恋情

「なあシャーリー、去年の学祭の資料、どこにあるか知らないか?一昨年までのものはちゃんとあったけど、一年前のは誰かが動かしたみたいで、資料室に置いてなかったんだが……」
 去年の資料を除いた、過去十年分の学園祭の資料を腕に抱えたルルーシュが、そんなことを言いながら生徒会室の扉を開いて部屋の中に入ると、室内にいた人間はいっせいにこちらを振り向いた。
 あまりに勢い付いた振り返り方に、ルルーシュは思わず眉をしかめて、彼らを見つめ返して言う。
「……何だ?」
 そのとたん、室内にいたスザクとナナリー以外の人間――ミレイとシャーリーとリヴァルの三人は、堪え切れないように大声で笑い出した。
「あはは、あはははは!」
「くっ……やだ、もう……!」
「あっはっはっは!」
 自分のことを見られたとたん、突然笑い出されたりして、気分がよくなる人間はあまりいない。よほど特殊な趣味を持ち合わせている人間ならば、別なのだろうが。
 そしてルルーシュはもちろん、奇特な趣味など持ち合わせていない、極々普通の感性を有する多数派の人間であった。
 無言で目を細めたルルーシュは、底冷えするような笑みを顔に載せると、低い声を出して言った。
「……リヴァル」
 そして、未だに笑い続けている悪友のところへと歩いていき、彼が腰を下ろしている椅子の足を、思い切り蹴り飛ばした。ガタンと大きな音を立てて、椅子とリヴァルが床に転がる。そしてルルーシュはさらに、手に持っていた資料をその上に落とした。
 バサバサと音がして、リヴァルの上に合計九年分もの資料が積み重なる。それと同時に、笑い声が止んだ。
「いってぇ……」
 床に転がったリヴァルは、自分の上から資料を払いのけながら、落ちたときに打ったのだろう腰や腕の辺りをさすって、痛みに顔をしかめている。
 そして、リヴァルの向かいの席に座っていたシャーリーとミレイは、それぞれ対照的な表情で黙り込んでいる。
 シャーリーは、ルルーシュの所業に恐れを為しているかのように、引きつった笑顔で。ミレイは、面白い見世物でも見ているような、至極楽しそうな表情で。
 ミレイの楽しそうな顔を横目で確認したルルーシュは、他人には聞こえない程度に小さく、そっとため息を吐いた。父よりも亡き母親に似たせいで、ルルーシュは性別を感じさせない中性的な顔をしている。そして今、その相貌には、憂いに満ちた諦めが浮かんでいた。
 しかしそれは一瞬のことで、次の瞬間、ルルーシュの表情はとても冷たいものに変わる。
 その顔のまま、痛みをこらえるように顔をしかめているリヴァルを、絶対零度の視線で睥睨する。
 どうせ、このくだらない事態の首謀者はミレイでなのだろう、とルルーシュは見当を付けていたが、彼女よりもリヴァルの方が口を割らせやすいと判断した所以である。
 無表情のルルーシュは、プライドの高い猫のような仕草で顎を上げて、リヴァルを見下ろしている。反対に、睥睨されているリヴァルは、引きつった笑みを浮かべて、だらだらと背中に汗を流している。
 それを見たルルーシュは口の端を吊り上げて、冷たい笑みを浮かべて言った。
「どうしたんだ、いきなり転んだりして?この年で、身体機能にガタでも来たのか?」
 表情の冷たさとは裏腹に、ルルーシュの声はどこまでも優しげであった。おそらくは、ナナリーを怯えさせないように、という気遣いであろう。
 しかし、表情と声の色の間のギャップが、更なる恐ろしさをあおっている。
 リヴァルは怯えながらも、何とか口を開いて言う。
「や、お前が倒し」
「何を言っているんだ?」
 ナナリーの前で余計なことを言うな、との念を込めてルルーシュは、人を射殺せそうなほど鋭い瞳でリヴァルをにらみつける。
 それから、ふっと優しげに聞こえる笑みを漏らして、からかうような声で言った。しかし相変わらず、声と顔とが全く合っていない。
「勝手に転んでおいて、それはないだろう?本当にお前は困った奴だな」
「ソウデスネ、ホントウニ、モウシワケアリマセンデシタ」
 リヴァルは、ぎこちない口調で謝罪の言葉を吐いた。土下座でもしそうな勢いだ。
 そんな彼に、心配そうな顔をしたナナリーが声をかけた。悪魔のような性格の兄とは違って、まるで天使のような優しさだ。
「リヴァルさん、大丈夫ですか?お怪我は?」
「ナナリー、お前が心配するようなことはないよ。こいつは、丈夫さだけが取り柄みたいな奴だからな」
 しかし、悪魔の兄によって、ナナリーの優しさはすっぱりとさえぎられた。
「ほら、さっさと立ったらどうなんだ?いつまでも、ドブネズミみたいにはいつくばってるわけにもいかないだろう?みっともない」
「オッシャルトオリデ」
 片言で返答したリヴァルは、立ち上がって椅子を元の位置へと戻して、再びその椅子に腰を下ろした。
 ルルーシュもまた、手近なところにあった椅子を引いて、その上に腰を下ろす。それから彼は、机の上に肘をついて、据わった目でリヴァルをにらみつけた。
「さて……いったい何を笑っていたのか、俺にも教えてもらえるか?人を見て、いきなり笑い出すぐらいだ。相当愉快なことでもあったんだろうな……?」
「写真を見てたんだよ」
 今の今まで、あえて存在を無視していたスザクから返答をされ、ルルーシュは少し困ったような顔になる。
 つい先日、ナナリーにより為された『スザクのことが気になっている』的発言を、ルルーシュは忘れていなかった。
 あの日からルルーシュは、スザクに対して、ひどく理不尽な態度を取っていた。それでもスザクは、いつもと変わらない態度でルルーシュに接してくる。自分でも、スザクに向けた怒りが理不尽なものであるという自覚があったので、ここ数日ルルーシュは妙な気まずさを感じていた。
 いい加減、元の態度に戻ってもいいか、と自分の中で折り合いを付けて、ルルーシュはスザクに視線を向ける。いきなり態度を変えることが照れくさいのか、白い頬はわずかに赤く染まっていた。普通の男子高校生がそんな表情をしても気持ち悪いだけだが、ルルーシュの場合はとても絵になっている。
 ぶっきらぼうな口調で、ルルーシュはスザクに問いかける。
「写真?」
「う、うん!今年やったイベントの、写真整理をしてたんだ!」
 数日ぶりにルルーシュと目があったスザクは、大げさなほど動転して、とてもうれしそうな顔で笑った。まるで、多忙な主人に久しぶりにかまってもらえた犬のようだ。しっぽが見えそうである。
 それを見て、ルルーシュは途方もなく悪いことをしてしまったような気分に駆られた。
 ナナリーのことは大切だが、スザクとて大切な友達なのである。ナナリーのことを取られてしまうと思ったからといって、やっていいことといけないことがある。
「……そうか」
 バツが悪くて、スザクから目をそらして宙に視線を漂わせていると、ナナリーが舌打ちする姿が目に入った。ついでに、舌打ちの音もはっきりと聞こえた。
「……」
 大人しくて可憐な妹がそんなことをするなんて、ルルーシュには信じられなくて、思わず目を閉じて頭を抱えた。それからすぐに目を開けて、ナナリーを見ると、彼女はいつもどおりの穏やかな笑みをたたえている。
 先ほどの光景は、何かの目の錯覚だったのだ、とルルーシュは安堵して胸を撫で下ろした。
 ミレイとシャーリーとリヴァルの三人が、信じられないように目を見開いて、ナナリーを凝視している光景は、都合よく無視することにする。
 窓の外に広がる青い空を、ルルーシュは遠い目をして眺めた。そうしていると、先ほどからずっとにこにことうれしそうな笑みを浮かべているスザクが、声をかけてくる。
「それで、その写真の中に、すごくかわいくてキレイな子が写ってるっていう話をしてたんだ」
「ぶっ……!」
 それまで黙り込んでいたミレイが、堪え切れないとでも言いたげに噴き出した。
 ルルーシュはそれを、訝しげな瞳で見た。
 ミレイは笑いを噛み殺しながら、何でもないのよー、と言ってひらひらと手を振り、話を続けるように促す。
 スザクの話が再開する。
「すらっとしてて、細くて、ああいうのをモデル体型って言うのかな?スレンダーな子でね」
「ああ」
「肌なんてすっごく白くて、まるで雪みたいなんだ」
「それで?」
「艶のある黒髪も、キレイでね。思わず触りたいと思っちゃった」
「そうか」
「瞳の色は紫で、アメジストなんかよりもずっとキレイなんだよ」
「へえ」
「でも何より……ルルーシュにそっくりなところが、すごくかわいくてキレイだと僕は思ったよ。ルルーシュよりキレイな人間なんて、いないからね」
 スザクの爆弾発言に、それを聞いていた人間は固まった。
 ただ一人、ミレイだけが面白そうな顔をして、にこにこ笑っているスザクと、固まっているルルーシュを交互に見ている。
 やがて、衝撃から立ち直ったルルーシュは、スザクの前に散らばっている写真数枚を手に取って、額に青筋を浮かべた。
 そこには、数ヶ月前の男女逆転祭の日の、ルルーシュの姿が写真に収められていた。隠し撮りだからか、ルルーシュの視線が向いているのは、別の方向ばかりである。
 そんなことはともかく。女生徒の制服を着て、長いウィッグを付けているルルーシュの姿は、中性的な容貌とあいまって女性にしか見えなかった。
「会長……俺、写真には残すなって言いませんでしたっけ?」
「何のことかしら?」
「……」
 うふふ、と意味深に笑うミレイを睨みつけて、ルルーシュは自分が写っている写真を破った。修復不可能な大きさに破ったそれを、ゴミ箱まで歩いていって、そこに放り込む。
 しかし、背を向けた方向から聞こえてきたミレイの言葉に、ルルーシュは思わずギアスを発動させてやりたくなった。
「そんなことしても、ネガがあるから無駄よ?」


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