時は、皇暦2019年9月。
場所は日本。今はエリア11と呼ばれているその国には、世界が誇る大帝国ブリタニアの、学生たちが通う学園が存在する。
アッシュフォード学園。それが、その学園の名前だ。理事長の苗字であるアッシュフォードから取られた、何とも安易な名前の学園である。
日本ではかつて、新しい学年は4月から始まっていた。しかし、すでにブリタニアに占領されたエリア11では、ブリタニアと同様に9月前後から始められるのが、数年前からの常となっている。
アッシュフォード学園もその例に漏れず、今日から学校が始まるところだった。入学式はない。元々、ブリタニア人の経営する学校である。わざわざ、日本の習慣に合わせるわけがない。
だから、生徒たちは思い思いに、教室でじっとしていたり廊下で友人と話していたりする。
そして、学園高等部の校舎では今、見目麗しいことこの上ない兄妹二人が、長い廊下を進んでいた。
妹であるナナリーは、太陽の存在さえ知らぬように、透き通るような白い肌をした可憐な少女である。
長い蜂蜜色の髪はゆるやかに波打っていて、絹糸のような美しさを誇っている。淡いピンクに色づいた唇と、頬にさしたわずかな赤みが、人形のように整った白い面に、人形には決してない人間らしさを与えている。
閉ざされた瞳を囲むまつげは長く、なめらかな頬に影を落とす。体つきはほっそりとしていて、少し力を入れて触れれば、すぐさま折れてしまいそうな頼りない風情だ。
まるで野に咲く小さな花のような、わずかな風にも飛んでいってしまいそうな、儚げな雰囲気をただよわせる美少女である。
過去の出来事によって、足と目が不自由になっているため、車椅子に座っていて、それを兄であるルルーシュに押されながら進んでいる。しかし、その障害さえ、ナナリーという少女の魅力を損なうようなことはなかった。むしろ、身体の一部が不自由なか弱い彼女を見て、自分こそが彼女を守ってあげたいと思う男たちが増えるだけだろう。
対して、兄であるルルーシュの美しさは、妹の控えめなそれと違って、あくまで圧倒的なものだった。
真珠のように輝く白い肌に、紅を塗ったように赤い唇の対比はひどく美しく、においたつような妖艶さを放っていて。深い紫色の瞳が、その魔性をさらに煽っている。体型はすらりと細く、背は高くて手足もとても長い。けれど、それが不恰好な印象を与えることは決してなく、しなやかな若竹のような身体だ。
つい数ヶ月前までとは違って、すでに高校を卒業した身である彼は、黒い制服ではなくシンプルな私服を着ている。それもまた、彼にもっともふさわしい色である黒だ。何の飾りもないシンプルな服がまた、彼の美しさを引き立てている。本当に美しいものには、余計な飾り立てなど必要ないのだという、良い例だった。
女よりもなお美しい顔をしているが、ルルーシュが女に身間違えられることは、おそらくないだろう。しかし、はっきり男と断言することも難しい。性別さえ感じさせない、人間離れした美しさを誇る少年である。
ナナリーの美が、目立たずとも一度目に留まれば、決して視線を外さずにはいられないものであるとすれば、ルルーシュのそれは、絶対的な求心力を持つものだ。訳も分からずただ引き寄せられて、そして魅了されずにはいられない。そんな美だった。
妹が野に咲く花とすれば、兄は夜空に輝く月。太陽のくもりない輝きとは違って、闇の中でこそ光を放つ月にふさわしい魔性。
詩人ならば、ルルーシュの美しさを表すために、半日かけてもまだ足りないと言うかもしれない。
そして、この兄妹の容姿が飛びぬけて美しいことを示すように、彼らが通った後の廊下では、そこにいた生徒たちがこらえきれないため息を漏らして、口々に次のようなことを言い合うのだった。
「ルルーシュ先輩……久しぶりに見たけど、相変わらずキレイ……」
「って言うか、久しぶりだから、いつもよりさらに輝いて見えるんだけど……」
「ナナリーさん……なんて可憐なんだ」
「先輩……一度で良いから、あの冷たい目でさげすまれて、踏みつけられてみたい!」
「ナナリーさんと先輩が並んでると、宗教画を見てるみたいに思えるね」
「ルルーシュ様、麗しいご尊顔をこんなに近くから拝見できるなんて、僕は……僕はもういつ死んでも悔いはありません!」
等々。
男女関係なく、生徒たちは上のようなことを言い合っている。
時折危ない発言が混ざるのは……まあ、ご愛嬌。ルルーシュ親衛隊の言である。もちろん、その親衛隊なんてものは非公式で、その大多数が男。
ルルーシュのファンは、女性の間にも数多くいるのだが、熱狂的なものは何故か男に多いのだ。
そして彼らは、ルルーシュのことを次のように呼んでいる。女王様、と。
わずか数人の親しい人間を除いて、それ以外の者を見るときの、そこらへんにある命のない置物でも見ているような冷たい視線から、その呼び名は付けられた。
男なのに、どうして女王様なのかということは、単にルルーシュの見た目が王様というよりも女王様という言葉にしっくりしているからである。至極単純。
本人に知られれば、踏みつけられた上に気から逆さ吊りにされて槍ででも突き刺されてしまいそうな、けったいな呼称だ。
ちなみに、ルルーシュが女王様で、ナナリーが妖精さん、ランペルージ兄妹合わせての場合は、天使さまとひそかに呼ばれている。
ルルーシュとナナリー。性格はどうあれ、容姿だけを見れば文句なしに天使と称して問題ないから良いが、この二人以外に使われているのであれば、思わず鳥肌を立ててしまいそうな呼び名である。
熱気のこもった視線を向けられながら、ルルーシュとナナリーは、穏やかな顔でほほ笑み合いながら、教室へと向かって行こうとした。
――そのとき。
「ルルーシュ!」
一人の少年の声が、廊下中に響き渡った。
「……スザク」
ルルーシュは顔をしかめて、足を止めるとゆっくりと振り返って、その少年の名前を呼ぶ。
ナナリーはうつむいて、誰にも聞こえないようなほど、小さな舌打ちを漏らして一瞬般若の表情になる。
廊下の隅で、それを見ていた生徒Aは、見間違いかと思って、何度も目をまたたかせた。クラブハウスに棲む妖精さんが、そんな表情をするなんて、とても信じがたい出来事だったからである。
そして、ランペルージ兄妹二人のところ――というかスザクは、あからさまにルルーシュのことしか見ていなかったが――まで、スザクは息を弾ませながら走ってくると、ルルーシュの細腕を強い力で捕まえた。
「ダメじゃないか、ルルーシュ!高等部に来たりして……僕らはもう卒業したんだよ!」
まっすぐに目を見て叱り付けてくるスザクから視線をそらして、ルルーシュは不機嫌そうな顔で言う。
「うるさい。ナナリーの付き添いに来て、何が悪い。高等部の校舎にはまだ、慣れていないのに、一人で登校させるなんて……迷ったらどうするんだ。お前は鬼か、悪魔か。この人でなしが」
あくまでルルーシュは、スザクと視線を合わせようとせずにいる。目を合わせようとしないのは、何か自分に非があることを認めているときにルルーシュがする、子供のころからの癖である。
スザクはそれを知っているから、呆れたような顔になった。
「ルルーシュ……何のために咲世子さんを雇ってるの?それに、ナナリーにだって友人がいるんだ。君がついてなくても大丈夫だよ」
「……」
気まずげな表情で黙り込んだルルーシュの腕を引いて、スザクは口を開く。
「大事にするのは良いことだけど、あんまり過保護なのは、ナナリーに良くないよ。ね、ルルーシュ、わがまま言ってないで、大学に行こう?」
あくまでナナリーのためなのだと言って、説得をしてくるスザクに落とされて、ルルーシュは小さく頷いた。
その瞬間、勝ち誇ったような視線が、スザクからナナリーに送られる。
目で見えずとも、気配で敵意を感じ取ったのか、ナナリーはにっこりとほほ笑んでそれに対応する。
目に見えない熾烈な争いが行われている中、ルルーシュはそれに全く気付くことなく、断固とした口調で言った。
「……だが、教室に送り届けてからだ」
頷いておきながら、全くスザクの説得を聞き入れていない。
今度は、ナナリーが勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
スザクはそれを見て、口元をわずかに引きつらせると、強引にルルーシュの腕を引っ張って歩き始めた。
「っ……スザク!!」
「聞こえない」
「放せ、スザク!」
「あんまり騒ぐと、抱き上げて連れて行くよ」
「なっ……!」
そんなやり取りを続けながら、ルルーシュを連れたスザクは、早足にこの場を去って行く。
それを見ていた生徒たちは、完全に二人の姿が見えなくなった後、口々にしゃべり始めた。
「枢木スザク……許すまじ!」
「ナナリーさんと並んでるのもいいけど、枢木先輩と一緒にいるのも絵になるわ……」
「お似合いよね」
「あの男……なんてうらやましい!ルルーシュ様の手を握るなんて!!!」
「ってか枢木殺す。あんなイレブンなんかより、俺の方が先輩にふさわしい」
「馬鹿なことを言うな!お前なんか……!」
何故か、生徒たちの間で、文句の言い合いが発生した。
ナナリーは、それを聞きながら、だんだんとうつむき始めた。
それに気付いた男子生徒たちの一部が、ナナリーの周囲に群がり始める。
「ナナリーさん、教室まで送りましょうか?」
「そんな奴より、僕が送りますよ!」
「いえ、俺が……!」
言い争いが続く中、ナナリーは突然、両手を打ち鳴らして大きな音を立てた。その音に、ルルーシュとスザクについて話し合っていた生徒たちと、ナナリーの周囲で言い合っていた生徒たちは皆、いっせいに同じ方向を振り返る。
その視線を受けて、ナナリーは空恐ろしい笑みを浮かべて、あくまで穏やかな声で言った。
「私、お兄様以外の方に興味はありませんの。邪魔なので、道を空けてくれません?」
その瞬間、一気に周囲が凍りついた。
いつも穏やかな表情でほほ笑んでいるクラブハウスの妖精さんの、あまりの変貌ぶりを、生徒たちは信じられないような顔で凝視している。
そんな中、ナナリーは困ったような仕草で、右の手のひらを頬に当てた。
「ああ、それと、最近調子に乗っている方が多いようですので言っておきますけど……」
金属の軋む音が、廊下に響いた。
ナナリーが左手で、車椅子の肘置き部分の先を、ものすごい力で握っているのだ。華奢な腕からは考えられないほどの力である。
生徒たちが息を呑んで見守っている中、ナナリーはにっこりとほほ笑んで、まるで天使のような笑顔で悪魔のようなことを言い放った。
「下心あってお兄様に近づく方は、鏡でご自分の顔を見てから出直してくださいね?己の分を、きちんとわきまえておられない方ほど、見苦しいものはございませんから」
クラブハウスの妖精さんは、外見を裏切って、とても良い性格をしていた――ある意味。