『年寄り怖い』



01.ブルーとフィシス

 ターフルの上、並べたカードをめくりながら、フィシスはそっと口を開いた。
「ソルジャー、明日は南西の方角、水に関係ある場所へ行くと良いと出ております」
「南西に水か……さて、どこのことかな」
 フィシスが座っている向かい側で、養父であるブルーが考え深げにつぶやく。養父である相手をソルジャーと呼ぶのは、それが彼の望みだからだ。世界の大企業シャングリラ財閥の会長である養父は、ミュウとしてもすでに高齢の域に達しているくせになかなかお茶目な性格をしていて、自分のことは会長ではなくソルジャーと呼べと全社員及び周囲の人間に徹底させている。正直訳が分からないが、考えても仕方ないのでフィシスは気にしないことにしている。それはさておき、『南西の方角で水、関係ある場所』の候補地としていくつかの場所をあれこれ口にしていたブルーだが、やがて飽きたのか小さなため息を吐いている。
「抽象的すぎて分かりにくいな。後でハーレイにでも調べさせよう。この年になると長く出かけているのは疲れるから、あまり遠くでないと良いのだが……このところ、行きたくない場所へ行ってばかりで少し億劫だな」
 椅子から音を立てて立ち上がりながら、ブルーは物憂げに続ける。
「……本当に行きたい場所へは、未だ行くことができないままだと言うのに……」
「ソルジャーには、行きたい場所があるのですか?」
 親子になってから一年近く経っているというのに、そんなことを聞いたのは初めてだ。フィシスが驚いていると、ブルーは穏やかな声で言った。
「ああ、君には言ったことがなかったかな?僕はもう正直生きることに飽いていてね。いい加減あの世に行きたいのだよ」
「あの世?」
 フィシスは首を傾げた。フィシスはブルーに引き取られる一年前まで、世間とは隔絶した場所で過ごしていたので、あまり物を知らない。
「あの世とはどこですか?」
「墓場さ」
「墓場?ソルジャーはお墓に行きたいのですか?なら、私が連れて行ってあげます」
「本当かい、なら……」
 ブルーが何か言いかけたところで、邪魔が入った。
「ソルジャーあんた子どもに何言ってんですかー!?」
 乱暴に扉を開く音がして、ハーレイが足取りも荒くこちらに近づいてくる。ブルーが嫌そうな声を出す。
「何だ、ハーレイ、邪魔をしないでくれ。せっかく僕の女神が、僕を墓に連れて行ってくれると言っているのだ」
「貴方が言っているのとフィシス様が言っているのは意味が違うでしょうが!!大体、シャングリラ財閥はどうするつもりです!?」
「君たち役員で共同経営すればいいだろう。僕はもう嫌だ、人生に疲れた、早く楽になりたい」
「だからそういうことを子どもの前で言わないでください……!」
 ハーレイの疲れたような声が部屋に響く。何だか良く分からないが、大人は大変だなとフィシスは思った。



02.ブルーとジョミー

 ジョミーの遠い親戚には一人、変人がいる。その変人の名前をブルーと言う。ジョミーは至極真っ当な人間なので、変人なんかと関わり合いになりたくないのだが、ブルーの家とジョミーの家は本家分家の関係なので、本家を訪ねる正月等の時期には会わないわけにはいかないのだ。そして今年も無情にも、正月はやって来ていた。
 両親の後に続いて無駄に大きな屋敷の中に入ると、すぐにブルーが姿を現して足早にこちらへ寄ってくる。
「おお、ジョミー!君に会えない日々のなんと長かったことか」
 そう言って抱きしめてこようとするブルーの胸を全力で押し返しながら、ジョミーは言う。
「いや、夏休みにも会いましたよね。お盆が終わった後、『僕も夏休みを取ったんだ、一緒に旅行に行こう』とか言って夏休みが終わるギリギリまで人のこと引きずりまわしてくれたのを、もう忘れたんですか」
 おかげで宿題が終わらなくて大変な目にあった。
「夏休みだなんて!」
 ブルーは大仰な動作で天を仰いだ。
「そんなもの、何ヶ月前のことだと思っているんだい?」
 そう言って、ブルーはジョミーの両親に向き直り、ジョミーに対する態度とは大違いの貫禄すら漂わせる態度で、鷹揚に微笑んだ。
「よく来てくれたね、シン夫妻。新年あけましておめでとう、今年もよろしく頼むよ」
 ジョミーの両親がそれに対して挨拶を返した後、ブルーはにこやかに言う。
「僕はジョミーと話がしたいから、君たちは先に広間に行ってくれ。自分の家だと思ってくつろいでくれたまえ」
 そう言われて恐縮しきった両親が頭を下げて、ソルジャーに面倒をかけないように、とジョミーに言ってくる。面倒をかけられているのはこっちだと、ジョミーはぶすっとした顔をしながら思った。やがて、ジョミーの両親の姿が見えなくなったところで、ブルーが熱っぽい瞳でジョミーの手を握ってきた。セクハラだ。
「やっと二人っきりになれたね、ジョミー」
「貴方がパパとママを追い払ったからでしょうが」
「つれないことを……久しぶりに会うというのに」
「いや、うざいぐらいのメールのせいで全くそんな気しませんけど」
 会うことができない代わりにと言って、ブルーは一日何通もメールを送ってくるのだ。しかも、一通一通がやたら長く濃い。それが毎日送られてくるのだから、久しぶりに会っても全くそんな気がしない。
「メールなんかじゃなく、僕は毎日生の君に会いたいのだよ……ああ、でもそれも君が十八になるまでの我慢だ。今は十四だから、あと四年か……四年後、十八になった日に結婚しようね、ジョミー」
 ………一番最初のくだりを訂正する。ジョミーの遠い親戚にいるのは変人でなくて、変態だ。
 ジョミーは正真正銘性別男である。そしてブルーも男。それなのにブルーは、ジョミーがまだ小さなころ、それこそ物心ついたころから顔を合わせるたびにいつもいつもいつもいつもいつもいつも!大きくなったら結婚しようね、と言ってくるのだ。これを変態と呼ばず何と呼ぶ。もしかしたら男色だけではなく、幼児趣味のきらいもあるのかもしれない。
 ジョミーは氷のような目でブルーを見据えながら言った。
「ブルー、冗談もいい加減にしてください」
「冗談なんかじゃない、僕は本気だ」
「なお悪いわ!結婚なんてできるわけないだろうが!僕もブルーも男同士なんだから!」
 思わず口調も素に戻る。しかしブルーは、ジョミーの至極まっとうな言葉をまるで気にすることなく笑う。
「この愛の前に性別など無意味だよ」
「んなわけないだろ!結婚できるのは異性とだけだ!」
「ジョミー……」
 何故かしみじみとブルーに見つめられて、ジョミーは思わずうろたえた。
「な、なんだよ」
「法律など、変えてしまえばいいだけの話だろう?」
 真剣な顔をしてそう言ったブルーに、ジョミーは思い切り顔を引きつらせて叫んだ。
「あんた馬鹿だろ!!」
 法律を私欲で変えようとする男を、ジョミーは初めて見た。と言うか、そんなこと普通ならできない。しかしブルーなら、本気で法改正をできてしまいそうで怖い。何と言っても彼は、世界をまたにかける大企業シャングリラ財閥の会長なのだ。政界への影響力なんてものは半端ではないはずだ。同性婚を承認させるぐらい、簡単にやってしまいそうだ。権力って怖いと思っているジョミーの前で、一方のブルーはと言えば。
「……ジョミーに馬鹿と言われた……」
 馬鹿と言われたのが相当ショックだったのか、しゅんと小さな子どものように沈みこんでいた。外見年齢は二十歳手前の青年にしか見えない若さを誇っているブルーである。いい大人が子どものように沈み込んでいる光景は、見た目には違和感たっぷりだ。しかし実際には、彼の年齢は三百歳を超えていて、ミュウとしてもかなり年寄りなのだ。見た目が多少若くても、よぼよぼのお年寄りが落ち込んでいるのだと考えてしまうと、根が良い子のジョミーはうっかり慰めてしまいそうになる。しかし、そんなことをしてしまったら、ブルーが調子に乗るのは分かっている。ジョミーが、ブルーを慰めてしまいそうになる衝動を必死になって押しとどめていると、ブルーが再び口を開いた。
「……駄目だ、ショックが大きすぎてもう生きていけない。だからジョミー、結婚しよう」
「何でそうなるんだよ!?」
 結婚しようのセリフだけ、顔を上げてやたら真剣な表情で言ってきたブルーに、ジョミーはすかさずつっこみを入れた。慰めなくて良かった、とジョミーは心から思った。慰めなかったのに、ブルーはこれだけテンションを上げてくるのだ。慰めたらどんな風になるのか、想像したくもない。
「だからの意味が分からないよ!」
「分からない?どうして?僕は自分が死んだ後、僕の持つ全てを君に遺したい。その権利を、一番自然な形で与えることができるのは結婚という形だ。だからジョミー、僕と結婚しよう」
「っ……」
 真剣な顔で言われた言葉に、ジョミーは歯を噛み締めた。そんなことを言われて、ブルーは本当に、ジョミーが喜ぶと思っているのだろうか。
「僕は……僕は、貴方のそういうところが大っ嫌いだ!!」
 そう言い捨てて、ジョミーはその場を逃げ出した。後ろから、ブルーが呼び止めようとする声が聞こえてくるが、無視して走り続ける。泣きそうになっている自分を、見られたくなんてなかった。
 死んだ後の話なんて、しないで欲しい。ブルーが持っている財力も権力も、そんなものは何もいらない。欲しいのは、そんなものじゃないのに、ブルーはどうして分かってくれないのだろう。小さいころは、ブルーが何を言っているのか良く分からなかったから、僕の全てをあげようと言われても笑って聞いていられた。けれど、今はもう無理だ。いつからか、死んだ後という仮定の話をされるたび、自分の心がこじれていくのをジョミーは感じていた。それが降り積もった今、ジョミーは小さいころと変わらずまだブルーのことが大好きなままだけれど、昔のようにブルーに向かって好きだと言うことができなくなってしまった。財産なんていらない。ジョミーはただ、ブルーと一緒にいられたらそれで良かったのに、どうしてブルーはそれを分かってくれないのだろう。
「ブルーの馬鹿……!」



03.ブルーとフィシスとキース

 一月の五日。本家に帰る母フィシスに連れられて、キースもその屋敷を訪れていた。豪奢な屋敷にたどり着くや否や、通されたのはやはり豪奢な部屋で、質素なものを好むキースは早々に帰りたいと思っていた。しかし、そんな思いがキースの無表情の上に表れることはなかったので、フィシスは至極マイペースに義父であるブルーと会話を重ねていた。
「……またジョミーに振られた……」
 キースが座っているのとは向かいのソファーの上で、母の養父だからキースにとっては義理の祖父にあたるブルーが、心底暗い顔をしてため息を吐く。それを見て、キースの隣に座っているフィシスがわずかに身を乗り出しながら言う。
「ソルジャー、しっかりしてください。ジョミーはただ恥ずかしがっているだけですわ。そう……今風に言うのなら、彼のあれはツンデレ。つれない態度は、ただの照れ隠しですわ」
「おお、あれがツンデレか!さすが僕のジョミー!」
 何がさすがなのか、キースには全く理解できない。
「ふふ、それにしてもジョミーに会ってから、ソルジャーは変わられましたね。昔はあんなに『早くあの世に行きたい』とか『早く死にたい』とか、そんなことばかり言っていたのに」
「あのころは人生に飽いていたからね。けれど今は違う。僕には今、ジョミーがいるから、死にたいだなんて思わないよ。残り短い余生を、できる限り長く生きたいと思っている」
 何かちょっと良いことを言っているように聞こえるが、それならジョミーを口説くときに、自分が死んだ後の話なんて持ち出さなければいいものを、とキースはこっそり思った。財産とかそんなものを持ち出してジョミーを口説くから、ジョミーはブルーに応えないのだ。
 何年か前の正月、やはりこの屋敷に来ていたときに、ジョミーとキースが二人で遊んでいたことがあった。そのときに、親戚の一人がジョミーを遺産目当ての子どもだとか散々な言葉でジョミーを罵ったのだ。ブルーにべったり懐いていたジョミーは、そのときからブルーと距離を置くようになった。ジョミーが今ブルーに冷たくしているのは、遺産目当てと思われるのが嫌だからだ。それなのにブルーは、ジョミーを口説くときにそういったものを持ち出して話をするから、余計にジョミーはブルーに冷たくなる。悪循環だ。
 二人が上手くいかない原因をキースは知っていたけれど、口出しする気はなかった。恋愛とは当事者同士の問題で、他者が口を挟むべきことではないと思っていたからである。
 そんなキースの目の前で、再びブルーが暗い面持ちで口を開いた。
「……またジョミーに振られた……」
「ソルジャー、しっかりしてください。ジョミーはただ恥ずかしがっているだけですわ。そう……今風に言うのなら、彼のあれはツンデレ。つれない態度は、ただの照れ隠しですわ」
「おお、あれがツンデレか!さすが僕のジョミー!」
 先ほどと全く同じ会話が繰り返されている。きっと、放っておけば何度でも同じ会話が繰り返されるのだろう。ブルーもフィシスも若く見えるが、二人とも立派な年寄りだ。これだから年寄りの相手は嫌なんだ、とキースはうんざりと小さなため息を吐いた。



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