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りーぴ 罪と罰

「……ジョミー……」
 一月ほど前から、眠り続けている少女のことを見下ろして、ブルーは切なげに瞳を揺らした。ブルーが愛用している大きなベッドに横たわらせているせいで、小さな体がいっそう華奢に見えるのがひどく痛々しく感じられる。
 ジョミーがサイオンを暴走させて半壊させてしまった蒼の間は、ジョミーの精神が手の届かないどこかへ行ってしまったことに対してブルーが呆然としている間に、ハーレイたちが修理してくれたため、今はもうすっかり元通りの静かなたたずまいを見せている。けれど部屋が元に戻ろうが戻るまいが、そんなことはどうでも良かった。
 ジョミーが目を覚まさない。ブルーにとっての大事は、ただそれだけだった。
 ブルーの寝台で、まるで子供のころに読んだ絵本の中の眠り姫のように眠り続けるジョミーは、普段のまるで太陽のように強烈に明るく快活な印象がなりを潜めているせいか、全くの別人であるような印象を受けた。
 陽光の下ではまるで太陽そのもののように輝く豪奢な金の髪も、薄暗い光の下では淡く輝くのみで明るいと言うよりむしろ神秘的な印象を見るものに与える。起きているときはその言動のせいで少年じみて見えるというのに、眠っている今は愛らしくも美しい少女にしか見えない。髪と同じ色をしたまつげが、パッと見た印象なんかよりもずっと長いことは知っていたはずなのに、それが眠り続けるジョミーの白くまろやかな頬に影を落とす様は、ここ何年もずっとジョミーのことを見守り続けていたブルーでさえ思わずはっと息を呑むほど作り物めいた美しさを感じた。
 けれどどれだけ美しく見えても、そこにジョミーの精神が存在しない限りその美がブルーを喜ばせることはない。惹かれたのは、決して容姿ではなかったからだ。と言うよりも、ブルーが初めて見たジョミーの姿は少女と言うにも満たない幼子のときだったのだから、それに惹かれたりしたらただのロリコンで変態のヤバイ人だ。
 もちろん、その姿を初めて目にしたその日からブルーは、ジョミーのことは世界一かわいらしくて愛らしい女の子だと思っていたが、すでに三百年以上生きたブルーが、表面のみの美醜に大きく心を動かされることなどない。ましてや、外見のみの美醜に惑わされて、三百年間もの間ずっと思い続けてきた愛しい人よりも、たった十四歳の子供を愛しいと思うなんてことありえるわけがない。ブルーが真実惹かれたのは、ジョミーの魂の輝き、そしてその精神の在り様だった。
 彼女という魂がこの世に生まれた瞬間、ブルーは泣きたくなるほどの歓喜を感じた。けれどその感情にふたをして、決して外れることはないと知っているフィシスの予言を否定して、ブルーは数年間ずっとジョミーの存在をあえて無視し続けた。三百年前に失った愛しい人を忘れて、新しく人を好きになんかなりたくなかったからだ。
 けれど泣き声に耐えかねて会いに行った日、一目見たその瞬間に、どうしようもなく愛おしいと、そう思ってしまった。どうしてこれまでこんなにも鮮やかな存在を無視することなどできたのだろうと感じてしまったのが、きっと全ての始まりだった。それでも、かつての想い人を忘れたくなかったから、ジョミーがミュウであると知りながら決してシャングリラに連れて来ようとはせず、ただただ見守り続けた。目を離すことができなくなった時点で、心はとっくに囚われてしまったと分かっていても、悪あがきをしたかった。忘れたく、なかった。
 そんな思いは、手元にやって来たジョミーを見てしまった瞬間に吹き飛んでしまったけれど。見守っていただけの間には耐えられたのに、向かい合って視線を交わしたその一瞬で、堪え切れなくなった。愛おしくてたまらないと感じた。それでも、死を待つしかないこの老いぼれた身で思いを告げる気などまるでなかったというのに、気付いたらぽろりと言葉が漏れていた。
 眠り続けるジョミーを見下ろして、ブルーは切なげな声で言う。
「……ジョミー……これは、罰なのだろうか……」
 ずっと惹かれていたのに、かつての想い人を忘れたくなくて悪あがきを続けて――その挙句、告げるつもりもなかった思いを告げてしまった罰がこれなのだというのだろうか。
 もう一ヶ月もの間ずっと、眠り続けているジョミー。好きだと、君のことが大切だと、愛しているとブルーはジョミーに何度も告げた。子供たちに邪魔された君の新しい家族になりたいという言葉を仕切りなおして言ったときには、戸惑いながらもジョミーは受け入れてくれた。もちろん、それは家族として受け入れてくれたのであって、決して恋人として受け入れてくれたわけではないと分かっていたけれど、うれしかった。同じ気持ちを返してくれなくてもいい。この幼い想い人を、どうしようもなく甘やかしてかわいがりたかった。そこに、誰かの代わりだなんて気持ちは欠片もなかった。
 そもそも、かつてブルーが愛していた人――『彼女』もジョミーという名前だった――とジョミーが似ているなんてことには、ハーレイが言及するまでブルーは全く気付かなかったのだ。どちらのジョミーも、どうしようもないほど強く心惹かれた特別であったけれど、二人が似ているなんてブルーは一度も思ったことはなかった。言われて見れば、造作やら身にまとう色やら似ているところはたくさんあったが、瓜二つとまではいかない。雰囲気も似ているが、ジョミーに比べると、『彼女』はいつも寂しそうで悲しそうに見えた。魂の色は……『彼女』と死に別れたあのときは、まだサイオンの制御が上手くできていなくて、魂の色を感じることなんてできなかったから、比べることはできない。
 だからハーレイに、ジョミーを『彼女』の身代わりにしているのではないかと言われても、ブルーはきっぱりと否定したのだが……運悪くその会話を聞いていたジョミーは、すっかりブルーの真意を誤解してしまったようだった。好きだと散々言われていて、けれどその言葉が本当は自分に向けられたものではなかったなんてことを突きつけられたら、傷つくのは当然で、ジョミーももちろんその例に漏れなかった。サイオンを暴走させた挙句シャングリラの外へ出ようとして、とっさにそれを止めようとしたブルーのサイオンとジョミーのサイオンが反発しあって、結果ジョミーの精神だけがどこかへ行ってしまった。
 そのときのことを思い出して、ブルーは苦々しげに顔を歪める。
「……違うと言ったのに、どうして聞いてくれない、ジョミー……?」
 誤解させるようなことを話していたこちらが悪いのだと分かっている。けれど、苦しいほどジョミーを思っているこの気持ちを誤解されて、ブルーだって傷ついているのだ。ジョミーを思う気持ちは嘘偽りないものだというのに、どうしてあんな誤解をされなければいけないのか。
「……君と『彼女』を重ねたことなんて、本当に……一度もないのに……」
 その言葉は紛れもなく真実で、ジョミーと『ジョミー』を重ねたことなんて、一度もなかった。似ているだとか、身代わりにしようだとか、そんなことを思いつくほど中途半端にジョミーのことを想ったことはなかった。
 けれど、『彼女』のことを誰かに重ねたことが一度もないかと言われると、実は否である。
 五十年ほど前ブルーは、仲間がいないかと思念体で空を漂っているときに、偶然フィシスを見かけた。彼女はミュウではなくて人間だった。ブルーはそのとき、彼女の髪の色が『彼女』のそれとひどく似ていることに気付いた。
 二百五十年と少し。『彼女』を失ってから、それだけの時間が流れていて――少しばかり、血迷ってしまっていたのだろう。『ジョミー』のことを思い出させる色を持つフィシスを側に置きたくて、ブルーは自分の力を少しフィシスに分け与えて、人間であったフィシスをミュウにした。そして彼女がミュウではないかと周りから恐れられ始めたとき、ブルーはフィシスをシャングリラに連れ帰り、僕の女神と呼んで、まるで人形を愛するように彼女を愛した。
 それがフィシスに対して、どれだけひどいことであるか自覚はあった。けれど止められなかった。『ジョミー』が何も残さずこの世を去ってしまってから、初めて見つけた、見ているだけで『ジョミー』のことを思い出させてくれる存在。どうしても側においておきたかった。手放したくなかった。フィシスを――正確に言うならばフィシスの金糸を見るたび、ブルーはフィシスに愛した人の姿を重ねて、『彼女』のことを思い出した。その瞬間は、『彼女』のことを失ってから初めて、心が慰められる瞬間だった。
 そんなことをしてまで、ブルーは『ジョミー』のことを思い続けていたのだ。本当に、愛していた。フィシスに対して、そんなひどいことができるぐらいに。
 だから、ジョミーに『彼女』の面影を重ねていないことぐらい、すぐに分かった。ジョミーに向ける気持ちは、フィシスに向ける愛とはまるで違う。あんな、偶像に対する愚かしい愛とジョミーに対する愛を、どうして同じものだなんて思えるだろう。
 幼さを残した線を描くジョミーの頬を、ブルーは優しい手付きで撫でながら、狂おしいまでの切なさと愛情を込めた瞳でジョミーを見下ろして、ぽつりと言う。
「ジョミー……早く戻って来たまえ……そして、ちゃんと弁解させてほしい……」

 ――他の誰に対する気持ちに嘘があっても、君に対しての愛にだけは、一片の曇りもありはしないのだと。

「……ジョミー……」
 その声は、蒼の間に満ちる水に反響して、静かに部屋に響き渡った。


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