少女は、首をかしげて不思議そうな顔になる。
「そ。とーってもいいこと!」
 あどけないと言えるほど無邪気な笑みを浮かべたロイドは、子供のような笑みとは裏腹に、まるで夢のないことを口にする。いや、子供だからこその残酷な言葉なのか。
「恋愛なんてね、脳内麻薬が引き起こす、ただの錯覚に過ぎないんだよぉ?」
「っ……!ひどい!!」
 ロイドの発言を聞いた瞬間、少女は泣きそうに瞳を潤ませると、そのままどこかへと走り去ってしまう。
「あれぇー?」
 残されたロイドは一人、その場で首をかしげた。別に、彼女自身のことについてどうこう言ったわけではなく、ロイド自身の持つ恋愛感について語ってみただけなのに、どうして泣かれてしまうのだろうか。
 そう不思議に思っていると、不意に上から声が降ってきた。まだ変声期途中の、高さを残した少年の声だ。
「ひどいことを言うものだね」
 上を見て、姿を確認するまでもない。ブリタニアの第二皇子であるシュナイゼルだ。
 それでもロイドは、わざわざ木の上を仰ぎ見た。そこには、太い枝の上でくつろいでいる様子のシュナイゼルの姿が見て取れた。
「おやぁ?殿下じゃありませんか。こんなところに一人で、いったい何してるんですか?護衛はどうしたんですかぁ?」
「……分かっているくせに。相変わらず君は、性格が悪いな」
「殿下にだけは言われたくありませんねぇ」
 ロイドが笑って返すと、シュナイゼルもまた笑みを浮かべる。
 本来ならば、伯爵という身分でしかないロイドがこんなふうに、皇子であるシュナイゼルに話すことは許されないことである。
 けれど、同じ学園の初等部に在籍していることをきっかけに、あまり性格がいいとは言えない者同士、いつの間にか気安い仲になっていたのである。とは言っても、いくらロイドでも公式の場に出れば、身分を忘れるような愚を犯すことはない。
 ふと、シュナイゼルが再び口を開いた。
「それより、面白いことを言っていたな。恋愛とは、脳内麻薬が引き起こす錯覚にすぎない?」
「さっき、ひどいことと言っていたのは、どの口でしたっけ?」
 ロイドは片眉を上げて、皮肉るような口調で言うが、シュナイゼルはさらりと流す。
「さあ、聞き間違いじゃないのか?」
「相変わらずの二枚舌で」
 ロイドは呆れたように肩をすくめた。
 そんなロイドに、シュナイゼルは問いかけてくる。
「君は、恋をしたことがないのか?」
「ありませんねぇ。僕の脳は、妙な錯覚を起こすには、少々優秀すぎたので。と言うか、殿下。貴方の口ぶりだと、まるで自分は恋をしたことがあるみたいに聞こえますよぉ?」
「私が恋をしたら、おかしいのか?」
「ものすごく」
 率直に。ロイドはものすごく率直に答えた。
 それには、さすがにシュナイゼルの顔も引きつる。
「……失礼だな」
「嫌ですねぇ。僕はただ、本音を言っただけですよ。殿下みたいな冷血人間が、どうやったら他人に愛情なんか持てるっていうんですか」
 皇子に対して言っていいようなことではなかったが、ロイドはそんなこと全く気にしていなかったし、何よりシュナイゼルはそれをとがめなかった。と言うか、ロイドの発言が的を射ているから、とがめることができないのだと勝手にロイドは思っている。
 ロイドの無礼な発言を、シュナイゼルは今回も苦笑して水に流したが、いつもと変わらないはずのその態度に、ロイドはわずかな違和感を覚えた。
 しかし、それきり会話が途切れたため、追求するようなことはできなかった。代わりにロイドは、シュナイゼルとの会話において、適当と思われる話題を脳内から引っ張り出してきて、それを口に乗せた。
「そう言えば、つい最近、またご兄弟が増えたそうですねぇ。ルルーシュ殿下、と言いましたっけ?皇位継承権争奪戦での敵が、また一人増えましたねぇ」
 ロイドがそう言ったとたん、シュナイゼルは驚いたように身体を揺らした。
 普段の彼からは考えられないような態度に、ロイドがいぶかしげな顔をしていると、シュナイゼルはすぐに普段どおりの落ち着きを取り戻して苦笑した。
「……ああ。そうだな。あれも、私の敵になるかもしれないのだな」
「妙なことを言いますねぇ?兄弟なんて、全て敵でしかないと思ってるくせに。ルルーシュ殿下だけは、敵になってほしくないとでも言いたいんですかぁ?」
 ロイドが首をかしげて言うと、シュナイゼルは遠くを見るような目になって、小さな声でぽつりと言った。
「そうだな……一人ぐらい、例外がいてもいいだろう?」
 その言葉の意味を理解することはできても、そう言ったシュナイゼルの心情を理解することは、ロイドにはできなかった。
 ロイドには、大切な人も特別な人も、唯一の人もいなかったからだ。
 それが、12歳のとき。



 それから数年が経って。
 ロイドは大学に進み、ナイトメアフレームを作るべく、伯爵家長男にはふさわしくない道を進んでいた。
 周囲の反対は、押し切った。
 こんな優秀な頭脳を、伯爵家を切り盛りするという目的のためだけに使わせてしまうのは、もったいなさすぎる。人類全体の損益だと主張して。
 自分で言うのもなんだが、ロイドは天才だった。
 天才ゆえに、多くの企業から、その才能と技術を望まれた。もちろん、敵対する貴族の出資する企業に頭脳を貸すほど、ロイドはお人よしではなかったが。
 しかし、アスプルンド家はナイトメアフレーム開発事業には参入していなかった。そうなると、当然のようにロイドは、悪友であるシュナイゼルの下で才能を発揮することになった。
 そのときは、まだ学生であるということから、本格的にシュナイゼルの指揮下に入っていたわけではなかった。
 けれど、その才能と伯爵家の跡継ぎという身分から、軍の開発部に顔を出すことは許されていた。
 そこで、ロイドは出会ったのだ。
 心も身体も才能も、命すらも、かけることのできる人に。



 その日も、ロイドは軍の開発部に顔を出していて、ナイトメアの起動実験を生で見ていた。
 そこに突然、息子と娘を連れたマリアンヌ皇妃が現れたのだ。ついでに、彼女を案内するように、シュナイゼルも入室してきていた。
 現在の身分こそ皇妃であるが、マリアンヌの元の身分は騎士候。さらにその前は、爵位さえ持たぬ庶民。
 ナイトメアフレームのパイロットとして、戦場を駆った功績をたたえられて騎士候の身分を授けられ、さらにはその美貌を皇帝に見出され、皇妃にまで上り詰めた女性だ。
 他人に興味などないロイドでも、彼女には少しばかりの興味があった。ただし、その美貌や人間性にではなく、あくまでパイロットとしての腕に対して。
 騎士候の位を授かるほどの働きをしたパイロットならば、ナイトメアにとって、どれだけすばらしいパーツとなってくれるだろうか。
 そんなことを考えながら、ロイドは身を乗り出して、マリアンヌ皇妃の姿を見ようとして。
 一瞬で、とらわれた。
 マリアンヌ皇妃の隣で、物珍しそうにナイトメアを観察している、一人の子供に。
 その子供が、飛びぬけて美しい容姿をしているだとか。皇子殿下であっただとか。そんなことは、そのときのロイドには関係なかった。そんなことを認識したのは、もう少し後になってからだった。
 そのときはただ、その子供から、目が離せなかった。まるで、引力に引かれた月が、決して地球を離れることができないように。
 まるでそれ以外の行動ができないように、ロイドは、子供のことをじっと見つめていた。
 すると、その視線に気付いたのか、子供はロイドの方を見た。言い表せないほど美しい紫の瞳と、目が合う。
 その瞬間、まるで雷に打たれたかのように、全身が震えるのを感じた。
 そしてロイドは、ただ、思った。
(ああ、僕は……この方に出会うために、生まれてきたんだ……)
 恋でも錯覚でもない、純粋な歓喜が身を支配する。
 そのままロイドが、動くこともできずに固まっていると、子供は不思議に思ったのか、前を歩いていたシュナイゼルの裾を引いて、ロイドの方に彼の注意を向けさせた。
 シュナイゼルが、こちらを振り向く。彼は、ロイドのところに、子供の手を引いてやって来ると、どこか自慢げな口調で言った。
「君と会わせるのは、初めてだったかな?私の弟の一人、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだ」
「ルルーシュ殿下……」
 熱に浮かされたようになって、ロイドが子供の名を呟く。
 それを見たシュナイゼルは、満足したような笑みを浮かべて、ルルーシュにロイドを紹介した。
「ルルーシュ。彼は、ロイド・アスプルンドだ」
「初めまして、ロイドさん」
 ふわりと、花がほころぶように微笑んだルルーシュを見て、ロイドは理由もなく泣きたくなった。
「……初めまして、ルルーシュ様。ロイド・アスプルンドと申します。以降、どうかお見知りおきを」

 ――はじめまして、さいしょでさいごの、ぼくのうんめい。ぼくのおうさま。

 声に出さず、心の中だけで、そう呟いて。
 他の誰に対してもしたことのない、主君に対する最上級の礼を取って、ロイドは静かにひざまずいた。


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